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ハリー、アーサーと別れ一人で試験会場となる魔法試験局まで歩くカノン。


スネイプから届いた手紙で道順を確認しながら早足の魔法使い達に混じって進んでいたが、如何せん人の数が多すぎる。
一歩間違えれば道順を見落としてしまいそうなこの状況に、彼女はひとつため息を吐いた。

カノンがもう一度手紙の文面を見たその瞬間、歩みが遅くなったせいか、後ろを歩いていた魔法使いが、勢いよく彼女にぶつかってしまった。
ドン! という強い衝撃と共に、人ごみの外へと弾き出されてしまうカノン。
手に持っていた手紙はヒラヒラと宙を舞い、彼女の元から消えてしまう。


「しまった、あれが無いと行き方が…」

人の群れから弾き出されたカノンは、目を凝らしながら羊皮紙を探す。
だが、行き交う人たちの影にまぎれてしまって中々見つからない。

彼女が半ば諦めて、誰かに道を聞こうか。と思案し始めたその時だった。カノンの真横に一人の男性が並んだ。


「お嬢さん、何か探し物でも?」
「あ、あの、大切な手紙を落としてしまって」

そう言いながら顔を上げたカノン。するとそこには、彼女が見知った人が立っていた。
黒いローブに身を包んだ、プラチナブロンドの男性…ルシウス・マルフォイだ。
ルシウスもまさか声を掛けた相手がカノンだとは思わなかったのだろう。薄灰色の瞳を僅かに見開いて、カノンの顔を見つめた。

「ルシウスおじさま、お久しぶりですね」

カノンはいたって平常に、笑みを浮かべて挨拶をした。公衆の面前で、あまり目立った受け答えをするのもどうかと思ったからだ。
彼にもその意図が伝わったようで、ルシウスは落ち着き払った声でそれに返事をした。

「ああ…元気そうで何より。手紙を落としたと?」
「はい、大事なものなんです」

カノンが困り顔をすると、ルシウスは何も言わずにステッキから杖を抜いた。そして呪文を唱えることなく、杖を振る。
すると、離れた場所から一枚の羊皮紙がひらりと彼の手に舞い込んできた。

「手紙とは、これの事で間違いないかな?」

ルシウスがそっと差し出した手紙を受け取り、内容を確認する。
魔法試験局までの道順が書かれたそれは、間違いなくカノンが探していたものだった。

「はい、これです。ありがとうございました」
「礼には及ばない」

にこやかに接しながらもどこか余所余所しいルシウスは、やはり先学期の事を思い出しているのだろう。
ヴォルデモート側に身を置くものとして、後ろめたさを感じるのも無理はない。

だがカノンからすれば、それは少し見当違いだった。
彼はマルディーニ家の秘密を仄めかすこともなく、庇ってくれた人物だ。
ハリーやカノンを傷つけた訳でもないし、セドリックを殺した張本人という訳でもない。

勿論闇の陣営に身を置く人だということは分かっているが、特に敵意を抱くべき存在ではなかった。


「おじさま、私これから魔法試験局へ行くんです。道順をご存じではありませんか?」
「魔法試験局?何か、試験を受けに行くのですかな」
「はい。スネイプ教授から推薦を頂いたので、魔法薬調合士の資格を取りに」
「ほう、素晴らしい。在学中においそれと受験できるものではない」

