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カノンができあがった薬を瓶に詰めている最中、部屋のドアがコンコンと音を立てる。手元を見ていた顔を上げ、カノンが「はあい」と返事をすると、扉からロンとフレッド、ジョージの3人が顔をのぞかせた。


「やあ…また変な薬作ってるの?」
「失礼な言い方はやめてよ、スネイプ教授から頂いた特別課題だよ。3人とも何か用?」

カノンの持つ瓶を胡散臭そうに眺めるロンとは正反対に、フレッドとジョージは興味津々な様子で鍋を覗き込んだ。

「また二人がアドバイスを貰いたいんだって。僕はそのカモフラージュさ。フレッドとジョージがこの部屋に入ると、ママってばすんごく気にするんだ。年頃の女の子の部屋に入り浸るんじゃありません! ってさ」
「その点ロニー坊やはそういう警戒をされないからな、便利なんだよ」
「なんだよ、もう一緒に来てやらないぞ」
「いやいや、褒めてるんだよロナルド君。君と言う優しい弟が居て、俺達は幸せさ」

フレッドもジョージも演技がかった口調でロンを褒め倒していたと思いきや、次の瞬間にはカノンの前に悪戯グッズを広げ始めた。

「今開発してるのが、これだ」
「ゲーゲー・トローチ!」
「半分食べるとゲーゲー吐き出し…」
「もう半分食べれば、症状が治る!」
「これを使って有意義な時間を過ごすのさ」

相変わらず息がピッタリだ、とカノンは感心しながら、2人が差し出したトローチを手に取った。
キラキラと光る飴のような見た目で、半分がオレンジ、もう半分が紫色をしている。

「でも一つ、由々しき問題がある」
「ゲーゲー吐くのは良いんだが、吐きっぱなしでもう片方が飲み込めないんだ」
「うーん…吐きっぱなしね。材料のリストはある? 調合手順は?」

カノンがそういうと、ジョージが2枚の羊皮紙を差し出した。調合手順が書かれた紙と、使っている材料の一覧表だ。

「今検討してるのは、ドクシーの毒液なんだ」
「うーん…ドクシーね…バイアン草のエキスが入ってるの? だったら乾燥遅咲菊を入れてみると良いよ。この2つは加工しても混ざり合わない性質だから、吐く・収まる、という効き目が交互に現れる。それから、解毒用のトローチにはハナハッカじゃなくて、マンドレイクの葉を入れればいいと思う。マンドレイク本体やハナハッカよりも安価だし、解毒に適しているからね」
「なるほど…ちょっとメモするから待っててくれよ…うん」
「ドクシーはどう思う?」

フレッドが羊皮紙の端にメモするのを眺めながら、ジョージがカノンに尋ねた。

「ドクシーの毒液を調合材料にしたことが無いからわからないけど、解毒剤はかなり複雑な薬だよ。試してみる価値はあるけど、試す時はまず私に声を掛けて。解毒剤を用意した上でやらないと」
「オーケー」
「今言えることはこれくらいかな」
「ありがとう、助かったぜ。早速改良だ!」
「また悩んだら聞きに来るよ」

ホクホク顔の2人が、カノンに手を振って姿くらましをした。バシッ! という音と共に、カノンとロンがその場に取り残された。


「大変だね、ロンも」
「分かる? いっつもあの調子だからね」
「で、ロンは何を聞きに来たの?」

カノンはロンが後ろ手に隠し持っていた羊皮紙を見て、問いかけた。彼が羊皮紙なんかを持ち歩くはずがないと思っての質問だろう。
ロンは少しニヤッとした後に、羊皮紙を差し出してカノンに見せた。

「魔法薬学のレポートなんだ。あと20センチあれば出来上がりなんだけど…何書けばいいかな。ハーマイオニーはレポートを見せてくれなくて」
「強化薬のレポートだったよね。見せて…うーん、なるほど。後は熟成期間について書けばいいんじゃないかな」
「熟成?」
「この薬は調合が終わった後に、ある程度の日数をおいて熟成させなきゃならない。熟成期間は薬の濃度によってまちまちだけど、3日から6日間。こっちの本に詳しく載ってるから参考にして。ええっと、確か78ページだよ」
「うわ、ありがとう。君がいて良かったって、そう思うよ」

