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8月24日



日刊予言者新聞の到着と同時に目を覚ましたカノンは、トゥーラの淹れたアイスティを飲みながら新聞に目を通していた。
そこには、無表情だったカノンの眉を歪ませるものが書いてあったようだ。


「クィディッチ・ワールドカップで闇の印出現・・・」
「へぇ、死喰い人って今でも活動しているんだね」

いつの間にかカノンの隣に座っているリドル。

カノンがデスクに置いていたアイスティを勝手に飲んでいる。自分の分があるのに、だ。
いつもならば蹴りのひとつやふたつ入るタイミングだが、今日は違った。

「してるんだね、って・・・死喰い人が今どんな状態か、知らないの?」
「うーん、僕の本体の事なら分かるんだけど、死喰い人となるとね」
「そう・・・ヴォルデモートの状態がわかるっていうのは、どの程度のレベル?」

カノンの指摘に対して、リドルは軽く肩をすくめて答えた。

「思考がぼんやりわかる程度、だね。誰を殺したい、とか何処に行きたい、とか」
「じゃあ今は?」
「・・・・・・よく、わからない。少し喜んでいるみたいだけど。きっと魔力が弱まっているから、僕との繋がりも弱くなっているんだと思う」

リドルの答えにカノンは満足したのか、それ以上問い詰めることはしなかった。
寝巻のまま新聞を読み耽っていた彼女は、立ち上がりクローゼットへ向かう。

その後ろではリドルが新聞を手に取り、薄く笑みを浮かべていた。







「そういえば、リドルさ」
「何だい?」

今日の下着を決定したカノンが、下着姿のままリドルの前に戻って来る。
夏休みの間に、随分慣れた様子だし、リドルも顔色を変えずに受け答えている。


「今日はダイアゴン横町に行くんだけど、どうする?」
「どうするも何も・・・君がアンクレットを付けているんだから着いて行くしかないだろう」
「そうじゃなくて。実体化して歩きたい? って聞いてるの」

肌色のストッキングを履きながらカノンが問うと、リドルは驚いて数秒硬直した。


「・・・いいのかい?」
「ノクターン横丁にお使いをお願いしたいんだけど、その報酬は半日の自由行動。どう?」
「悪い話じゃないね」
「あそこに出入りすると、流石に教授に怒られちゃうからさ」

「交渉成立だね」と言ってカノンは、リドルの頬に手を当てて魔力を流し込む。
カノン掌が薄く光り、その光がリドルの体内に入って行くとリドルの顔色も明るく、健康な色に変化した。


「ふぅ、これくらいで充分かな」
「ああ、動きやすいよ」
「まぁ、飼い猫もたまには散歩に出してやらないとね」


リドルが黙り込んでいる間に、トップスを着たカノン。

背中の部分に編み紐がついており、可愛らしいコルセットのようなデザインだ。
カノンが紐が解けた状態でリドルに背を向けると、彼も自然な動作でその編み紐を調節しつつ結んだ。


「君ってこういう格好似合うね」
「あれ、珍しくリドル君からお褒めの言葉を頂いちゃった」
「君の事は美人だと思っているよ、性格は最低だけど。スタイルもそれなりに良いから、こういう体のラインが出る服がよく似合う。腹の中はどす黒いけど」
「殴られたいの?」

にこやかすぎる笑顔でカノンが言うと、リドルは「別に本当の事を言ったまでさ」とだけ返した。


「本来私は、ここまでサディスティックじゃないよ。リドルに対してだけ、わざとそういう接し方をしてるんだから」
「そんな特別扱いはいらない」


今日の2人はとても機嫌が良いようで、揃って穏やかに会話をしている。

いつもならば寝起きで機嫌が悪いカノンから辛辣すぎる言葉が飛び、リドルからは遠まわしで棘だらけの返答が返って来る。そんな言葉のドッジボールが行われているのだ。


そんな和やかな空気に呆けていたカノンは、新たな刺客がこの部屋に近づいている事を知らなかった。

その男は慣れた様子で廊下を歩き、肖像画に挨拶を返しながらカノンの部屋へと歩いていた。
そして彼女の部屋のドアに向かって素早くノックをする。

コンコンッという音に反応したカノンは、数秒置いてから返事をした。


「はぁい。トゥーラ? 紅茶のおかわりならまだ大丈夫だよ」
「いいや、私だ」
「えっ教授!?」


扉の向こうから響いたのは、あのバリトンボイス。
腰に来る声の持ち主は、勿論セブルス・スネイプだ。

慌てたカノンはドアに駆け寄って扉を押さえる。
その隙にあわあわと姿を消すリドル。普段ならば決して見る事ができない、2人そろって焦った姿だ。


「・・・む、何故扉を押さえる」
「ちょちょ、ちょっと待ってください、教授、女子の寝室に押し入るなんて」
「私は忙しい、さっさとそこをどきたまえ」
「あと10秒待って頂けたら大人しくここを開けます!」

カノンが扉を押さえながらチラチラと気にしているのは、ベッドの横のデスク。
もっと分かりやすく言うと、2つ並んだコップだ。

リドルが再び実体化して片方のコップを消すのと、スネイプが強引に扉を開くのと、ほぼ同時だった。


「ぎゃああ!」
「さっさとせんから、こうなる・・・」

汗をかいて視線を逸らすカノンを、凝視するスネイプ。
すると彼の額にも焦りの汗が浮かび始めた。


「あの、ほら、だから、10秒待ってくだされば着替え終わったんですけど」
「・・・・・・すまん」

先程の喧騒とは真逆に、静かに扉を閉めるスネイプ。
そう、リドルとあれこれ言い合っていたカノンは、トップスを身に着けただけで、下はまだ可愛らしいパンツが露になっていた。スネイプも言葉を失うわけだ。

