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カノンがこのマルディーニ邸に来てから5日が経った。


この屋敷に来てからというものの、カノンは毎日のように邸内や森の中を散策するのが日課になっていた。
邸内はどこも趣味のよいインテリアが並び、そこかしこに瑞々しい花が活けられている。
この花々はきっとトゥーラの気遣いなのだろう、とカノンは唇で弧を描く。

森の中に入れば、ホグワーツの禁じられた森に勝るとも劣らないほどに多種多様な薬草・魔法生物が生息していた。
大型のケンタウルスやユニコーンはまだ見ていないが、ニフラーやボウトラックルなどの生物はよく見かけた。
珍しい薬草もあるので、この森の生態系調査をすることが最近のカノンの楽しみのひとつだった。


そして、彼女の楽しみのもう一つ。
外から見たよりもずっと広いこの邸宅の中を探検し、全ての部屋を調べて回ることだ。
扉を開けた先に先代たちの肖像画があれば、一言二言世間話をする。
歴代のどの当主も、途絶えたと思っていた血筋が生きていたことに喜び、さらに美しい風貌のカノンが現当主だと知ると大いに喜んだ。

また、魔法薬の貴重な材料の保管庫と思われる部屋を見つけた時は、ついスネイプに手紙でその感激を伝えてみたり。


そんな楽しい探索をしているカノンだったが、途中で不思議な扉を見つけ、その前に佇んでいた。

マルディーニ邸の扉は、殆どがダークオークで出来ている。限りなく黒に近いが、美しい木目とほんの僅かなこげ茶色が見えるもので、扉一枚一枚に銀の細かな装飾がされているのだ。

だが、カノンが見つけたこの扉は本当に真っ黒だった。
触ってみれば確かに木材のざらつきを感じるが、まるで炭のように真っ黒なのだ。
角度を変えて光を当てると、細かく木彫りの紋様が彫られているのが分かる。
指でなぞりながらじっとよく見てみると、それは蔦と葉の模様だということが判明した。


古ぼけて煤けたような金色のドアノブは、回しても、押しても引いてもびくともしない。
ガチャガチャと鍵がかかっている感触ではなく、本当に1ミリも動かないのだ。

これは、何か別の封印呪文がかけられている。
そう判断したカノンは、どうにかここを開けられないかと思案していたのだった。



ひとしきり、心当たりのある呪文を試してみたあと、しばらくじっくりと扉を観察していたカノン。
すると、蔦と葉の間に一匹の蛇が存在することがわかった。
一度目を離せば、すぐに紋様に紛れてしまいそうなその蛇をそうっと撫でると、急に目の前に銀色の文字が浮かび上がってきた。

まるで、目の粗い布からじわじわと銀が溶けだしてくるかのようなそれは、しばらくすると解読可能な文字になった。



『この扉 開かんとする者 力を欲するだろう
 この扉 開きたくば 蛇の王を我に捧げよ
 この扉 開きし時 汝に全てを与えん』



流れるような筆記体で書かれたその文字は、カノンの目線の先できらきらと輝いた。
それを読み上げたカノンは不思議そうに首をひねった後、文章の意味を解き明かそうと、何度も何度も頭の中で復唱した。


「うーん・・・蛇の王っていうのは多分バジリスクのことでしょ。バジリスクの・・・牙か鱗か、何かあれば良かったんだけど・・・」
「お困りかな? お嬢さん」

カノンがブツブツ呟きながら考え込んでいると、突然背後から声をかけられる。

驚いたカノンが勢いよく振り向くと、そこには肖像画が。カンバスには、40歳前後の男性が描かれていた。

「おや、驚かせてしまったようだね。私は22代目当主のルーファス。宜しくね、現当主のお嬢さん」
「カノン・マルディーニです、ルーファスさん」
「ルーファスさんなんて他人行儀な呼び方は嫌だなぁ。そうだ、パパって呼んでよ。君の先祖なんだし問題はないよね。可愛い子孫によそよそしくはされたくないものだよ」


