11



「失礼します」というカノンの声とキイィ…という軋み音と共に開かれた扉。


その中には、数人の魔法使いと共にスネイプの姿があった。彼等は揃って椅子に腰かけている。

彼らの目の前にある長テーブルには、何枚かの書類がそれぞれ置かれていた。
部屋の反対側を見ると、大きな黒い机の上に鍋やすり鉢、計量カップなどの調合器具が並んでいる。
きっとあの机で実技試験をするのだろう、とカノンはぼんやり予想した。


「さぁ、先ずは説明をさせてもらおうかな」

部屋を観察していたカノンは、ダモレスクが薦める椅子へと腰かけた。
椅子と言っても足の高いスツールのようなもので、彼女はなんとなく組み分けの儀式を思い出した。

「えーっと、どこから話をするんだったかな」
「研究長! 神聖な試験場ですのよ、もっときちんとなさってくださいな」

ゆるりと書類を眺めるダモレスクに喝を入れた女性が、聞き取りやすい声で話し始めた。


「カノン・マルディーニ、ホグワーツ在学中の5年生ですね?」
「はい」
「本日の試験では、実技と筆記の両方をして頂きます。実技ではこちらが出題する薬品の調合をしてください。試験中は私を含めた試験官5人が、この場であなたを採点いたします。その試験が終わり次第、引き続きこの部屋で筆記試験が開始されます」

すらすらと話し終えた女性が、一度咳払いをしてカノンへと向き直った。
金髪をきっちりと結い上げた魔女で、年はスネイプとさほど変わらないだろう。頬は可愛らしい桃色だが、目元がキュッと吊り上っている。
カノンは彼女に既視感を感じたが、試験に集中! と頭で唱えて雑念を振り払った。

魔女は吊り上った目を柔らかく緩め、カノンに微笑みとも取れる表情を見せた。


「私はアマンダ・ラグドール、研究長に代わりご説明を致しました。何か質問はありますか?」
「いえ、大丈夫です」
「それでは、そちらの机へ移動してください」

アマンダの言うとおりに、カノンは黒い机へと移動した。

机の上にはピカピカに磨き抜かれた調合道具が並んでいる。
銀製の鍋を見ると、そこには少し不安げな自分の顔がうつり込んだ。
真正面には試験官が着席している長テーブルがあり、視線がまっすぐにカノンへと向けられている。
今になってカノンは、自分の指が緊張で震えてくるのを感じた。

だがカノンはそれを試験官に見せず、机の下でギュッと拳を握った。


「今回君に調合してもらうのは、脱狼薬だ。試験開始の合図と共に、材料はそこに揃っているのを使って」

それまで黙っていたダモクレスが、カノンへと言った。

脱狼薬…ごく最近、初めて調合に成功した薬だ。
調合している時に何度も何度も調合方法を反芻したので記憶している筈だが、問題はそれを完璧に思い出せるかだ。
カノンは途端に頭の中がぐるぐると渦巻き、今まで勉強してきたことがするすると抜けていくような感覚に陥った。


「それでは、8時ちょうどになったら試験開始だ。時間は2時間…この砂時計の砂が落ち切るまでに調合を終えること」

ダモクレスは、大きな砂時計を指した。
中には透明でキラキラと光る砂粒が入っていて、ホグワーツの得点を現す砂時計のようだった。
砂粒は今、ひとつぶ残らずに上へと持ち上がっている。試験開始と共にあの砂が落ち始めるのだろう。


「7時59分、55秒…56…」

アマンダが懐中時計を見ながら、時間をカウントする。

「57…58…59…」

彼女の声しか響かないその部屋で、カノンは自身の心臓がドキドキと音を立てているのがわかった。耳がカァッと熱くなり、指は未だに震えている。

「8時です、開始してください」

アマンダの合図と同時に、ダモレスクが杖で砂時計をつつく。
途端に透明な砂はさらさらと流れ始め、いよいよ試験が始まったことを告げた。
カノンは震える指で、銀色に光るナイフを持つ。彼女の隣には青年の姿をしたリドルが現れ、心配そうな目でカノンを見た。


