電話するお話。1-先生side-


 仕事帰り、親しみ慣れた店で好みの酒をたしなんでいたら珍客が現れた。

「うげっ」
「……その「げっ」って何かな芽衣《めい》ちゃん」

 友人と久々に飲む約束をしていたのに、その場に現れたのは友人の弟だった。
 そして彼の幼馴染みでもある女の子。
 俺より2つ下の、高校の後輩でもある。

 弟くんは俺が此処にいる事を事前に知っていたのか、特に驚いた様子も無く「どうも」と軽く会釈をするだけだったが、隣にいた彼女は違った。心底嫌そうに表情を歪ませて睨みつけてくるという、真逆の反応を示してくる。面白い。
 こうも嫌々な態度をあからさまに見せられると、かえって構いたくなるというのが人の性……

 いや、俺の性だった。

「なんで水嶋先輩が此処にいるんですか!」
「いちゃ悪い?」
「悪いです。さっさとお帰りくださいさあ! 今すぐ!」
「酷いな。というか俺、優《すぐる》と待ち合わせしてるだけだから」

 優とは、俺の友人の名前だ。
 今日、ここで落ち合う約束をしていた相手。

「稔《みのる》くん、久々だね」
「お久しぶりです」
「ちょ! 気安く早瀬に触んないでください! 先輩のケダモノ菌が早瀬に感染したらどうするんですか!」

 キャンキャン吠える。
 テンション高いな、相変わらず。

「芽衣ちゃんって稔くんを美化しすぎじゃない? 男はみんなケモノだよ? 夜行性のね」
「ケモノはケモノでも、早瀬は先輩と違って可愛い系のケモノなんです!」
「もはや何の話なの」
「早瀬は純粋な子なので惑わさないでくださいって話です」
「惑わすって。君は俺のこと何だと思ってんの」
「歩く18禁みたいな人」
「君は突っ走る変態みたいな子だけどね」
「私の変態っぷりは早瀬だけに注がれてるんで、他の人に迷惑かけてません」
「それもどうなのよ」
「女なら誰彼かまわず手を出してた人よりはマシです」
「こっちから手出してないからね言っとくけど」
「早瀬に手出したら殺します」
「俺ホモじゃないから」

 軽快なジャズが流れる店内。
 静かに酒を楽しみたい人だけが集まる場所。
 その一角で、このムーディーな雰囲気をぶち壊すかの如く、下品な会話を繰り広げる男女が2名。
 カウンターで場の成り行きを見守っていた女性―――この店の看板嬢でもあるナオが、その場からそっと離れて稔くんに近づいていく。彼女もまた、俺にとっては長年の友人だ。
 マイク代わりのように軽く握りこぶしを作り、彼女は稔くんの口元にマイク(拳)を掲げている。

「……高校の先輩と幼馴染みちゃんに板ばさみにされたご感想をどうぞ」
「不快でしかないです」
「はい、エンダー!」

 高らかに響いたナオの声で、場はとりあえず一時休戦(?)となった。
 とはいえ、芽衣ちゃんは稔くんの隣で、 警戒心丸出しで俺を警戒している。まるで牙を剥き出しにして、敵を威嚇してるライオンみたいだ。
 俺が何か言う度に毎度噛み付いてきて、そのクソ生意気な態度は高校時代から何も変わっていない。ほんと面白い子だな。

「水嶋先輩、兄貴から伝言」
「ん?」

 そんな一触即発な雰囲気の中、稔くんは特に気にする事もなく、呑気に声を掛けてきた。
 コイツはいつも空気読まない。
 兄と同じで天然なんだよな。

「向こうの高校で、緊急で職員会議が入ったみたいで、約束の時間に遅れるそうです」
「あーそうなの? 俺に連絡入ってないけど」
「途中まで一緒だったんです。さっき急に学校の方から連絡が入って、そのまま引き返して行ったので」
「本当に急だな。じゃあ仕方ないか」
「遅くなったら先に帰ってもいい、って」

 稔くんの一言に、今日は来ないだろうな、そう結論する。こんなことは、なにも今日が初めての事じゃないから。

 その友人は高校からの付き合いで、俺と同じ教職員に従事している。時々連絡を取り合って、友人でもあるナオの店で一緒に飲むことも多い。
 俺が勤務している高校は、学業・スポーツ面においては至って普通、特に名の知れた訳でもない地味な一般高校だが、友人はそこそこ有名な高校で教鞭を執っている。
 こんな時間に緊急の会議となると、何か学校側にとって不都合な事態が発生したのかもしれない。
 学校という職場はいつだって保守的だ。

「ところで何で君らも一緒に来てんの」
「いや、俺らもよくわからないです。兄貴に誘われて来ただけなので」
「ふーん。まあいいや。3人で飲む?」
「俺はいいですけど……これが」

 これ、と稔くんが遠慮がちに目を向けた先に、芽衣ちゃんがいる。弟くんの腕をぎゅっと掴みながら、じっと俺を監視するかのような視線を向けてくる。
 別に取って食おうとしないっての。



 高校卒業後、稔くんと共に短大・警察学校へと入校し、警察官を経て刑事となった彼女は、高校時代と変わらず綺麗な顔立ちのままだ。
 まだ幼さの残る面影も残っていて、美人と可愛いの中間、という表現がしっくりくる。 高校当時はショートだった髪も、今では背中あたりまで伸びている。三つ編みで編み込んだハーフツインテールは、まるでアイドル気取りかと突っ込みたくなるほどヘアアレンジは完璧だ。
 確かに彼女は俺から見ても、その辺のアイドルより数倍可愛いとは思う。
 ……香坂の方が数百億倍、可愛いと思いますけどね。



