はじめましてクラッカー

「マ〜マッママ! ナマエじゃないか!」
「……え…? リンリン?」

 べらぼうに広いこの海で、元奥さん? に再会するってのはどのくらいの確率なのか。



 『この世界』を俺が認識したのは、奴隷みたいに首輪と手錠を付けられて倉庫に放り投げられたときだった。
 俺は平凡に小中高大と生きた普通の男だったはずなんだけど、とこうなる直前記憶を辿って見れば、わりと大きなトラックが俺に迫っていたので、これはある種のトラ転ってやつだなと秒で理解した。ハイハイ二次元でよく見た。珍しくない珍しくない。
 しかしまあ。埃っぽい室内で嗚咽を漏らす男達に囲まれながらこの世界の『俺』の記憶を辿れば、元の世界が嘘のように『俺』はなんとも波乱万丈な生き方をしたらしい。
 時代の流れで孤児になって、生きるために海兵になった。海兵ってブランドだけで下っ端でもそこそこの暮らしが出来てたし、勤め先のある町の娘と結婚なんかしちゃったりして、幼い子どもまで持つことが出来た。一人ぼっちのスタートを考えれば幸せすぎて怖いくらいだった。
 でもこんな倉庫に、こんな状態で入れられたこと考えれば、後はお察しというやつで。
 どこぞの海賊に屈した俺の務める海軍支部は、それを隠すために何十人かの海兵をその海賊に差し出すことになったらしい。それも既婚者、いっちゃえば種のある海兵を何十人も。平和の為に差し出さなければならない、そう支部のお偉いさんはいった。
 『俺』や倉庫にいる男どもは、そんな耳触りのいい建前と、海賊に屈したという醜聞を隠したかったお偉いさんの裏取引の果てに、嫁と子どもを殺されてここまで連れて来られた。
 いやいや、嫁と子どもは関係ねーじゃんと思ったが、どうやら相手の海賊は、いたぶるためとかそんなんじゃなく、本当に種馬として海兵をよこせと宣ったらしいので、異母兄弟的な存在がいるとよろしくないらしい。それで悲しいことに、『俺』は家族を失った。
 『俺』は、その悲しみに心が壊れてしまったんだと思う。そこにトラ転を果たした俺が入り込んだのが、倉庫で顔を赤らめたり青ざめさせたりしてる今に繋がるわけだ。

 え〜……俺ちゃんとセックスできるかな。

 現実を受け止めた俺が思ったのは、まずそれだ。
 普通に生きてきた俺にも恋人はいたが、当たり前に普通の付き合いしかして来てないし、『俺』は嫁一筋だったので、女性とはいえ海賊を満足させられるようなテクなんぞ持ってない。
 というか海賊とセックスしなきゃならないとか……幼児じゃないほうの俺の息子が反応してくれるかどうか……あっだから倉庫から連れてかれたお仲間さん達が戻って来ないんですね把握。
 そんなことを考えながら悶々としていると、お仲間さん達はどんどん少なくなっていく。一晩に五人とかいなくなったり、気づいたら舌を噛んで死んでたりと周りはずいぶんな有様だった。
 でもなァ。こんな状況でも、俺は生きたいんだよなァ。
 例え『この世界』が、俺の常識なんかがはるかに通用しない摩訶不思議な世界であっても、せっかく生き延びられたんだから、もう少し長生きしたい。
 嫁も子どもも殺された『俺』からしたらもう死にたいくらいかもしれないが、嫁も子どもも記憶の中だけの存在で、俺には遠すぎて、死にたい理由にならない。
 だからちょっと頑張ってみよう。やっと俺の番になって呼び出された夜に、そう決意をしたのだが。

「美人さんすぎでは??」
「あァ?」
「あ、いや、こっちの話なんですが…………。え、本当に俺なんかが抱いていい相手なんですか貴女」
「……ママッマ〜マッマッマ! オマエ面白い男だねェ!」

 ゲラゲラ笑う、これから俺が抱かなきゃならない海賊さんが美人過ぎた。
 俺みたいな平々凡々な男が相手にして貰えるはずがないような、ほんと、いやマジで美人だった。
 なぜお仲間さん達はこの女性に息子が反応しなかったのか……あ、一応、敵みたいなもんだからか……いやしかし美人だな。