にこにこと笑いながら話すルーファスは、とても柔和そうだった。
メイプルの木材のような茶金の髪、肌は健康そうな明るい肌色。垂れがちな目は、当然の如く真紅だった。




「じゃあ、ルーファスパパ、これからそう呼ぶね」
「うんうん、素直な子はいいね。可愛いなぁ、私もこんな娘が欲しかったなぁ」

すっかりでれでれなルーファスは、カノンを見て満面の笑みになった。


「娘さんはいないの?」
「うん、孫は女の子なんだけどねー、残念ながら子供は男の子だよ。それより、何かぶつぶつ言っていたね」
「ここの黒い扉なんだけど、開くのに何か手順があるみたいなの。それが何なのか知りたくて」

カノンが扉を指差しながら言うと、ルーファスが扉を見て少し考え込む。
そしてすぐに顔を上げると、急にカンバスの中から消えてしまった。

「ルーファスパパ?・・・どうしたんだろう」

カノンがカンバスを見つめていると、ルーファスはすぐに戻ってきた。
片方の腕で一人の男の人を引っ張ってきたようだ。



「何だいルーファス・・・今せっかく、トゥーラとファッション誌を見ていたのに・・・」
「アレクセイ?」
「ん? カノンじゃないか。どうかしたのかい?」

ルーファスに引き摺られてきたのは先代当主のアレクセイ。
濃い灰色の髪をした、あの青年だ。相変わらず、美しい顔に微笑みを浮かべている。

「アレクセイ、あの扉は君の世代に造られたものだったね? 彼女が気になるらしいんだ」
「ふうん・・・カノン? あの扉を開けるにはどうすればいいのか、今分かる事を話してみてくれないかな」

アレクセイはにこり、とカノンに笑いかける。その言葉に頷いたカノンはゆっくり話し始めた。


「推測にもならないような、詩的な解釈なんだけど・・・

第一に【この扉 開かんとする者 力を欲するだろう】って部分。
きっとこれは"力のある人間じゃないと扉は開けない"ような仕掛けが施されてるんだと思う。多分、この文字は、それなりに力のある人間か、資格を持った人じゃないと読めない、もしくは見る事ができない。そういう仕掛けじゃないかなあ。

第二に【この扉 開きたくば 蛇の王を我に捧げよ】ね。
これは明確で分かりやすい。蛇の王、つまりバジリスクを捧げるって事だと思う。流石にバジリスク本体は無理だろうし、身体の一部とか、それに準ずる何か。材料にしたって貴重だけど、無い訳じゃないし。価格が高騰してようが、この家の人間だったら簡単に買えるでしょう?

そして【この扉 開きし時 汝に全てを与えん】
全て、って"ある一部の人たち"にはとっても魅力的な言葉だし、この不可解な扉を競って開けようとするだろうね」


つらつらと自身の考えを連ねたカノン。
アレクセイは嬉しそうに笑い、ルーファスはポカンとしてカノンを見ている。


「その、"全て"が魅力的に感じる"ある一部の人たち"っていうのは?」
「力を欲している人、または何かを成し遂げる必要がある人」
「そうだね、僕も同じ考えだよ。すごく分かりにくいよね、この文章」

カノンの解釈は、アレクセイが考えていたものと同じだったようで、彼はもう一度彼女ににっこりほほ笑んだ。
ルーファスは、1人状況を呑みこめずにいたが、話を聞いているうちに理解してきたようだ。


「この扉は僕が生前、とある場所からそっくりそのまま持ってきたんだ」
「とある場所? 誰が作ったか、とかは分かるの? この家の人?」
「いや、わからない」

首をひねったカノンの言葉を否定し、アレクセイはまた口を開いた。

「僕が幼い頃にね、この扉を見つけたんだ。その時に一族が暮らしていた邸宅なんだけれど、父からは絶対に触れてはならないと言われた。僕が当主になった4年後に父が亡くなってね、その時にこの部屋の存在を思い出したんだ。

その時の僕は、君と全く同じ推測を立てて、バジリスクの抜け殻を使った。扉に抜け殻を押し付けると、それは扉に吸い込まれ、次の瞬間、扉がゆっくり開いたんだ」
「それで、中には何があったんだい?」

