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私の意思などお構いなしに震える手で弓を引く
静かな道場内、それとは正反対の鼓動
全身が心臓になってしまったみたいにうるさい
風を切る様に矢が真っすぐに飛んで行って、ストンと的に突き刺さる音が鮮明に聞こえた
ヒュッと息を吸い込んでまた構えの所作へと戻ると、ため息が聞こえて私は的からそのため息の主の方へと振り返った。


「…あ…」
「お疲れさま、相変わらずすごいね」
「すみません、部外者なのに勝手に」
「レイヴン先生から聞いてる。それにしても、こんな形でまた見ることになるなんてね」
「はは…不純だよね、みんな真面目に弓道やってるのに」
「理由はどうあれ、私は高瀬さん見れるの嬉しいけど…?」


不純かぁ、そうとも言われちゃうのかな。とぼそりと呟いたのは編入したての頃に一悶着あった時任マキさんだ。
クラスが同じになった訳ではないのであまり話すことはないが、あの一件以来すれ違えば挨拶をする程度にはなった。
私が今いる場所は、学校の弓道場
昨日強気な先輩に啖呵を切ってしまったこともあって、その状況を見ていたからかレイヴンが弓道場の一画で練習をしていいと許可をくれた。なので今は弓道部の部活にお邪魔中なわけで
特に邪険に扱われる訳でもなく、弓道部の皆さんの気遣いも感じつつ横でいそいそと行射をしていた所で時任さんに話しかけられたのだった。
休憩しないかと誘われて道場の外に出て額に滲んだ汗を拭う
その時に視界でチラついたのは自分の手だ。自分の気持ちとは裏腹に震える手を握りしめてペットボトルの蓋を空けようとすると、視線を感じて道場の方へと目線を移すと私の方を何人かの部員の人が見ていた
視線を浴びることは最近多々あるけれど、敵視や嫌悪感を含んでいる感じではない視線に首を傾げると時任さんが口を開いた


「1年前のこともあったり、弓道やってれば貴女のこと知ってる人も多いから貴女が道場にいるのが不思議なんじゃないかな。話しかけたいけど集中してるから話しかけられないみたい」
「わ、私そんな話しかけにくい…?」
「的を睨みつけてたからね。アイツは話しかけれるから勇者だとか言われてたけど」
「あぁ…ヒカル。ヒカルは中学の後輩だからかな」
「言ってた言ってた。…それにしても手はまだ震えちゃう?」
「…うん。今回は挑発されてつい…啖呵を切ってしまったから…なんであんなこと言っちゃったんだろうって思ってるけど、でもやるって決めたから今回だけ」
「文化祭だけかぁ。勿体ない、高瀬さんならいつでもエースになれるのに」
「そんなこと!時任さんのもさっき見てたけど、私なんかより!」
「おんやぁ、随分珍しい2ショットね」


聞き慣れた気だる気な声が後ろから聞こえて振り返るとレイヴンがいた。
気だるさはあれどいつもよりも背筋が伸びて凛とした雰囲気のレイヴンに思わず私は目を止める
隣にいた時任さんが、お疲れさまです。と一礼をしたので、そこで慌てて私もそれに習うとレイヴンはクスリと笑った
普段と雰囲気が違って見えるのは、レイヴンが白衣ではなく弓道着を着ているからだ
なんだか気恥ずかしい気がして頬に熱が集まって行くのを堪えようとすると、レイヴンが私の姿を上から下に眺めて目線を逸らしながら笑った


「なーんか普段の姫ちゃんじゃないみたいでおっさんドキッとするわ〜」
「先生、それセクハラですー」
「なっ!時任ちゃん!違うんだって!!」
「生徒のことそんな目で見るなんて」
「ちょ、ま、まって〜!」


時任さんはそのまま茶化しながら道場に戻って行ってしまって、慌てた様にレイヴンもそれに続いて行った
なんだ…私だけじゃなかったんだ
そう思ったら今度は本当に頬が熱くなって来て、熱が冷めるまではもう暫く休憩することにした。

ふうっと一息ついて平常心に戻った頃に道場内へとまた戻る
壁に立てかけたままだった私の弓を手に取ってレイヴンは弦を掴んでグイッと引き分けていた


「せんせ?」
「あ、姫ちゃん。勝手にごめん」
「いえ!私の弓なにかありましたか?」
「いや、ちょっと気になって。大事にしてるから」


案外手に馴染んだのかレイヴンはなんだか少し名残惜しそうに弓を私に手渡そうとしてくれた。
そういえば、成り行きで道場へは数回来たことはあるけれど、私は弓道をしているレイヴンを見たことがなかった。
なかなか弓を受け取らない私を不思議に思ったのか、弓を見つめたまま俯く私の顔を少し心配そうに覗き込む
目が合ったレイヴンに期待の眼差しを送ってみせると察しがついたのか顔が少し引きつった


「私先生の行射見てみたいんですけど…?」
「…暫くやってなかったのに皆中しちゃうような子に見せる代物ではないわよぉ…」
「でも、名門校の顧問の先生じゃないですか…?」
「…ちょっとだけね…」