「退屈しのぎにはなりそうだ! オマエ、名前は?」
「ナマエ、です」

 好みのタイプとかそういうんじゃなくても、まるでハリウッドスターみたいに美人な女性にのしかかられて、息子が反応しない男はいるのだろうか。いやいない。
 正直にあまり経験がないことも申告したけど、美人さんはとても面白そうに爆笑しただけで許してくれた。心広すぎか。いや俺があんまりにも情けない顔したのが面白かったんだろうけど。

「オマエの髪の色もいい。明るいところじゃラズベリーマカロン、暗いとこじゃブルーベリージャムみてェだ!」
「つまり紫と」

 リンリンと、名前を呼ぶことを許されるようになった頃には、そんな軽口をきける程度には仲良くなった。
 ただ、あくまで彼女が欲しかったのは子どもで、俺はただの種馬だったから、夫婦とかにはならなかったんだけど。
 でもそこそこ気に入って貰えてたらしくて、子どもが出来たとわかった後も、処分されることなく命を残したまま捨てられた。
 ありがとうリンリン。多分、貴女以上の女性に相手をして貰えることは今後ないだろう。そういえば、彼女は高笑いをして海に出て行った。

 それから、もう10年近く経った。

 海賊に売られた俺に帰る場所なんてなくて、でも海兵になれたくらいだからと、手についたスキルで細々と賞金稼ぎをして、日々を食いつないでいたんだけど。
 そんな中、この新世界でまたリンリンに会うことになろうとは、まったく思ってなかった。
 誤解がないようにいっておくけど、リンリンの海賊団に手を出したんじゃない。たまたま、俺が捕らえた海賊団がリンリンに喧嘩を売った相手だったらしく、総出で追っかけていたんだとか。
 ああ、邪魔しちゃったな、ごめん。じゃあどうぞ。捕まえた相手を差し出せば、マ〜ッマッマッマと懐かしい高笑いで受け取られる。
 ここで会ったのも何かの縁だ、とついでに誘われたお茶会に一つ返事で頷いて船に乗れば、ちらほらと子どもの姿が見えた。
 そういえば、俺の子どももいるんだっけ。思って視線を流せば、ちょうど紫色の髪が目に入って。

「…………リンリン」
「ビッグマムと呼びな!」
「失礼、ビッグマム。あの、あそこの、あの子は、」
「あァ……クラッカー!」

 突然呼ばれて、ビクッと肩を震わせた子どもが、でも気丈に目を吊り上げてこちらを睨む。
 周りの子どもは兄弟なのだろうか。べろっと舌を出した子や、口にキバが生えた子に背中を押されながら、手招きするリンリン、ビッグマムに近づいてきた。
 紫色の髪、きつい眼差し、どう考えても俺の子だ。

「俺とオマエの子だよ」
「は」
「名前はクラッカー。あと二人いるがね」
「え、三つ子?」
「あァ」
「へァ〜……」

 やっぱり、と思う反面、俺の子! と驚いて固まれば、脅威の三つ子だと告げられる。
 なんてことなくいってるけど、三つ子って珍しくないんだろうか。俺の常識とか価値観だと、結構珍しいんだけど。
 しかし。
 こちらをじっと見上げてくるこの、この子。

「可愛いすぎやしないかこの子」
「えっ」
「髪色と目付きは俺に似てるけど、顔立ちはビッグマムに似てる。よかったな、こんな美人なママに似た顔で」
「うえっ」
「口も大きい。ビッグマムの子なんだし、お菓子好きだろ? いっぱい食べれる口で良かったなァ」

 うん。正直にいおう。
 俺の子どもがとんでもなく可愛くて、頭がバグった。
 許可もされてないのに近づいて、しゃがんで、頭をわしわし撫でた後にほっぺたを手で包んでぐりぐりしちゃうくらいバグった。
 びっくりして目を丸くした俺の子ども、クラッカーはぽかんと俺を見上げている。
 あ〜〜意味わかんねぇくらい可愛い〜〜〜。
 俺の子どもだから可愛いのはもちろんだけど、この子が例え俺の子じゃなくても可愛い。たぶん。

「ビッグマム、ありがとう、ありがとうございます。こんな可愛い子を産んでくれてありがとう!」
「マッマママ! 相変わらず頭のおかしな奴だ!」
「えっ……俺のことそんなふうに思ってたの」
「俺のせいで嫁やガキが死んだってのに、恨み言一ついいやしねェしなァ!」
「それ今いう?」

