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外から射す日差しの誘惑に背きながらカノンが自室で本を読んでいると、窓の方から何かコツコツという音が響く。
その音がする方に顔を向けると、外には白い梟の姿があった。


「ヘドウィグ?」

久々に見るハリーの梟。純白の羽と金色の目が美しいヘドウィグに、カノンが歩み寄る。
窓を開けてやると、ヘドウィグはスーッと部屋の中に舞い込み、椅子の背にとまった。

嘴にはハリーからの手紙を銜えている。
その手紙を受け取りながら、カノンは冷たい水とお手製のセサミクッキーをヘドウィグに差し出した。


『カノンへ
久しぶりだね、カノン。調子はどう?
君が少しでも元気になっていると良いんだけど。

夏休みに入って、僕は最悪の1ヶ月を過ごしています。
新聞は相変わらず、僕やダンブルドアを嘘つきの詐欺師だと言っているし
ロンやハーマイオニーからの手紙も、何だか余所余所しいものばっかりなんだ。
まるで今までの生活が夢みたいに思えてきて…毎年こう思うんだけど、今年は特にひどいんだ。
君から返事がもらえたら、きっと元気が出ると思う。
ヘドウィグも君に逢いたがってたから、そっちに着いたら撫でてあげて。
じゃあ、返事を待ってます。 ハリー・ポッター』



久しぶりに見たハリーの文字を目で追いながら、カノンは甘えるようにすり寄ってきたヘドウィグをゆっくり撫でる。

手紙を読み終わったので目線をヘドウィグに向けると、その白い羽が何だか汚れている事に気が付いた。
所々色がくすんでいるし、抜けた羽がくっついたままになっている部分もあった。

きっと魔法使い嫌いのダーズリー家では、ヘドウィグの手入れをする事もままならないのだろう。
そう考えたカノンはヘドウィグを膝に乗せて、優しい手つきで毛づくろいを始めた。
ヘドウィグはうっとりとした表情で、大人しくカノンの膝に乗っている。

「クリーチャー、いる?」
「はい、ここに。お嬢様」

カノンの呼びかけに、即座に現れたしもべ妖精。

トゥーラよりも肉付きが良く、年老いたその妖精は、ブラック家に仕えるしもべのクリーチャーだ。
彼はシリウスを始めとする騎士団員には反抗的だが、カノンに対してだけは従順だった。
その証拠に、この屋敷の中でカノンが使っている客間だけが完璧なまでに清潔なのだ。

「ヘドウィグの手入れをしてあげたいのだけど、ぬるいお湯とタオルを貰える?」
「かしこまりました」

クリーチャーがパチン、と指を鳴らして姿を消す。
すると数十秒後には、再びパチンという音と共に部屋の中へと現れた。
彼の持つ銀色の美しいボウルに、淡く湯気の立ち上る湯が入っている。
もう片方の手には銀盆に乗ったふわふわのタオルと、梟用のトリートメントがあった。


「恐縮ながら申し上げますと、その梟めは酷く汚れております。湯で綺麗にした後にこちらのトリートメントを使えば、毛並は更に美しくなりますでしょう」
「ああ、ありがとうクリーチャー。あなたはとっても気の利くしもべ妖精だね」
「お褒め頂き光栄でございます、お嬢様」

流石に名家ブラック家に仕えるしもべ妖精ともなると、言葉遣いもしっかりしている。
しわがれ声でブツブツと呟かれる悪口さえなければ、彼は完璧なしもべ妖精なのだ。

「ご用が有りましたら、またお呼び付けください」

その言葉を最後に、クリーチャーは速やかに部屋を立ち去った。
カノンはぬるま湯にタオルを浸け、優しくヘドウィグの羽についた汚れを拭った。
全ての汚れを綺麗にふき取り、トリートメントを羽に馴染ませてやると作業は完了だ。元々美しいヘドウィグは、更に白い羽を輝かせた。
ヘドウィグ自身もとても嬉しそうに「ホッホッ」と鳴き声を弾ませた。

「さてと、今から手紙の返事を書くから、少し休んでてね」
「ホーゥ」

彼女の言うとおり再び椅子の背に留まり、目を閉じたヘドウィグ。
カノンはそれを微笑ましげに見てから、新しい便せんに返事を書いた。


『久しぶり、ハリー。お手紙をありがとう。
 こちらはこちらで、あまり健全ではない夏休みを過ごしています。
 数週間外の空気を吸わずに生活するなんて、思ってもみなかった。

 実は今、ロンやハーマイオニーと一緒に居るよ。
 ただ、この場所についての情報は外部に洩らせないの。
 そういう誓いを立てさせられているの、ダンブルドア先生に。
 詳しい説明が出来なくて申し訳ないけど、もう少しだけ待っていてね。 

 心配してくれてありがとう、体調は悪くないよ。
 心の整理も少しずつだけどついてきたみたい。
 ハリーも、体を壊さないように気を付けてね。

 カノン・マルディーニ

 P.S.誕生日プレゼントはスペシャルな物を用意しておくよ』







***






カノンが手紙を書き終わり、部屋の中からヘドウィグが居なくなってすぐのことだった。

騎士団本部に、黒いローブを纏ったスネイプの姿があった。夏だと言うにも関わらず、相変わらず暑苦しい格好をする彼。
スネイプは手短に連絡事項だけ伝えると、わき目も振らずにカノンの居る客間まで足を運んだ。



