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期末試験が終わって春休み。
私はバイトに明け暮れていた。エステルは親戚の家に遊びにいってしまったしレイヴンは部活の顧問と新入生を出迎える為の準備に追われているからだった。
よくよく考えてみれば去年の今頃のレイヴンは暇そうに…女の人と逢瀬を交わしていたような気がするけれどそれでもそこそこ忙しくしていたらしい。
ついこの間来年度も私の担任になれればいいのになぁなんてぼやいていたから本人も次に受け持つところはまだわかっていないようだ。
私も出来ることならレイヴンだったらいいのにと思う。勿論一緒にいる時間が長ければ長いほど嬉しいっていうのもあるけれどそんな下心だけじゃなくて、担任の先生としても申し分なかったからだった。


「姫ちゃん、休憩して頂戴!」
「あ、はい!いただきます!」


店長がゆっくり食べてね。と笑いながら賄いを準備してくれた。夜の営業までもう少し、今日は金曜日だから多分混むだろうね。だとか他愛もない話をしながらご飯を口に運ぶ。
バイトを連日いれているからか、レイヴンと付き合っていることをなんだかんだで知らない店長は年頃の女の子なのにもっと遊ばなきゃ!なんて母のように心配し始めている。
愛想笑いを返して夜の営業までの後一時間ほどを何をして過ごすか考えながら私は思い切り伸びをした。


△△△



案の定今日の夜の営業は満員御礼だった。
やっとこさ客足が引き始めて常連のお客さんたちと会話する余裕が出来て来た。
チリンとドアベルが鳴ってゆっくり振り向いて笑顔でお客さんを出迎えればジュディス先生とその後にレイヴンが入って来た。
2人一緒にここに来るのは久しぶりだ。なんだかんだでジュディス先生は初めてレイヴンと一緒に来てからたまに立ち寄ってくれている。


「こんばんは」
「ジュディス先生、レイヴン先生いらっしゃいませ!」
「姫ちゃんおつかれ〜」
「こちらにどうぞ、コートもお預かりしますね」


2人分のコートを受け取って、おしぼりを渡せばメニューを見ずに2人は”いつもの”と声を揃えてニコリと笑った。
ふとレイヴンの右手に包帯が巻かれているのに気が付いて思わず私はギョッとした。
それに気が付いたのかレイヴンは反射的に右手を背中に隠して何事もなかったかのように笑う。


「…せんせ、その怪我どうしたんですか?」
「ん、まー大したことないって!これはジュディスちゃんが大げさに巻いただけ!」
「あらおじさまったら。血が止まらなくて少し焦っていたじゃないの」
「部活でなにかあったんですか…?」
「あー…ちょいーっと弦を引きすぎたというか…」
「!先生行射したんですか?」
「ちょいと雑念がね…おっさんも引退かしら」
「雑念…?」
「ん、…いや後で話すわ」


ジュディス先生はレイヴンがいう雑念の意味をわかっているようにクスクスと笑っていた。
首を傾げてみればジュディス先生は、私のことは気にしないで話してあげればいいのに。と少し複雑そうに眉を下げる。
もしかしてジュディス先生には私たちの関係を話したのだろうか。リスクをただでさえ抱えているのにと一瞬不安感が過り表情が一瞬曇ってしまい察されないようにすぐに笑顔を貼付けてみせたがジュディス先生は大丈夫、誰にも言わないわ。
安心するように私に言葉を投げかけたのでやっぱりジュディス先生は知っているらしい。
返答をしようと頭を捻ってもどうにも言葉が出てこず、丁度店長が料理の配膳のために私を呼ぶ声が聞こえてペコリと頭を下げてカウンターの方へといそいそと私は戻っていった。
学園の弓道部はインターハイ常連校だ、その顧問をしているレイヴンもまた有名なのは確かで出会ったあの時はまさか同一人物だなんて思いもしなかったけれども
レイヴンもまた弓道の名手と言っても過言ではない。そのレイヴンが雑念が過って行射で弦を引き加減を誤って怪我を負うなどと言うことがあるのだろうか。
たまたま弦が傷んでいたなんてこともあるのかも知れないけれどメンテナンスはしっかりやっているはず。
その雑念というのはあまり良い話ではなさそうなのと、ジュディス先生はいつから知っていたのかを考えると途轍もなく悶々としてしまった。


「す、すみません…」
「あらあら…姫ちゃんったら珍しいわね」
「本当にすみません…」
「まあ…今は常連さんだけだったし売り上げもよかったから…次から気をつけてね」
「はい…」


やってしまった。悶々としてしまった所為なのか常連さんのお会計を済ませたのはよかったけれど追加注文分の伝票を一枚合算しないまま会計を済ませてしまった。
そこまで大きな金額でもないから、常連割みたいなものだよと宥めてくれる店長と裕樹さんの優しさに更に罪悪感が増してしまいへこへこと私は頭を裏で下げ続けていた。
休憩はそれなりに取っていたけれど昼間からバイトに入っている疲れが出たんだといつもよりも早めに休憩にまで入れてもらう始末で賄いのご飯を覗き込んで深くため息をついた。
雑念を抱いているのは私の方じゃないか…さっきまで順調だったのに勝手に悶々としてミスをして、意図せずしてその悶々の発端となってしまったレイヴンの所為にするなんて自分勝手だ。
何はともあれレイヴンが雑念によって怪我をしたというなら私も雑念によってミスをした。これは揺るがない事実だ。
頬っ面を少し強めに叩いて、注文が落ち着いている今なら交代すれば店長か裕樹さんのどちらかも休憩に入れるはずだと賄いをせっせと口に運んだ。気持ちはやめだけれどもちろん味わって