 クラッカーが体を強ばらせちゃったじゃないですかやだー!
 これは色々知ってるか、知らなくても物分りのいい子だな? おそらくご兄弟も顔を固くしてるぞ??
 前から思ってたけどリンリンそういうところある……ベッドでも嫁のことさんざん聞かれた……面白半分に嫁の具合はどうだったか聞かれた……そういうところある……。
 まあリンリン、ビッグマムが人の気持ちが分からない女性だってのは今に始まったことじゃないので、ため息一つついてクラッカーの頬をムニムニする作業を再開した。

「それはそれ、これはこれでしょうよ。例え俺が貴女に何か思ってようと、何が出来るわけでもないし。そういうの、この子には関係ないじゃん」
「関係ねェことねェだろうよ! オマエは俺と子作りするために、嫁やガキを殺されたんだ」
「何か思ってんのかって聞いて欲しいとこだよそこは。だからさァ、それは俺と貴女の問題で、この子には関係ねェでしょ」

 それが、ひいてはクラッカー達が生まれたことに繋がろうとも。
 この子達が俺らの子に生まれたくてそうなったわけじゃなし、なんでそういういい方するかな。
 バグった頭は沸騰しやすくて、思わず、本当に思わず、ついうっかり、俺はビッグマムを睨み上げてしまった。

「リンリン。それ以上、俺の子にケチつけんな」

 そんなセリフつきで。
 それに、クラッカーが今までの比じゃないってくらい体を震わせた。
 おそらくのご兄弟も膝をついてたし、なんなら視界の端っこで、何人かの船員がひっくり返ってるのも見える。
 バタンドタンっと音をたてて倒れていくそれらに、俺はやっちまったと慌ててクラッカーを見るが、顔色が真っ白だ。
 ああああそうだよなごめん! ビッグマムに逆らうなんて怖い真似するやつなんて、そう見ないよな! 俺の命知らずな行動も、もしかしたら目の前で俺が死体になるかも知れないってことも、まだ子どものクラッカーには怖すぎるよな!!

「っああ! ごめんごめん怖かった?!」

 ごめんよと謝りながら、どさくさに紛れてクラッカーをぎゅうぎゅう抱きしめた。
 あ〜〜お菓子の匂いがする〜〜〜甘い香り〜〜天使かよ〜〜〜。
 スリスリと頭を寄せていると、ほう、みたいな声がビッグマムから漏れたみたいだけど、そんなことを気にする余裕はない。
 ごめんねごめんね、と謝りながら、抱きしめたり撫でたりしながらクラッカーをあやすので精一杯だった。

「マッママ……おい、ナマエ」
「何? 俺いま忙しい」
「オマエ、ウチに入んな」
「……何て??」

 ウチ、とは?? 家庭に入れってことでしょうか??? いやクラッカーの面倒見れるなら主夫でもよいけど。
 思って首を傾げていると、ビッグマム海賊団に入れ、と高圧的に笑いながらいわれる。
 あっこれ覚えがある。断れないやつだ。

「え、え〜……俺の立ち位置難しくない? 元夫?? だよ???」
「構いやしねェさ。使えるなら文句はねェよ」
「いや他の船員が……って、貴女にそれいってもわかんないか……」
「嫌なのかい?」
「嫌っつーか」

 クラッカーは気まずくないんだろうか。いきなり父親が出てくるとか。いや、父親と認識されるかどうか、だけど。
 ビッグマムから視線を外してクラッカーを見れば、マジで? マジで?? みたいな顔で俺を見ている。
 ばちり。視線が合うと、かぁーっと顔を赤らめて、俺を睨むオプションつきで。

「……クラッカー達の世話係としてならぜひ、」
「戦闘員だよバカが!」
「わかってるよ! 戦闘も略奪もちゃんとやるけど! でも世話係もしたいし、そうだ、護衛も俺がしたい!」
「あァ?!」

 この子は俺が守る! 目覚めた父性というか、推しへの尊い気持ちにも似た何かでそう叫べば、ビッグマムが鬱陶しいといわんばかりの顔で俺を睨む。
 うへ〜美人の睨みとか迫力ある〜ゴチです〜…………でも訂正する気はない。

「安心してよ。守るとはいうけど、弱くていいとは思ってない。戦闘訓練だって、俺がやるよ」
「戦闘訓練?」
「この可愛い子が、クラッカーが何不自由なく生きていけるだけの強さはあげるつもり」