思わずガッツポーズをしてみせるとレイヴンは困った様に笑いながら私の弓と矢をもって射位にについた。
レイヴンは一息ついて足を組み開いたと同時に道場内の空気とレイヴンの雰囲気が変わった
あまり生徒の前で行射を行うことがないのか、レイヴンが的を見据えているのを他の部員たちも動きを止めて見つめている。
道着姿を見た時も思っていたけれど、所作を始めたレイヴンはいつになく凛としている
ピンと伸びた背筋、道着の袖から覗く血管の浮いた腕、的を睨みつけるように見つめる目
いつものレイヴンとはかけ離れた清廉された雰囲気に思わずドキリとした
それは弓道人としてなのか、恋人としてなのか
恐らく両方だ、
レイヴンから放たれた矢は真っすぐに的へと飛んで行く
タンッと深く的に矢が突き刺さる音が聞こえて、的を見つめればしっかりと心臓部に矢が突き刺さっている
二射目の動作へと移るレイヴンから目が離せない
呼吸をするのすら忘れてしまう。見惚れるとはこういうことをいうんだろうな
また小気味いい音を的が立ててやれやれとレイヴンは振り返った
二射目は心臓部よりも少し上の方に刺さっていた。どうやら矢が浮いてしまったらしい
本人は納得のいってなさそうな表情だけれど、レイヴンの腕前を知るには十分すぎる行射だった。
私のみならず、部員たちの視線が自身に集まっていることに気が付いてか、ちょ、みんな見過ぎ!!と照れ隠しのように清廉な雰囲気から普段の雰囲気へと変わる


「いやー久々にやるとやっぱダメだわ〜。姫ちゃんってばやっぱ凄いのね」
「…ずるぃ…」
「へ?」
「わ、私も練習します!」


おねだりをしたのは自分だと言うのに素っ気なくレイヴンの手から弓をとってすぐさま射位へとついた。
こんなの詐欺だ
予想を上回るレイヴンの腕前と、雰囲気に圧倒されてしまったのだ
純粋に弓道人としての尊敬と、恋人であるレイヴンの知らなかった一面がどうもツボで練習をしている時とはまた違う意味で手は震えるし鼓動が高鳴る
弓構えをして的目がけて弓を引いて矢を放てば、さっきまでは調子が良かった筈が的から外れた位置に矢が刺さった。
脳裏にレイヴンの姿がチラついて、浮かれてしまっているのか集中力は散り散りになって行く
もう一射、ともう一度構えて見てもどことなく力が入っていないような、いわば骨抜きにされてしまったような、そんな気がして一度後ろを振り向いてみればレイヴンが私の行射を真剣な眼差しで見ていた
そんな真剣な表情にまたドキリとして、慌てて前に向き直って見ても照準が合いそうにない。弓を持つ手が震えて満足に引けていない。

「…もっと胸開いて、右肘が少し下がってる」
「 ! 」
「深呼吸して、ゆっくり肩甲骨から肩で引く。そうそう」

投げやりに矢を放ってしまいそうになった直前に肩に背後から手が回って来て心臓がドキリと跳ねる
私の心情を知らずにレイヴンは弦を持つ私の手を補助してくれた
逆に集中出来ないのでは…?と思いつつ
耳元で囁かれる指南にくすぐったさを感じつつも耳を傾けて深呼吸をすると、不思議と鼓動は冷静さを取り戻し始めた。
さっきまでの乱れは何処へ行ったのやら、気が付けばトラウマで止めることが敵わなかった手の震えすらも止まった。
十分に引き分けられた弦から矢を離すと今度はしっかり的に突き刺さる
後ろを振り返ると満足そうにレイヴンが微笑んでいる
他の練習の妨げにならないようコソリと口が開いた


「なーんか余計なことでも考えてたんでしょ?」
「うっ」
「姫ちゃんは俺様の指導はいらないほどの腕前だと思ってたんだけど、様子可笑しかったから」
「せ、先生が悪いんです…!」
「…ちょい詳しく聞きたいから今日は俺の部屋で待っているように」
「! 分かって言ってますよね…!?」


ニヤリと笑ったレイヴンは私の考えていた余計なことに察しがついたらしい
恥ずかしくなって今日はもう練習にもならないような気がして私はそそくさと道場をあとにした。





「それで、道場でおっさんの見た後に形が乱れたのはなんでかなぁ?」
「…」
「姫ちゃんが見たそうにしてたからおっさん頑張ったのになにも言ってくれないし」
「…レイヴンのいつもと違う雰囲気にドキドキしただけです…」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの!」
「道着姿も、所作も、弓道の腕もかっこいいって思って意識したら…なんか…」
「ちょ、ちょまって!そんな一気に言われたらなんか俺も恥ずかしい」
「ずるいじゃないですか…みんなが注目するくらいかっこいいとか私聞いてませんっ!」
「おっさんそんなつもりは!あーもう…。…とりあえず一緒にお風呂でも入る…?」
「…入る」
「まじで!?」


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