カノンがロンに本を渡す。ロンは心底嬉しそうにそれを受け取り、彼女の言うとおりに78ページを開いた。

「これならあと20センチ、埋まりそう! じゃあ僕戻ってレポートを仕上げるよ」
「はいはい。また後でね」
「そうだ、ママが君を心配してたよ。食事の時以外はほとんど姿を見ないから、まだふさぎ込んでるのかって。後で声かけてあげてよ」
「わかった、ありがとう」





***






ロンが立ち去った後、カノンは耳に着いているピアスに触れながら一枚の写真を眺めた。


煌びやかなホールの中で、ドレスアップしたカノンと青年の姿がそこにある。
クリスマス・パーティの日にセドリックと撮った写真だ。

紙の中の彼はとても嬉しそうで、灰色の目を細めて立っている。
隣に立つ自分も楽しそうだな…と、カノンは薄く笑みを浮かべた。

今でも、ダイアゴン横丁に行けばどこからか彼が声を掛けてくれるような…そんな気がしてならないのだ。


だが現実は違う。彼はもう居ない。
それを思い出すたびに、カノンの胸中はどす黒い感情が渦巻き始める。

きっとロンもハーマイオニーも、他の誰も彼女が立ち直りつつあるのだと思っているだろう。だが、彼女は立ち直ってなどいなかった。

セドリック・ディゴリーの死から、一度も膝をついて立ち止まっていないというだけだ。
悲しみを表に出さず、胸の中をぐるぐる廻り続ける黒い感情に笑顔で蓋をする。
そうやって封じてきた心の傷口は、今や彼女が意識するたびにぐじぐじと膿み傷んでいた。

恐ろしいほどに無表情になったカノンは、焦点の合わない目を壁に向ける。
ぼうっとしばらく壁を眺め、そして唐突に自分が空腹であることに気づいた。

悲しい、苦しいと言いながらも、自分はまだ空腹を訴えるだけの元気があるのだ。


カノンはそう考えて、無意識のうちに自嘲の笑みを浮かべていた。







カノンが何をするでもなく座りこんでいると、再び扉をノックする人がいた。シリウスがカノンの昼食を運んできたのだ。
温かそうなサンドイッチを抱えたシリウスは、カノンの隣へと歩み寄って来た。


「腹が空かないか? 飯にしよう」
「ありがとう、ちょうどお腹が空いてきたところだったの」

さっきまで人形のように無表情だったカノンは、柔らかな笑みを口元に浮かべてシリウスを出迎える。
だがシリウスはその笑みを見て、眉間に皺を寄せた。

「お前な、気分でもない時に無理やり笑わなくても良いぞ」

驚くほどにアッサリとした口調で言われたその言葉に、カノンは目を丸くした。

「…何で?」
「何でって、俺だって気分じゃない時くらいしょっちゅうある。そんな時にニコニコしろなんて言われたら、苛つくし、しんどいだろう」

シリウスはサンドイッチの乗った皿をサイドテーブルに置き、どこを見る訳でもなく喋り続けた。

「お前…ちゃんと泣いたか?」
「泣く?」
「やっぱり、泣かないでここまで来ちまったんだろ」

カノンはシリウスが何を言いたいのか、イマイチ理解できずに悩んだ。
だがシリウスは、至極当たり前の事を言う顔で喋り続けた。

「お前くらいの年ごろの女の子はな、辛い事とか悲しいことがあったら泣くのが普通だ。大泣きして、疲れて眠って、んで次の朝にはスッキリ起きる。そうやって心の整理をつけてくモンなんだよ」

