吉報の雨?いえ、胸騒ぎの予感です


 某月某日。
 私の人生は今日、詰んだかもしれない。

「うそ……」

 外は大雨、強風警報。
 電車は止まり、最終バスは既になく。
 頼りのビジネスホテルはどこも満室、満室、満室だらけの満室御礼オンパレード。おめでとうございます。

 ───こんなことってある?

「参ったなあ……今日は雨なんて予報は出ていなかったはずなのに」

 立ち寄った店舗の軒下で、雨宿りをする羽目になった私。見当違いの悪天候にうなだれる小娘を嘲笑うかのように、無数の雨が無情にも降り注ぐ。
 止む気配のない光景に意気消沈しているのは私だけじゃない。隣に佇むのは2つ上の先輩───松永さんが、困ったように眉尻を下げてため息をついた。

「ごめん椎名さん。俺が無理に付き合わせたせいで、帰れなくなっちゃって」
「いえいえそんな! 松永さんのせいじゃないですから!!」

 慌てて両手をぶんぶん振る。私の必死な様が面白かったのか、松永さんはふっと表情を緩めて笑う。その穏やかな微笑み方に、私の鼓動が甘く跳ねた。
 男に免疫のない女が見たら卒倒間違いなしの甘い笑顔頂きました、ご馳走様です。今の笑顔でご飯3杯いける。

 空腹故にイケメンをおかずにする私をよそに、松永さんは目元にかかる前髪を緩くかきあげた。「どうしようかな」と力なく呟く彼の、その横顔を盗み見る。

 艶っぽく印象的な黒髪パーマが雨に濡れ、頬にぺたりと張り付いている。その一部をうっとおしそうに払う仕草も様になっていて、無意識に目を奪われた。程よく着崩れしたスーツから覗く鎖骨から、溢れんばかりのエロスをぶち撒けていることを彼は気づいているんだろうか。
 性格だって悪くない。全体的な雰囲気に加え、喋り方や笑い方まで爽やかなところが私的ヒットポイント。他の男性社員みたいに下品な感じはなく、男友達も多くてフットワークが軽い。遊び慣れているような印象を受ける。
 雰囲気イケメンってよく聞くようになった言葉だけど、まさにこの人がそんな感じだ。もちろん顔も格好いいし、社内でも人気者の彼を嫌う人間はまずいない。そんな松永さんは、私が最も憧れている先輩の1人だ。

 恋愛には興味がない。全く無いかと言えば嘘になるけれど、私みたいな地味子に好意を寄せてくる男がいるはずがない。
 そもそも私が所属している営業部署は、粒ぞろいのイケメンばかりが集まった組織で有名だ。そんな環境の中にいるものだから、心境に変化があっても仕方ないというもの。彼氏なんかいなくても周りはいい男ばかりだし、こんな地味子の私にも親切に接してくれる。お陰様で私、23歳にして彼氏ほしい欲が完全消失しました。イケメン部署って最高フォォオー!

 そして営業部署の中でも断トツに人気なのが松永さん。彼が外を歩けば女性達が群がり、モデルや俳優と間違えられてサインを求められるという、もはや扱いが芸能人級な域を超える稀有な存在になっている。そんな私も彼の隠れファンの1人だったりして、同じオフィスで彼を見かける度、目の保養にさせてもらっている。

 そんな松永さんの営業サポート社員として、今回の彼の出張に付き添うことになった。本来は17時に終わって直帰する予定が、相手の都合で22時を過ぎてしまい、そしてこの大雨だ。こんな事態になるなんて想定していなかったから、ホテルなんて予約しているはずがない。そして途方に暮れている。(←イマココ!)

「……ん?」

 そこで気づいた。松永さんの視線が、煩悩に耽る私に降り注いでいることに。
 いや、違う。彼は私じゃなくて、私の背後にある建物を見ていた。
 その眼差しはどこか、迷いに揺れた光を宿している。

「……椎名さん」

 私の名を呼ぶ松永さんの声も、その瞳同様に揺れている。いつも屈託なく笑いかけてくれる朗らかな表情が、今は珍しく苦渋に満ちていて困惑した。

「どうしたんですか?」

 不安に襲われて問い掛ける。彼は躊躇したように口を噤んでしまったけれど、意を決したように口を開いた。

「ひとつ、提案があるんだけど」

 提案。それが、今日泊まる場所のことを指しているのだと気づいた。

「提案、ですか?」
「うん。でも、その提案を受け入れる前に言わせて。絶対に俺から変なことはしないから。誓う」
「え……」

 不穏な口調に少したじろぐ。

「……アレ、どうですか」

 松永さんが控えめに指し示した方向に目を向ける。見えたのは煌びやかな看板と、そして色とりどりの照明の光。まるで異国の宮殿を模した建物の入口には、部屋の空室を示す「空」表示がきらきらと瞬いていた。

「………」

 ラブホじゃねーか。

「え、」

 言葉を失う私に、松永さんが慌てて取り繕う。

「ごめんごめん、今のなし。やっぱり無理だよね。ちょっとお金かかるけどタクシーで帰、」
「行きましょう!!!!!」

 即答。でも邪な考えなんて全くない。ようはラブホをビジネスホテル代わりにしよう、っていう提案だとわかったら、断る理由はもちろんない。寝泊りできるところがあるってだけで有難いことなのだ。

 ラブホはつまり、そういう行為を目的としたホテルな訳だけど、その認識は今では古い考え方だ。ラブホをビジホ代わりに使う人が増えてきた昨今、ラブホテル専門のビジネスプランなんてものまで存在している。今やラブホで女子会を開くのも珍しい話ではなくなった。とはいえ、さすがに男女2人で休憩や宿泊しようものなら、目的はそれ一択なわけだけど。
 でも、松永さんは変なことはしないって言った。その覚悟を信じるしかない。大体松永さんは女にすごくモテるんだから、こんな地味な後輩に手を出すほど異性に困ってはいないはずだ。

 気が付けば、時間は23時を回っている。この時間帯に、ラブホに空室があること自体が珍しい。平日の夜だったことが幸運だった、もし今日が週末なら完全にアウトだった。ただ、何室の空きがあるのかは看板の表示だけではわからない。

「松永さん、今すぐ行きましょう! 早く行かないと他の人に部屋とられちゃうかも!」
「え、いや……いいの? だってあそこ……」
「松永さん、知らないんですか? 今はラブホをビジホ代わりに使うような時代なんですよ。男女2人で入ったって、別にどうってことないですから!」
「………」

 軽く目を見開く松永さんに、私は全力で笑いかけた。私は何も警戒してないです、貴方のことを信じてますよ、と伝わるように微笑んだ。
 優しくて後輩想いの松永さんの事だ、ラブホに宿泊するとなれば私が怯えると踏んだのだろう。だから自らの提案をすぐ取り下げたのだと思う。
 けれど実際、帰る術もなければ寝泊りできる施設はない。この周辺には漫喫もカプセルホテルも無いし、距離があるからタクシー代も馬鹿にならない。そんな負担を先輩にさせられない。
 だから、ラブホに寝泊まりするくらい平気。むしろ松永さんの寝顔を見れるかもしれないチャンスだと思えば、胸も躍るというものだ。

 そんな私の危機感の無さは、後に取り返しのつかない過ちを犯すことになる。
 ホテルに向かって走り出す私の背後で、松永さんが不満そうに顔を歪めていたことに気づけなかった。

mae|表紙tugi

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