 高校の時、実は一度だけ、彼女に近づこうとした事がある。
 恋愛感情とかではなく、ただの興味本位から。
 この子は高校時代からよく男にモテていたけれど、誰にもなびく事がなかったから、どれだけ神経ず太い子なのかと好奇心が沸いただけだ。
 ところが向こうは向こうで、当時女からモテていた俺が生理的に好かなかったのか、いつも敵対心剥き出しで俺に歯向かっていた。その生意気な態度が面白くて、彼女への興味は「女の子」から「いじりやすい後輩」へ早々に変わったわけだけど。

「一之瀬」
「……なに」

 稔くんの穏やかな声が、 芽衣ちゃんの名前を静かに呼んだ。

 ……この2人、付き合いは相当長いはずだ。
 なのに互いに苗字呼び。優のことは芽衣ちゃん、名前で呼ぶのに。変な幼馴染だな。
 もしかしたら俺が知らないだけで、2人でいる時は互いに名前で呼びあっているのかもしれない。まあ俺には関係ないけど。

「いいだろ。一緒に飲むくらいは」
「……水嶋先輩がいるって知ってたら来なかった」

 ……どんだけ毛嫌いされてんの俺。
 まあ彼女を散々からかいまくってたのは俺だし、自業自得だから仕方ないかもしれないけど。

「黙ってて悪かった。兄貴からも言うなって口止めされてたし」
「……む」
「今日は俺がおごるから。な?」
「……わかった」

 むすっとした顔つきで、それでも渋々頷いた芽衣ちゃんの頭を、宥めるようにぽんぽんと撫でる稔くんの目元はどこか甘くて柔らかい。
 あーこの子の事好きなんだろうな、すぐにわかる。それが友情のものなのか、恋愛のものなのか、俺にははっきりとわからないが。
 昔から稔くんは、芽衣ちゃんに甘い。
 そしてこの子も、他の男は容赦なくばかすか殴るくせに、早瀬兄弟には手を出さない。なんというか、幼馴染みだけに通じる何か、みたいなものがそこには存在している。他人には入っていけない領域がそこにはある。
 高校当時は気づかなかったが、彼女が誰にもなびかなかったのは、ひとえに隣の幼馴染の存在が大きかったからだろう。

「……あー、稔くん。俺、今日は帰るわ」
「え、でも」
「いや、多分アイツ来れないだろ。俺の方から直接連絡入れとくから」
「はあ……いいんですか?」
「俺がいたら、酒まずくなるでしょ」

 苦笑しながら彼女に視線を送れば、相変わらず憮然とした表情を浮かべている。
 俺としては、もう少しこの子をからかって遊びたかったんだけど。そんな事はもちろん口に出して言えるはずも無く、挨拶もそこそこに店を出た。

 どうして友人が、あの2人も一緒に連れてこようとしたのか後で理由を問えば、いい加減あの子と和解させたかったという話は、あとで本人から聞いた話だ。アイツなりにずっと気にしていたのかもしれない。
 と言っても、毛嫌いはされていても心底嫌われてるという感じはしない。俺も嫌っていないし、どちらかと言えば、あの子とは口喧嘩仲間みたいなものだ。

 ……けど、幼馴染み、っていいな。
 過ごしてる時間が長い分、関係も信頼度も濃い。無条件に相手を信じられる強さがある。
 赤の他人同士だけでは築き上げられない、絶対的な絆。昔は不要だと切り捨てていたそれを、今は欲しいとすら願ってる。


 ―――すきです、一番、大好き……っ


 昨日、切なげにそう何度も呟いて、涙を浮かべていたあの子の姿が脳裏に浮かぶ。



 香坂はいつも素直で、何に対しても一直線な性格だ。自分の思ったことも、素直に口に出す。そんな彼女から「好き」という言葉を聞いたのは、実のところ指折り数える程度しかない。教師と生徒だったから当然だ。
 まだ香坂が高校在学中、彼女と想いが通じた後、2人で今後の事を話し合った。互いの立場を守る為に交際は卒業後にしよう。そう提案した俺に香坂も素直に頷いてくれた。
 以降、彼女の口から「好き」という言葉を聞いたことはない。
 けれど何度か、言いたそうにしている姿を見ることはあった。

 いつ誰が聞いてるかもわからない学校内で、その単語を口にするのはリスクがある。口を衝いて出そうになるその言葉を、今まで何度も飲み込んできたんだろう。昨日のあの告白は俺に向けた言葉というより、内に溜め込んでいた想いを全て吐露しているように聞こえた。


 こんなにも、あの子に我慢させていた。


 好きになった相手が教師、それだけの事で、好きの一言も思うように伝えられない辛さを、あの子に負わせてしまった。
 教師と生徒という立場だったから仕方ない、なんて簡単に割り切れたら、どれ程楽だっただろうか。割り切ることも出来ず、香坂に対して抱いてしまう罪悪感は、それだけ彼女への想いが深い証明だ。



 昨日。
 衝動的に彼女をベッドに組み敷いた、俺の視界に映ったもの。

 乱れたシャツから覗く白い肌に映える赤い印に、紅潮した頬。薄く開いた唇は濡れていて、瞳も涙で潤んでいた。
 額に浮かんだ汗のせいで、髪が肌に張り付いている。熱に浮かされた体は折れそうなほど、細い。
 そこにいたのは俺がよく知る『元生徒』の香坂じゃない、明らかに女の顔をした香坂だった。

 正直、限界だと思った。

 ……もう、いいんじゃないのか。
 彼女を俺のものにしても。
 そんな邪な考えが脳裏を掠めた。

mae表紙tugi

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