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カノンの密かな脱走劇から数日経った、蒸し暑さが続くある日のこと。

部屋に篭って飽き飽きした様子で本を読んでいたカノンは、部屋の外が騒がしいことに気が付いた。
男の子の怒鳴り声がうっすらと聞こえてくるのだ。この時間、騎士団員は会議中の筈だが…? と首を傾げたカノンは、パッと視線を動かしてカレンダーを見る。


「あ、今日、ハリーが本部に来る日?」
『20分くらい前に到着したみたいだよ』
「もっと早く言ってよ」

さらりと言ってのけるリドルにカノンが異議を唱えると、リドルは肩をすくめながら憎たらしく言い返した。

『僕が態々"ポッター君が到着したみたいだよ"なんて教えるとでも思ってるのかい? そんな胸糞悪いお知らせなんて、誰がしてやるもんか』

随分意地の悪い言い方をするリドルに、カノンは呆れ顔で言い放った。

「リドル、性格まで若返ってない? まぁいいや、ちょっと行ってくるね」
『性格までってどういう意味だい!?』

彼女の言うとおり幼い頬を膨らませるリドルを尻目に、カノンはスタスタと部屋を立ち去っていった。











カノンが玄関ホールに出ると、そこには眉間に皺を寄せたハリーが立っていた。

彼の後ろには困り顔のロンとハーマイオニーが、機嫌を伺うような顔でおろおろとしている。
きっと先程の怒声はハリーのものだったのだろう。カノンはすこぶる機嫌の悪そうなハリー目がけて、足を速めた。

「ハリー!」

自分の名前を呼ばれた事に反応したハリーが、鋭い目をカノンに向ける。
だが自分に向かって歩いてくるのがカノンだということを確認すると、その怒りは一瞬で影を潜めた。

「カノン」
「久しぶり!」

カノンは白々しくそう言い、ハリーに軽く抱きついた。
話を合わせろと言う無言の圧力を感じ、ハリーも素直に「久しぶり…」と呟いた。
パッと離れたと思うと、彼女は笑顔で「元気みたいだけど、機嫌は良くなさそうだね」と茶化した。

数日前と変わらぬカノンの姿に、ハリーの機嫌も落ち着いてきたようだ。


「その、カノンも僕たちと一緒だったんだ。ここで生活してる」
「ハリー、彼女もダンブルドアに色々と言ってくれていたのよ。貴方に何かしらの接触をするべきだ、とか…全て却下されてしまったけれど」

カノンに対しては態度を軟化させたハリーだが、ロンやハーマイオニーへの怒りが収まった訳ではないようだった。
変わらずに冷たい声でそれに言い返した。

「へぇ? そうなんだ。でも、カノンは誰よりも一生懸命になってくれたよ。この夏中で僕が会えた魔法使いは、彼女ただ一人だけだったんだから」

きっとムキになっているのだろう。
だが、ハリーが口にした事はカノンが秘密にしておきたかった事だった。

「会えた? どういうこと?」

怪訝な顔をしたロンが聞き返すと、ハリーはやってしまった! という顔でカノンを見た。

「あ…ええっと、ごめん、カノン」
「うん、まぁ、いいよ。流石に騎士団の誰かに知られたら面倒だけど」

カノンが額に手を当てながらそう言うと、ハリー、ロン、ハーマイオニーの誰かが口を開くよりも早くに言葉を発した人物がいた。

「成程…では、今から詳しく説明してもらおうかな?」

恐ろしい程に穏やかなその声の主…リーマスが、微笑みを携えて厨房の入り口の前に立っていた。

「ごめん、カノン」
「恨むから」






***








皆が厨房へと入ると、カノンは早々にダイニングテーブルへと座らされた。
その隣にはリーマス、そして反対側にシリウスが着席する。厨房にいた騎士団員も何事かと目を見張りながら、そのまま席へと着いていた。