そう言いながらルシウスは何かを考え込んだ。
そして数秒後に、カノンと目を合わせてこう言った。

「幸い、試験局には何度か訪れた事がある。私で良ければ案内をしよう」
「お願いします! この人ごみで、よく道がわからなくて」

カノンはその申し出を快く受ける事にした。
即答でYESと答えた彼女にルシウスは一瞬驚いた顔をしたが、彼女の背に手を添えてエスコートした。







魔法試験局へと歩く最中、ルシウスが唐突に口を開いた。

「何故、私の案内をお受けに?」

先程とは違う、丁寧な言葉で話し始めたルシウス。
いつのまにやら耳塞ぎ呪文でも使ったのだろう、辺りには奇妙な騒つきが響いている。

「私がどういう人間か、貴女ならばもうご存知でしょう」

彼はカノンをちらりと見ながらそう問いかけた。
何故死喰い人である自分に、ほいほいと着いてきたのか。カノンは至極落ち着いた声で、その問いかけに答えた。

「確かに、おじさまはあちら側に居ましたけど…私を庇ってくださいました。カードの呪いはあれど、例のあの人に私の血筋を仄めかすことくらいは出来たでしょう?」

そう、あの墓場で彼はカノンの事をあくまで「マルディーニ家の令嬢」として庇いだてた。
そのお蔭でカノンは無事にあの場所から逃げ果せることが出来たのだ。

「おじさまの立ち位置はとっても複雑です。それを非難するつもりはありません。勿論こちら側の陣営に味方して頂ければ、こんなに嬉しい事はありませんが…」

カノンは一度言葉を切って、息を吸った。

「どうかご自身やご家族の安全を第一に考えて下さい。私の事は二の次で構いません」

強い瞳でニコリと笑いながら、カノンはそう告げた。
ルシウスはそんな彼女に大きなため息を吐き、安堵の表情を浮かべた。

「まさか…お守りすべき存在である貴女から、お気遣いを頂いてしまうとは」
「そんな、高尚なものじゃありません。ただ私は、親友やその家族が傷ついたら嫌だなって、それだけのことなんです」

カノンはそう言いながら、一枚の黒い扉の前で立ち止まった。
扉に付いたプレートには金の文字で『魔法試験局』と書かれていた。

「ありがとうございました、お蔭で15分前に到着できました」
「いえ、この程度、お礼を頂くほどの事ではありません」

彼女は礼儀正しく一礼した後に、ルシウスへと笑いかけた。

「それから、我が家の飼い猫がそちらにしょっちゅうお邪魔しているそうで…ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
「猫?」
「はい。それでは、ここで失礼しますね。道案内、本当に助かりました」


笑みを深くしたカノンは、するりとドアの向こうに姿を消した。

ドアの反対側で、彼女の言った「飼い猫」の意味を考えているルシウス。
カノンのアンクレットの中では、久しぶりに大人の姿になれた"飼い猫"が赤い目を不機嫌そうに細めていた。







***







カノンが部屋の中へと足を踏み入れると、そこにはキッチリと整理整頓されたデスクが並んでいた。

忙しそうに動き回る職員が、いきなり現れた少女に目を止める。


「おや、お嬢さん、ここに何か用かい?」

茶色のひげを綺麗に切りそろえた男性が、にこやかにカノンへと話しかける。
年のころは40代後半程度だろう、ひげと同じ色の髪には何本もの白髪が混じっている。
カノンのことを、ここで働く職員の娘とでも思ったのだろう。

カノンはにこりと笑いながら、彼に一枚の紙を差し出した。


「カノン・マルディーニと申します。"特別若年魔法薬調合士"の資格試験を受けに来ました。セブルス・スネイプ教授はこちらにおいでですか?」
「ああ! 君がそうだったのか!」

彼女が差し出した紙、魔法省と魔法薬研究長の署名が入った受験許可証を見ながら、目の前の男性は驚きの声を上げた。

「いやはや、この試験の受験許可が下りるなんて何年ぶりだろうね。おそらく20年ほど前に合格者が出たきりだ」
「20年前…それって、もしかして」
「ああ。君が今言っていた、Mr.スネイプだよ。彼は素晴らしい才能を持っている少年だった。もちろん今は立派な教授として、君のような後継者を育てているようだがね」


男性はおちゃめにパチリとウインクをしてみせる。目元に優しいシワが寄って、物腰柔らかな印象だ。

「僕は魔法薬研究長のダモクレス・マーカスだ。ここに名前が載っていたかな?」

男性、ダモクレスはカノンから受け取った受験許可証の署名欄に指を這わせた。
そこには確かに、彼が今しがた名乗った名前と同じサインが書かれている。


「さて、試験開始は8時からだったね! セブルスが別室に待機しているから、僕たちも行こうか」

カノンが返事を返す前に、ダモクレスは忙しなく彼女の背を押す。
部屋の奥にある薄い扉の前に立たせて、その扉を開けるようにと促した。





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