『大丈夫かい、手助けしようか?』

半透明の彼が口にしたその言葉、カノンは僅かに首を振った。

ナイフを手の中で転がし、一度だけ目を閉じて深呼吸をする。
深く息を吸ったおかげで、嗅ぎ慣れた薬草の匂いが彼女の肺の奥まで行きわたる。

息を吐き終わった時、もう彼女の瞳に不安さは微塵も残っていなかった。彼女の指先は、いつの間にか震えを忘れていた。


「私はできる」と頭の中で唱え、いつもの自信に満ちた表情で調合を始めた。






***







試験が始まってから、3時間が経った。


結果から言うと、カノンは全てにおいて完璧な結果を残してみせていた。

実技試験では一寸の迷いも感じさせない手さばきで、見事に脱狼薬を完成させ、筆記試験に至っては、問題を読むとき以外羽ペンを一度も休ませないといった様子だ。
試験官はスネイプを除いて、皆揃って驚愕の表情をあらわにしていた。こんな天才が、ホグワーツで育っているなんて…と。

スネイプだけは満足げな目で、彼女をじっと見つめていた。



「筆記試験、終了です」

既に羽ペンを置き、2度目の確認をしていたカノンはスッと顔を上げた。
その表情は誰が見ても清々しいもので、彼女が自分の持ちうる全てを出せたのだと感じ取った。

「答案用紙を預かります」

席を立ったアマンダが、カノンの手元から長い羊皮紙を預かる。
その内容と、書いてある情報量の多さに目を見開いた。

「なんてこと…まぁ、素晴らしいわ」
「アマンダ、採点前に合格通知を出さないでくれよ」

ダモクレスがからからと笑いながらアマンダに声を掛ける。
当のアマンダは、ピンクの頬を更に紅潮させてカノンの顔を見た。

「よく頑張りましたね、一流の調合士に劣らないどころか、それ以上の結果ですわ!」
「ありがとうございます」

彼ら以外の試験官も、笑顔を見せながら口々に賞賛の言葉を発した。
カノンはそれに礼儀正しく応え、一人一人に軽く頭を下げた。


「さ、これで試験は終了だ。結果は今週中に梟便で発送するよ。皆さんも、本日はありがとうございました」
「実に素晴らしいものを見せて頂いた・・・若い才能が花開く瞬間とは、いつの時代も美しいものだ。お嬢さん、卒業の暁にはぜひ聖マンゴの専属調合士を目指してみてはどうかな」

一番端の席に座っていたふくよかな男性が、にこにこと機嫌良さそうにそう言った。
白いローブを着た彼は、聖マンゴの関係者なのだろうか。長い期間世話になったあの病室を思い出しながら、カノンは「ありがとうございます、光栄です」と笑った。

「いやいや、我々新薬研究機関にご就職されては? 日々新たな薬品を考え、研究し、実験する…彼女のような人材はうちにこそ必要だ」

もう一人の痩せた男性が、負けじと笑顔をみせた。すると、ダモクレスやアマンダがそれに反論し始めた。

「ほらほら、ここでスカウトするのはよして下さいよ」
「ええ、そうですわ! でも、魔法試験局はあなたのような人を待っていますよ」
「君は自分の言っていることが矛盾してるって、知っているかい? アマンダ」

大の大人4人がわいわいと騒いでいる姿は、なんとも奇妙なものだとカノンは思った。
その話題の中心が自分自身だと思うと余計にだ。席を立ったは良いが、どのタイミングで退室すれば良いのか。