息を呑んで聞き入るカノン。疑問を口にするルーファス。
しかしアレクセイは2人に首を振ってこう言った。


「実は・・・それも分からないんだ」

「えっ?」
「扉が開いた瞬間に中から強い闇の気配がしてね。僕は危険だと判断して、中に入らないまま扉を閉めたんだ。その後扉は再び封じられた。人気の無い廃屋に放置するにはあまりにも危険だからね、目の行き届くマルディーニ邸に移したのさ」
「そうだったんだ・・・」


アレクセイは眉を下げて「満足の行く説明ができず、ごめんね」と言った。
カノンはその言葉に首を振り、再び扉に向き直る。

「強い闇の気配か・・・そんなものが邸内にあるのは不気味だし、なんとか破壊する事はできないのかな?」
「ううん・・・封印の外からでは手出しができないんだ。封印を解いてから、中にあるモノを破壊することならば可能だろうけど」

カノンはそれを聞いて、どうにか扉を開けて中のものを見てみたい欲求に襲われた。
だが肝心の"バジリスク関連のもの"が手元にない。歯痒く思ったカノンは、杖先で扉を強く突いた。

カツンッ! と小気味よい音を奏でる扉。


「もう、何でこんなに面倒くさい仕掛けを作ったんだか」

両頬を膨らませたカノンが腰に手を当てていると、突然目の前の扉がギイィィィ・・・と小さく開く。



「開いた・・・」

カノンが杖で蛇をつついた瞬間、固く閉ざされていた扉が隙間を開けたのだ。
扉は、彼女が手で軽く押すだけですぐに開きそうだ。


「・・・どういうこと?」
「さぁ、こればかりは僕にもよく分からないな」

不可解な顔で扉の向こうを見るカノンとアレクセイ。
だがルーファスだけは、扉の向こうではなくカノンの手元から目を離さずにいた。

「カノン、ちょっと君の杖をこちらに見せてくれるかな?」
「杖を?」

ルーファスの意味不明な言葉に首をかしげながら、カノンは言われた通りにする。
両手の掌の上に杖を乗せ、ルーファスが良く見れるように傾けると、ルーファスは1人合点が行ったような顔になった。


「そうか・・・君の杖にはバジリスクの牙が入っているんだね」
「そ、そうなんだ。私、杖を買った時急いでて・・・素材を聞き忘れていたの」
「うん、杖質はサンザシ。杖芯には、おそらくバジリスクの毒牙の破片が使われている。強力で頑固、気難しくて力の弱い者には決して従わない」

杖を見ただけで判断したルーファスに、今度はカノンが驚く番だった。
アレクセイはくすり、と笑って彼女に説明をした。


「カノン、ルーファスはね、杖職人を目指して勉強していたんだ。最終的にはスリザリン家の当主になったから、職人にはならなかったんだけどね」
「それでこんなに詳しいんだ・・・」
「あはは、今となっては趣味みたいなものだよ・ええと、つまり、君の杖の芯に使われているバジリスクの毒牙が扉に反応したんだね」

カノンとアレクセイ二人に「すごいすごい」と称賛され、照れ笑いを浮かべるルーファス。
ふと我に返ったカノンが、相変わらず扉が開いたままの部屋に視線を戻した。


「そうだ、扉が開いた理由が分かったところで・・・中をチェックしなくちゃ。強い闇の気配、だっけ・・・あんまり感じないけどなぁ」
「僕が以前開けた時は確かに感じ取ったんだけれど・・・今は感じられないなぁ」
「2人ともよく感じ取れるなぁ・・・私は全然だよ」

慎重に扉を開けて行くカノン。
その後ろ姿を、カンバスに描かれた2人が心配そうに見守っている。
そしてとうとう扉が全て開くと、部屋の中が少しだけ見えた。

中は暗く、何故か日光が奥まで行き届かない。カノンの背面に窓があるにも関わらず、だ。
きっとこれも何かの呪文だろう、と思ったカノンはそっと片足を踏み入れた。


「カノン、気をつけて。僕たちは知恵や記憶を授ける事は出来るが、セブルスのように呪いから君を守る事はできないからね。」
「うん、ありがとう」

カノンはアレクセイの言葉に頷いて見せたあと、両の足を部屋に入れた。
中は蜘蛛の巣と埃だらけで、何年も人が踏み込んでいないという事が分かる。




すると一瞬、部屋の奥で何かが光り、それは瞬く間にカノンに向かって飛んできた。
充分に注意していたカノンだったが、その光る何かの速さに反応できず、何かが足首に巻きつくのを感じた。