 俺がそんなこといえるくらい強いかどうかはわかんないけど! でもビッグマム本人から誘われるくらいだし、弱くはないんじゃないかと思う!
 根拠のない自信でそういえば、俺の考えることはわからない、とばかりにビッグマムが手を振った。

「わかったよ。ったく面倒なやつだ。その条件でいい、船に乗りな」
「喜んで!」
「いっとくが、俺に逆らうような子に育てるんじゃないよ?」
「ハハッありえねェ。子が母親を嫌うなんて、よっぽどのことがないと出来ねェんだよ?」

 本当に人の気持ちがわかんない女性だな。
 呆れていい返せば、ビッグマムも呆れたように俺を見返してくる。
 俺がビッグマムを理解できないように、きっと彼女も俺を理解できないんだろう。普通に出会って夫婦になったんだったら、即離婚だったかもな。
 思いながらクラッカーに向き直って、自然と湧き上がってくる笑みを浮かべた。

「と、いうわけだから、よろしくクラッカー」
「……、」
「あ、ビッグマム。俺のことはお父さんとかパパとかいわせないほうがいい感じ?」
「好きにしな」
「じゃあ好きに呼んでね。俺はナマエだよ」
「ナマエ……」
「うん」

 やっぱり名前呼びか。
 ちょっとはお父さんとか、パパとか呼んでくれないかと期待したが、まあ無理かと諦める。
 それをおくびにも出さずに、にっこりと笑って頷いた。
 するとクラッカーは、じっと俺を見て、ふいっと視線を外す。

「……ナマエ」
「なあに、クラッカー」
「ナマエ、」
「うん?」

 どうしたのかな。何かいいたいのかな?
 思っても急かさずにいれば、もじもじと手を動かしたクラッカーが、ちらりと俺を見上げて。

「ナマエ……と、ぉさん……っ」
「なぁにクラッカー!!」

 あ〜〜〜可愛いがすぎるっていってんでしょ〜〜〜〜。
 返事をするのと同時に抱きしめて、うりうりと頬を擦り合わせる。
 なんでもいって! なんでもいって!! なんでもするから!!!

「あ〜〜! 俺の子がこんなに可愛い!」
「ぅわ!」
「うるっさいよ!」
「ごめんビッグマム! クラッカー、お部屋はどこかな? 俺もそこに行っていいのかな??」
「おい誰か! この頭のおかしい男を隔離出来る部屋を用意しな!」
「ええ……いい方……」

 興奮して抱き上げれば、目を丸くしたクラッカーが俺を見下ろしてくる。体を腕に乗せて固定してやれば、慌てて頭に抱きついてくれた。マジ可愛い!!
 悶えていればビッグマムに怒られたので、早々にどこかへ……部屋ってクラッカーの部屋行っていいのかな?? いえば間髪入れずにビッグマムが怒鳴るので、部屋は別らしい。親子なのに。頭おかしいって隔離って。
 凹みつつ、クラッカーを抱いたまま船内を誘導されて歩く。おそらくご兄弟がチラチラとこちらを見てくるのは、弟が心配なのだろう。君らもおいで、と手招けば、顔を見合わせた後でついてきた。

「クラッカーは、お菓子何が好き?」
「、ビスケット」
「じゃあ、たっくさんビスケット用意して貰おうね。ビスケット食べながら、いっぱいお話しようね」
「…………してやっても、いい」

 さわさわと、俺の髪を触るクラッカーはきっと、その髪色と髪質から、本当に俺が父親だと再確認したんだろう。
 おそるおそる、でもちょっと強い力で、ぎゅうっと頭に抱きつかれる。
 俺がすぐ捨てられたことを考えても、たぶん、クラッカーやご兄弟達に父親やその代わりになる存在はいなかったはず。
 ビッグマムが母親を、ちゃんとした母親をやってるとも思えないし……彼女は、悪くいいたくはないけど、いい女性だけど、いい母親ではない。
 だったら、せめて俺だけでも、父親らしくいれるかはわかんないけど、でもバカ親くらいにはなれるはずだ。
 そう思って、クラッカーの背中をぽんぽんと叩いた。
 そういや、三つ子だっていってたね。後で他の子も紹介してね。そう思いを込めて。

「今日から俺がお父さんだよ。よろしくね、クラッカー」
「……よろしくしてやってもいいぞ!」

この子本当に可愛いな!!!






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