「さて」

リーマスの放った一声。それはしっかりとカノンの耳に届き、頭の中に響いた。

「どういう事か、説明してくれるかな?」
「……ハリーの誕生日に、プリベット通り4番地まで行ったの」
「はぁ、君はもっと賢い魔女かと思っていたが…どうやら私の見込み違いだったようだね? 何故そんな勝手な行動をしたんだい」
「ごめんなさい。保護を受けている身で、自分勝手な事をして」

口ではそう言いながらも、カノンの声は反省の色が全く見えていなかった。自分のした事には一切後悔していない、と言わんばかりの目をしている。
リーマスはため息を吐きながら、更に彼女を問いただした。

「一人で行ったのか? 君は自分が保護下にあるという事の意味を、理解していないのかい?」
「理解はしてる。でも、頭で考えるとおりに行動できるほど、辛抱強くないの。ハリーに会いたかったのも事実だし、この屋敷に缶詰めになっているのにもうんざりだった」
「不満があるなら相談に乗るからと、最初に言ってあった筈だがね?」

リーマスが諭すように言うが、カノンはそれにキッパリと言い返す。

「そう、じゃあ『日の光が浴びたいの! 外の空気が吸いたいの!』って喚き倒せば解決した? 『騎士団の人が私を白い目で見るの!』って馬鹿正直に相談すればよかった? 人の印象なんて他者から言い聞かされた程度じゃ直らないんだよ。リーマスやシリウスたちがどれだけ言ってくれても、私は所詮スリザリン生なんだから」

もうカノンの表情に笑みは無かった。
リーマスが言葉に詰まったのを良い事に、カノンは饒舌に続けた。

「私がここに来てから何度言われたと思う? あいつも死喰い人と繋がってる筈だ、とか、碌な血筋じゃないから信用が置けない、とか…スネイプ教授との仲を邪推された時もあった。気にしないようにしてたけど、こんな人たちに囲まれながら24時間ここに居るのが耐えられない」

カノンが言葉を発するたびに、数人の騎士団員が気まずそうに身を縮める。

「手紙を出すにも、ドラコはダメ、パンジーもダメ! 親が死喰い人の可能性があるから? 私は友人に対して手紙を書きたかっただけなのに、それにすら文句言われるの! グリフィンドールは良くてスリザリンはダメ?純血連中のマグル差別と何ら変わらないよ。対立しておきながら、結局は全員同じ穴の狢ってヤツじゃない! これを全部逐一、報告して相談してたらいくら時間があっても足りないよ」

先程のハリーのように怒りを次々と吐き出すカノン。
リーマスも、彼女がそこまで嫌な思いをしていたとは思っても居なかったのだろう。
思えば彼女は、その屋敷に来てからほとんどの時間を客間に篭って消費していた。

「リーマスが私の事を心配してくれてるのは知ってる。今回の事もそう。間違いなく私に非があって、でもリーマスは頭ごなしに怒らないでくれてるのも分かってる。だけど、話し合えばすべて解決する、なんて言い方には共感できない。それを私に押し付けないでほしい」

そこに居る全ての人が、揃って難しい顔をしていた。
一番最初に冷静になったのは、意外にも怒りを爆発させていたカノン本人だった。彼女はその場に立ち上がり、リーマスと真正面に向き合った。

「ごめんなさい。勝手な行動をしたことと、反省もせずに反論した事。それと、八つ当たりしたことも謝ります」


硬い声でそう言い残して、カノンは厨房を後にした。







***








先程の騒動からしばらく経った今。

カノンは自室のベッドの上で、ため息を吐きながら自己嫌悪に浸っていた。

よりによって何故、自分を叱ってくれたリーマスにあれだけ八つ当たりしてしまったのだろうと。
彼は間違いなくカノンの身を案じて、尚且つ怒るのではなく諭してくれていたのに。
去り際に見た彼の青ざめた表情を思い出して、カノンは更に深いため息を吐いた。