△△△


「今日は本当にお疲れさま、ゆっくり休んでね」
「なんなら明日は休んでも良いんだよ?」
「いえ、ちゃんと明日も来ます!店長たちもゆっくり休んで下さいね」


お疲れさまでした!と笑顔で返せば心なしか2人はほっとした顔で笑顔で手を振ってくれて見送られながら店を後にした。
レイヴンはすぐそこまでジュディス先生を見送るとかで少し先にお店から出て行ってしまっていたけれど、すぐ近くで待っていると先程連絡が来ていた。
お店から少し離れた電柱に寄っかかる見慣れた人影目がけて小走りをして近づくと足音で気が付いたのかマフラーに顔を埋めて寒そうにしたレイヴンが振り返った。


「お疲れちゃん」
「ありがとうございます、待たせちゃいました?」
「いんや、ついさっきここまで戻って来た所」


その割には寒そうに震えている彼は本当に寒がりな男だ。
暖をすぐさま取りたかったのか慣れた手つきで右手で私の手を掴んでポケットに一緒にしまわれてしまった。
暦上ではもう春だというのにまだまだ冬の寒さからは逃れられないらしい。レイヴンの手は冷えきっていて、普段ならポケットの中で手を撫ぜられると言うのにピクリとも動かなかった。
傷を負って包帯の巻かれた手を私が逆に優しく撫でてみれば困ったように笑われた。


「あ、ごめんなさい…傷みますか?」
「だいじょぶよ、寧ろ姫が撫でてくれたら治っちゃうかも」
「私にはそんなミラクル起せませんって…」
「どうだかねーおっさんは姫ちゃんがいると元気になるけど」
「そ、それはよかったです…ところで…」
「…あー…うん」


歯切れの悪そうにどもらせると寒いし家に帰ってからにしようと諭された。
聞きたいことは2つある。それは多分レイヴンもわかってくれているはずだ。
黙々と歩いているとすぐに家について着替えることもなくレイヴンの家に上がり込んだ。バイトの予定しかなかった私はラフな格好だし特に問題もない
上着をかけてベッドに座ると温かいコーヒーをレイヴンが出してくれたので小さくお礼を言って隣に座る姿を眺めた。


「もう聞いてもいいですか?」
「まずジュディスちゃんにはこの怪我の理由と一緒に話さざるを得なかったのよ、でもジュディスちゃんは大丈夫よ…元から知ってたみたいだし」
「も、元から!?」
「俺が姫のこと気になり始めた辺りからいろいろと察してたみたいよ、ほら…ジュディスちゃん聡いから…」


そういえば以前2人でお店に来た時も、「あなたが想像しているような関係ではないわよ」と言われたことがある。
考えてみれば全部ジュディス先生はお見通しだったのかも知れない。
レイヴンとジュディス先生は歳こそそれなりに離れてはいるけれど赴任されてから仲良しらしく相談事に乗ってくれることもしばしばらしい。


「とりあえずジュディス先生のことはわかりました!私も何かあったら相談に乗ってもらうことにします」
「おっさん妬けちゃう」
「女同士のってあるじゃないですか…」
「ま、そういうことにしておく。そんでね…」


話し辛いと顔に出てしまっているレイヴンの顔を覗き込んで、私の喉がきゅっと締まった気がした。
少し考えて口を開こうとしてはまた噤んでの繰り返しを何度かして頭を少し乱雑に掻いて私に目線を合わせる。


「…あのー、ヒカルって後輩いたじゃない?」
「え、はい?」
「いたのよ」
「へ…どこに…?」
「学校に」
「えっ!ヒカルが…?なんで…?」


動揺する私の手を握るレイヴンの手に薄ら手汗をかいているような湿り気を感じた。
動揺しているのは多分私だけではないのだ、答えは頭の中で出ているのにそうであって欲しくない気がして喉で支えていた。


「…スポーツ特待生なんだと」
「それって学園の…?」
「そうみたい」
「せんせ…どうしましょ…もしヒカルにバレたら…」
「姫ちゃん落ち着いて…大丈夫だから俺がなんとかするから」


あって欲しくなかった現実になんだか背中の辺りがぞわりとして、名前ではなくて思わずせんせ、と言ってしまった。
実家の方へ戻っている時にレイヴンといるのをヒカルに見られてしまっている。
あの時はレイヴンが咄嗟に親戚(みたいなもの)と言ったのでその場は凌げたけれど、ヒカルが学園に入学するとなっては話が変わってくる。
もしヒカルが私たちが一緒にいたことを回りに風聴してしまってはすぐにボロが出る、レイヴンも私もただでは済まないだろう。
レイヴンはヒカルが弓道場へ見学に来ていて成り行きで行射をし、怪我を負った。”雑念”の正体は恐らくそういうことだったのだろう。
頭の中で悪い事ばかりが巡ってしまってレイヴンに声をかけられているのに気が付かなかった。
そんな私を見かねたのかレイヴンは優しく抱きしめてくれて、小さく大丈夫だからと声をかけてくれた。



▽▽


「お久しぶりですね」
「…少年って…」

意味有りげに笑みを浮かべられて少し嫌な予感がした気がした。






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