彼ははそう言いながらカノンの頭を撫でた。

「確かにお前は、同じ年の魔女よりも大人っぽいし頭も良い。でも、感情を封じ込めて健全でいられるほど、大人じゃないだろう」

話を聞きながら、カノンは不可解そうに眉根を寄せた。
するとシリウスは自分の言葉がむず痒くなってきたのだろう、突然カノンを抱き寄せて腕の中へと閉じ込めた。

「いいから、泣け!」
「そんなに突然言われても」
「あれからセドリック・ディゴリーの事を思い出したか? ちゃんと気持ちの整理をつける機会を、作ったのか?」

シリウスの温かな腕に抱かれながら、カノンはセドリックとの写真を思い出した。

ダンスパーティの時は楽しかった。あの場所にいた誰一人として、彼が命を落とす事になるとは思ってもいなかった。
優しくカノンをリードする彼の手が、今でも鮮明に思い浮かべられる。

ホグズミードでデートした時も、寒さに弱いカノンを常に気遣う優しさがあった。
思えばホグワーツに向かう列車の中で、一番最初に知り合った在学生だった。
常に優しく、誠実で、傍にいると安心感に包まれるような、男の子。

カノンは、最後に彼と話した時のことを思い出した。
今まで何故か思い出さなかった、あの記憶。

きっと彼女の心が、思い出すことを拒否していたのだろう。
あの時のセドリックは確かに、優しく笑いながら彼女に「大好きだ」と伝えていた。

純粋でひたむきな言葉を思い出すと、カノンの両の瞳からあたたかい雫があふれ出てくるのが分かった。



「私、何で忘れてたんだろう。セドリックは自分の気持ち、伝えてくれてたのに」
「思い出したら泣いちまう。そう思って今まで封じ込めてたんだろ。ハリーはダンブルドアに全てを話して、そのモヤモヤしたものと向き合った。でも、お前にはそのチャンスが無かったんだ」
「私、まだ、彼がどこかから、声を掛けてくれるような、そんな幻想を見てた」
「そうだな…そう思いたいよな」

自分も親友と呼べる存在を亡くしているからか、シリウスの声も少し揺れている。カノンの言葉に共感する部分があるのだろう。

「そんなの、もうあり得ないのにね…」

ぐすりと鼻を鳴らしながら、カノンはシリウスの背にしがみ付いた。

苦しげに泣くカノンだったが、彼女が感じているのは胸の中にあったドロドロとした感情が、溶けて涙と共に出て行くような感覚。
そして、頭や背中を擦るシリウスの掌の感触がカノンを癒していくような、そんな優しいものだった。


「私、泣くの、下手くそだ…」
「ああ、滅茶苦茶な」


僅か数分後には涙は止まり、どこかスッキリとした表情のカノンが居た。
彼女の背をぽんぽんと叩いていたシリウスが、数分ぶりに口を開く。


「どうだ、すっきりしたか?」
「…うん、びっくりするくらい」

慣れない事をして泣き疲れたのだろう。腫れた瞼をぼーっとあけながら、カノンはぼんやり呟いた。

「いいか? 泣くってのはな、何も悪い事じゃないんだよ。地面に這いつくばって、思いっきり泣いて、それから立ち上がりゃいいんだ。それが難しいっていうなら、俺や他の大人に縋り付けばいい」

カノンが涙に濡れた目でシリウスを見上げる。
彼はキラキラとした眼差しを真っ直ぐにカノンへと向けて言った。


「お前の大好きなスネイプだって良いんだよ。自分のやりたい放題に抱きついて、悲しかったら頼ればいい。あいつも、それを望んでるんじゃないのか」

スネイプの話題になったと途端に、叱られた悪ガキのような顔になるシリウス。
カノンはそんな顔を見て、何故だか先生に叱られた時のドラコを思い出した。

先程まで大人の包容力を見せていた彼が、こんな表情をするんだなぁと思ったカノンは思わず笑い出す。
彼女が浮かべた明るい表情に、シリウスも柔らかな笑顔へと変わった。


「さて、昼飯でも食うか。幸いここには、美味いサンドイッチが沢山ある」
「うん。モリーおばさまの料理、いっつも美味しいから楽しみだなぁ」
「それ、直接言ってやったらどうだ? よく気にしてるぞ。あの子は良い家の子だから、きっと私の料理は口に合わないわって」
「…お皿、下げる時に言うよ」
「そうしてやれ」


その20分後には、カノンからの感謝の言葉に歓喜しながら、厨房で嬉しそうに大量のお菓子を作るモリーの姿が発見されたとか。





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