こうしてカノンは少しの恥と引き換えに、扉を開けずにいた正当な言い訳を手に入れたのだった。



「ああ、ビックリした」
『そうだね。僕は人前で平然と下着をさらす君の神経にビックリだよ』
「狙ってやったわけじゃない!」


リドルはアンクレットの中からカノンへと直接話しかける。こうすればカノン以外に彼の声が聞こえることはないのだ。
カノンは未だバクバクと煩い音をたてている心臓をおさえながら、今度こそスカートに足をいれた。









「あの、教授、お待たせしました」
「いや」

先程の事があってか、妙に気まずそうに視線を外すスネイプ。
カノンの気にしていない態度を見て、少し安心したようだ。


「何か御用ですか?」
「先々週の手紙で書いただろう。新学期の買い物は24日だと」
「え? 私先週の手紙で買物は友達と一緒に行く、って書きましたよね」

もちろんカノンは友人との予定などたててはおらず、リドルをうまく活用してダイアゴン・ノクターン横丁の目玉商品を片っ端から抑えるつもりでいた。
そのためスネイプには「友達と一緒に行く」と話してあったのだ。

「状況が変わった。昨日あった事件は知っているだろう」
「闇の印ですか? 知ってますけど、まさかダイアゴン横町に死喰い人が来るわけでもないでしょう?」
「念には念を、だ」
「大丈夫ですって。私はゆっくりショッピングを楽しむつもりですから!」
「さっさと帰って、安全な邸内で残りの夏休みを過ごすべきだ」
「ご心配して下さるのは有難いですけど、本当に大丈夫です!」
「何故そこまで渋る。誰と行く予定だったのだ?」
「パンジー・パーキンソンです。先学期あまり一緒にいれなかったので、今年からは沢山仲良くしようと」

相変わらずさらり、と嘘を言い返したカノン。
だがスネイプはそれでも納得しなかったようだ。

「パーキンソンなら旅行先で体調を崩して滞在が長引き、明日の夕方ごろ帰る予定だと聞いたが?」
「あはは、変なカマかけるのはよして下さいよ」


だが、カノンが笑ってそう言った次の瞬間に、窓際に一匹の梟がとまった。
茶色と灰色の斑模様、それはまぎれもなくパンジーの飼っている梟だった。
まさかスネイプの話が実話だと思わなかったカノンは、背中を流れる嫌な汗を感じ取り、そんな彼女をますます訝しむスネイプ。

だがしかし、スネイプにばれることなく貴重な材料を手に入れるまたとないチャンスなのだ。
合法的に手に入る材料で高度な魔法薬の研究をしようとしても、限界がある。この館で良質な材料を沢山手に入れた今、彼女の研究欲は誰にも止めることはできなかった。

一度怪しまれてしまえば、下手にほかの人間の名前を出したところで怪しまれるだけだ。
こうなれば、とカノンは心の中でリドルへと言葉を伝えるべく強く念じた。


(リドル、顔色を変える呪文って使える? 実体化しなくても使えるんだったら私の顔を赤くして!)
『ああ・・・充分な魔力さえあればここからでも使えるけど』


リドルの返事を聞いたカノンは、思い切ったように顔を上げた。
彼の魔法のおかげでゆで蛸のように赤くなった顔で、真っ直ぐスネイプの目を見て、声を絞り出した。

「ああもう、正直に言います!」
「ほう」
「実は、片思い中のセドリック・ディゴリーと行く予定でした!! すっごく恥ずかしいので隠してました、ごめんなさい!」

勿論、彼女の必死な表情もすべて演技だ。
だが、スネイプはそんなカノンに面食らったようで、少し硬直していた。


「そ、そうか・・・いや、悪い事を聞いた」
「いえ・・・私もちょっと怪しかったですよね、すみません」

先ほどの一件からカノンはひとつ学んだ。
スネイプは『年頃の娘を前にした父親』の心境になると途端に弱くなるのだ。


スネイプも職業柄、この年頃の女子生徒と多く接してきただろう。
カノンの反応は、スネイプにとって"意外だが、ごく普通の女の子"として認識された。
恋をする年齢になったか、時が移ろうのは早いな。などとしんみりしていたのかもしれない。


「えっと、じゃあ、そういう事なので・・・行ってきてもいいですか?」
「仕方なかろう。何かあったらすぐに連絡をするように」
「はい!」

カノンは笑顔で返事をする。スネイプはそんな彼女の頭を数回撫でてから玄関ホールに向かった。


「では、私はホグワーツに戻る」
「はい。・・・あの、わざわざ来て頂いて、ありがとうございました。嬉しかったです」

今度は本当に顔を赤くしながら言うカノン。
やはり理由はどうあれ、敬愛する恩師が自分を心配してくれたことは何よりもうれしいようだ。
一瞬きょとん、としたスネイプだったが、ふっと優しく笑って彼女に言った。

「何、父代わりの男が娘を心配しただけのことだ。気にするな」
「・・・もう私、カノン・スネイプになりたいです!」
「ホグワーツ中の注目を浴びることになるだろうな」


穏やかな表情になったスネイプは、そのまま扉を開けて邸から出て行く。

カノンはその背中を最後まで見送ってから、軽い足取りでダイアゴン横丁へ向かうべく準備を始めた。








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