「レラシオ!」

咄嗟に追い払い呪文を唱えるカノンだったが、足首の何かは全く反応せず、彼女の足首に巻き付いたままぴくりとも動かなかった。


「カノン! どうしたんだ!?」
「大丈夫かい!? 返事をしてくれ!」

カノンの声を聞いたのか、アレクセイとルーファスは声を荒げて彼女の名を呼ぶ。
カノンは自身の体に何の違和感も無いのを確認すると、すぐにその部屋から出た。


「何があったんだ?」

酷く心配そうなルーファス。
カノンはその視線の先に足首を突き出した。

「部屋に入った瞬間、これが足首に巻きついてきて・・・なんだろう、アンクレット?」

カノンの足首に巻きついていたのは、美しいアンクレットだった。
シルバーよりも柔らかく明るい銀色――おそらくプラチナ製だろう。

細かく加工されたプラチナは白銀に輝いていた。
それは扉と同じく蔦と葉の模様になっており、よく見るとやはり一匹の蛇がまぎれている。
葉の部分にはエメラルドやペリドッドが、葉についた朝露にはダイアモンドが。
そして蛇の瞳にはピジョンブラッド――カノンの瞳と同じくらいに深い赤色をしたルビーがはめ込まれていた。

とても繊細で豪華な造りだが、決して派手すぎず趣味の良いアンクレットだ。


「うわあ、高そう」
「ううん・・・これは全て本物の宝石だね、見覚えのあるデザインだなぁ」

カノンとルーファスがアンクレットに見入っていると、今度はアレクセイが口を開いた。

「これは・・・確か、サラザールの持ち物だったという事が判明したものだね。ずいぶん前に行方不明になってしまったと聞いたけれど」
「行方不明・・・って事は、やっぱりこの部屋はスリザリン家の誰かが作ったのかな?」
「確かに、その説が強くなってきたね」

カノンは美しく輝くアンクレットに思いつく限りの干渉魔法断絶呪文をかけた。何重にも施された呪文の中には、アレクセイやルーファスが教えてくれた強力な呪文もあった。
着用者に対して害のある呪いは全て遮断されるらしい断絶魔法をかけたが、アンクレットは依然としてカノンの足首から離れずにいる。


「これだけの魔法をかけておけば、とりあえずは大丈夫だと思うけれど」
「ありがとう。今のところ違和感は無いかなぁ」

3人が一息ついたその時、しもべ妖精のトゥーラが現れた。


「なんと素晴らしい、お嬢様はこの扉を開く事がおできになったのですね」

どこからともなく現れたトゥーラは、興味深々といった様子で部屋の中を覗き込む。
埃一つ落ちていないこの屋敷の中で、この部屋だけが掃除することのできなかった唯一の場所なのだ。彼女もずっとこの部屋が気になっていたらしい。

「なんと! こんなに不潔な部屋がこのお屋敷にあるなんて!!」

トゥーラはそう悲鳴を上げて、一目散に部屋の中に飛びこんだ。
部屋の中は既に正常に戻り、日光が部屋の奥まで届くようになっていた。
ボロボロに朽ちたカーテンやほこりまみれで汚らしい灰色になってしまった絨毯。


「まったく、こんなに汚いなんて・・・蜘蛛の巣、埃、頑固な染み・・・お嬢様! 御自室にアフタヌーン・ティをご用意しておりますっ! わたくしめはこの部屋を片付けてから夕食の準備に取り掛かりますので!!」


悲鳴のようなトゥーラの声に、カノンは緩く「ありがとう」と返すと、彼女の言った通りに自室へと戻った。


足首にアンクレットをつけたまま―――。





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