カノンが迷っていると、試験官の席からするりとスネイプが立ち上がった。


「彼女の就職先について、ご心配は不要です」

低い声でそう言いながらスネイプは、カノンを自分の方へと寄せた。

「我がホグワーツ校は、新たな教師を常に募集しておりますのでな」

スネイプはニタリと笑い、そのままカノンを連れて部屋を出ていった。





「あの、教授」
「何かね?」
「どうでしょう、私の試験」

カノンがおずおずと問いかけると、スネイプは普段見せないようなきょとんとした顔で彼女を見た。

「よもや…あの騒ぎを見て、自分が不合格だとでも思っているのかね?」
「多分、大丈夫ですよね。そうだ、教授はどう思いました? 私、ちゃんと出来てましたか?」

彼女は、試験結果よりもスネイプの反応の方が気になるようだ。
不安げな表情を見て、スネイプは一度だけゆるりと瞬きをした。

「ああ。文句の付けどころが無い試験だった。僅かなミスも見受けられなかったな。まさか覚えたての脱狼薬を出題されるとは思っていなかったが、あれ程まで完璧に調合してみせるとは」
「え? 試験に出るから、教授が課題として出して下さったんじゃあ」
「そんな訳がなかろう。私とて今日初めて試験内容を知らされたのだ」

率直に言うスネイプに、カノンはあんぐりと口を開いた。
もし、彼が出した特別課題が脱狼薬以外の何かだったのなら、カノンは今日試験には合格しなかっただろう。

「教授の第六感、恐ろしいくらいに鋭いですね」
「お褒め頂き光栄だ」

カノンが素晴らしい結果を残したことが嬉しいのだろう。
スネイプは無表情ながらも機嫌よさげに、カノンの一歩前を歩いた。

「この後はポッターとアーサー・ウィーズリーと共に帰るのだったな」
「はい、懲戒尋問が終わったらここに来て下さるそうです」
「そちらも、もうじき終わるだろうな」

2人は魔法試験局の入り口付近で立ち止まり、壁に寄りかかった。




「そういえば」
「はい?」

何気ない口ぶりで話し始めたスネイプに、カノンが返事をする。

「7月31日の昼ごろ、どこかの悪戯娘が冒険に出かけたと聞いたが」
「うっ、な、何でそれを!」

あからさまに焦った表情で身を引いたカノン。先程までのにこにことした笑顔はどこへやら、青い顔に冷や汗を垂らしている。

「ルーピンだ」
「リーマス、言いつけるのが早い…!」
「すまなかったな」

スネイプの口から発せられた予期せぬ言葉に、カノンの思考回路が止まる。

「へ?」
「一ヶ月間、非常に肩身の狭い思いをしていたと聞き及んだ。予想していた事だったが、校長の言葉でも防ぎきれなかったようだ」

彼もスリザリン出身で、同じく肩身の狭い思いをしたことがあるのだろう。
精神的にも成長しきった自分でも煩わしく感じることを、年若い娘であるカノンが耐えていた。それを考えると、どうしても叱り付ける気にはならなかったようだ。

だがカノンは、薄く笑って肩をすくめた。

「あ…ええ、でも、良いんです。もう気にしないことにしましたから」
「次からは危険な憂さ晴らしに出る前に、一言連絡を入れたまえ。外に出かけたいのであれば私が付き添う。それならば安全だろう」
「ほ、本当ですか?」
「無論だ」
「次からそうします! あの、ごめんなさい、心配をおかけして」

相手がスネイプということもあってか、カノンはリーマスの時よりも素直に謝った。
スネイプは一度こっくりと頷いて、意地の悪い笑みを浮かべてみせた。

「そうだな。もし学校で、こんな危険な真似をおかす様なことがあれば、罰則が待ち受けていただろう。鍋一杯の角カエルの下処理でもして頂こうか? Ms.マルディーニ」
「そ、それなら1時間あればできます!」
「目を輝かせるな。罰則にならん」



数分後、魔法試験局にやってきたアーサーとハリーは生まれて初めて、眉間に皺の寄っていないスネイプの姿を目撃したとか。





prev * 94/115 * next