すると、今年に入って何度目だろうか。
カノンの居る客間の扉が、控えめにノックされたのだ。

「……どうぞ」

そう返事をしたカノンは、そこから顔をのぞかせるのがリーマスではありませんようにと祈った。
だが彼女の視界に入った人物は、予想だにしなかった人だった。

「カノン、入っても良い?」
「ジニー? うん、もちろん」

さらりとした赤毛を垂らしたジニーが、遠慮がちに部屋の中に入ってきたのだ。彼女は部屋の中を見回して、あきれた様子で言った。

「相変わらず、ここだけは綺麗なのね」
「そうだね。クリーチャーのおかげだよ」
「ねぇ、カノン。あまり落ち込まないでね」

ソファに腰かけたジニーが、優しくそう呟いた。
カノンはどこからともなく現れた紅茶――きっとクリーチャーだろう――それをジニーに渡しながら聞き返した。

「落ち込む?」
「リーマスに言ったこと、気にしてるでしょ。カノンって大勢の大人の前で不満を言うようなこと、あまりしないから。嫌な事、沢山あったのよね」

ジニーはここ一ヶ月の間、カノンと寝食を共にすることで彼女の性格を少し理解したのだろう。
不平不満があっても、彼女はそれを軽率に口には出さない。口で言って解決する事だけを言う性格なのだ。

その彼女が、皆が居る場所で不満を爆発させた。カノンが冷静な顔の下で、どれほどのストレスを抱え込んでいたのかを悟ったようだ。


「でも、あれは完全に私が悪かったし…もう一回ちゃんと謝らなくちゃ」
「カノンがいう事も分かるわ。会うたびに嫌ーな顔されたら、誰だって人前に出たくなくなるわよ。それにハリーの所へ行ったことも、間違ってないと思うわ! マグルの世界に一ヶ月でしょ? しかもあっちの家族はハリーを苛めてるって、それって最悪じゃない。一つ文句があるとすれば、何で私も誘ってくれなかったのかって事!」

最後におどけるように言ったジニーに、カノンは感心した。
彼女は不平不満を言いながらも、空気を明るくする術を持っている。
これは確実にフレッドやジョージに似た部分だな、と考えると笑いが込みあげてきた。



「ふふ、ありがとうね、ジニー」
「ううん。お礼を言われる事なんてしてないわ。代わりと言ったら何なんだけど、今度は私の愚痴を聞いてほしいの!」

勢いよく身を乗り出したジニーに、次はカノンが黙って頷いた。

「下でね、さっき大騒ぎだったのよ。シリウスがハリーに、ある程度の情報をあげるべきだって言い出したの。ママはそれに猛反対だった。また成人もしてないんだからって」

ジニーは眉間に皺を寄せながら、怒涛の勢いで喋り続けた。

「結局ママが言い負かされて、ハリーには情報を教えることになったの。でも、それからフレッドとジョージが騒ぎ出して…ハリーは良くて、成人した俺らは駄目なのかって。それで2人が残ることになって、そしたらロンとハーマイオニーも」
「残るって言い出したんだ?」
「うん、どうせハリーが後から教えてくれるって言ったの。最後に、私にだけベッドに戻りなさいですって! 酷いわよねそんなの!」

眉と目を吊り上げて、頬をプーッと膨らませるジニーは怒っているのにどこか可愛らしい。
同じ頬を膨れさせる表情でも、彼女とリドルではこうも違うのかと思うと、カノンは再び笑いがこみ上げてきた。

「じゃあ、私と同じ、のけ者だね」
「そう! だからここに来たの。のけ者同士の2人だったら楽しくお喋りできるでしょ?」
「ぷっ…あははは、確かに」

カノンはジニーの言葉にとうとう噴き出し、声を上げて笑った。

「じゃあ、例の会議が終わるまで…お茶菓子でもいかが?」
「食べる!」

さっきまでぶすくれていたジニーが、カノンが取り出したタルトを見て目を輝かせた。
夕食の直後だというにも関わらずにタルトを見るジニー。彼女の胃袋にも別腹と言うものがあるらしい。


緊急会議が終わるまでの間だったが、数十分後にジニーは満喫した表情で部屋を去って行った。






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