「入るぞ」
「ええ、どうぞ!」

扉の外から聞こえてきた声に、カノンは声を弾ませる。
スネイプもダイニングルームでのしかめっ面を引っ込ませ、穏やかな顔で部屋の中へと入った。

「お久しぶりです、教授」
「ああ。先日の梟便で、脱狼薬を受け取った。完璧な出来だ」
「ありがとうございます!」

現代魔法薬の難関とされる脱狼薬を完璧に調合するという、快挙を成し遂げたカノン。
スネイプ自身も教師として鼻が高いのだろう。ご機嫌な様子で話している。

「脱狼薬の調合成功を機に、とある資格取得試験について検討した」
「試験?」
「"特別若年魔法薬調合士"だ」

スネイプが口にした言葉に、カノンがハッとした顔をする。

「知っているとは思うが…これは未成年の魔法使いが受験できる試験の中でも最難関のものだ。これを取得すれば、15歳にして一流の魔法薬調合士の称号を得ることが出来るばかりか、取引可能品目Bクラスの魔法薬材料を個人的に扱う事が出来るようになる」
「あの、でも、推薦が必要なんですよね、特級魔法薬調合士2名の」
「左様」
「スネイプ教授がその資格を取得なさっている事は知ってますけど、もう一人は?」

カノンがおずおずと問いかける。スネイプはニヤリと怪しい笑みを浮かべてそれに答えた。

「ホラス・スラグホーン氏に推薦を依頼した。私の師にあたる人で、彼も十数年前までホグワーツの魔法薬学教授を受け持っていた」
「うわぁ…私、そんな人に推薦を! 著書の"たまげた魔法薬とその効能"、最近の愛読書なんです!」
「知っていたか。ならば話は早いな。先日調合して貰った脱狼薬は、彼に納得させるためのテストのようなものだ。そして君はそれを見事に成功させた。薬を見たスラグホーンは、快く推薦状を書いてくれた」

スネイプが差し出した3枚の紙。
2枚は推薦状なのだろう。同じ文章が違う筆跡で書かれている。

"私、セブルス・スネイプは、カノン・マルディーニを特別若年魔法薬調合士に推薦する。"
"私、ホラス・スラグホーンは、カノン・マルディーニを特別若年魔法薬調合士に推薦する。"

単なる羊皮紙だったが、カノンにはそれが何よりもキラキラと輝いて見えた。
まるでホグワーツの入学許可証を受け取った時のような顔で、もう一枚の紙を読み上げた。

『我々魔法薬調合資格管理部は、2名の特級魔法薬調合士の推薦を受理致しました。
ここにカノン・マルディーニ殿の『特別若年魔法薬調合士試験』の受験を許可します。
魔法薬調合資格管理部 研究部長 ダモクレス・マーカス』


文章を読み切ったカノンは、震える呼吸を大きく吐いた。

「すごい…こんな、私、夢みたいです」
「本当に喜ぶのは、試験をパスしてからにしておきたまえ。夏休み中に試験日を設けるとのことだ。それまで努力を怠ることなく精進するように」

呆れたような、微笑ましいような顔で言うスネイプ。
だがカノンは、更に表情を明るくさせて彼に向き直った。

「はい! 受験できるのはとても光栄です。でも、スネイプ教授に受験を許して頂けたことの方が嬉しくて!」

幸せそうに頬を紅潮させるカノンは、これ以上ないくらいに心を込めて言った。
ただ、看板のような資格を取得できるだけの試験ではなく、これは取り扱いが危険だと言われる魔法薬や、その材料の取り扱いまでもが可能になる。

つまり、成績が優秀なだけでは駄目なのだ。
カノンがその危険な品々を悪用しない、ぞんざいに取り扱わないという確信を持っているからこそ、スネイプはこの試験を受けることを許したのだろう。


「ありがとうございます」

スネイプはカノンにつられるようにフッと笑い、彼女の肩に手を乗せた。

「君の努力や才能は、寮監である私が一番に見ている。頑張りたまえ」
「はい!」

カノンは大きく頷いたあと、感極まったのか勢い良くスネイプに飛びついた。
彼女が普段見せないような自由奔放な行動に、スネイプは再び驚きの表情を浮かべる。

幸せそうに笑うカノンの顔を見て、彼は静かに話し始めた。


「…先日、会った時よりも顔色が良くなったな」

その言葉に、カノンはシリウスとの事を思い出した。
彼が言った「泣いても良い」という言葉、そして「やりたい放題抱きついてやれ」と言った時の悪戯小僧のような顔。

カノンは一人で「ふふっ」と笑ったあと、スネイプに言い返した。

「人生の先輩にアドバイスを貰ったんです。自分のやりたいようにやれって。だから私、もう少し素直に行動してみようかなって思ったんです」
「成程…今まで散々我慢続きだったのだから、その位は許されるだろう」

今まで自分の弱点は見せず、人に頼るというとこも極力しなかったカノン。
その彼女が、どこかふっきれたような、スッキリとした笑顔を浮かべている事に安心したのだろう。

スネイプも穏やかな表情で、カノンの背に手を添えた。








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