はじめまして希望

※いつも以上に暗くてシリアス
※クラッカー少なめ


 元の世界でよく聞いた話だけど、浮気されてとき、男は恋人を憎んで、女は浮気相手を憎むんだという。あくまでそういう人が多いんだよって話なんだろうけどね。
 さて俺はというと。
 すべてが憎いタイプだよ。

「船を近づけなァ!」

 ママの号令で動き出した母船は、ふらふらと逃げ腰だったのを一転させて、岸へ猛然と進み始める。もちろん、飾り程度に出撃していた海軍の軍艦もいたが、昼時ですべて下がってしまっていた。
 そもそもこちらは腕に覚えのある海賊団で、あちらは怠惰を覚えてしまった海軍。最初から、持力が違う。
 岸ギリギリに近づいた母船から大砲が撃ち込まれたのと同時に、俺は刀一本だけを持って甲板から飛び出した。最初は、俺だけ出撃させてくれる予定だから、後を追う船員はいない。
 しかし、岸ギリギリとはいえ、まだ距離がある。飛び出した俺を咎めるように呼ぶ声が、あちらこちらから上がった。

「父さん頑張れ!!!」

 非難するその中に子ども達の声はなくて、ただ一人だけ、クラッカーが俺を励ます声が背中に届く。他の二人も、同じように叫んでくれている気がした。
 信じてくれてありがとう。お父さん、頑張るからね。思って空を蹴れば、ぐんっと体が上昇する。
 正真正銘これがはじめての、俺の月歩のお披露目に、ハァッ?! と驚く声が母船から聞こえた。
 六式とまではいかないが、『俺』は五式使いで、鉄塊以外のすべてをそれなりに使える。鉄塊は、防御に優れてるのはいいけど、動けなくなるのが使い勝手悪くて、マスターできなかった。
 このままいけば将校だって夢じゃないなって、死んだ仲間にいわれたこともある。それくらい、『俺』は優秀な海兵だったんだ。
 それが、復讐のために所属してた支部を襲うようになってしまったのは、本当に、無能な上司達の責任だと自分のことながら思うよ。
 そのまま月歩で岸の上空まで歩いた俺は、海軍の仮設テントに向かって足を振り下ろした。五式まで使える、鉄塊以外使えるってことは、嵐脚だって使えるってことだ。
 俺の嵐脚を二度三度と撃ち込まれて、仮設テントは脆くも崩れる。中にいた海兵達は、突然の事態に武器を取ることも忘れて、我先にとテントから這い出してきた。
 その中に、見知った顔を見つけて目の前に降りれば、驚愕に青ざめた顔が見上げてくる。

「久しぶり。かつての友人殿」
「おまっお前、××××!」
「あァ、懐かしい。『俺』のファミリーネームだった名だね」
「なぜお前が、」
「理由が検討もつかないというのなら、説明も面倒だから、死んでくれていいよ」

 信じられない、という表情は、俺が指銃で心臓を貫くまで変わらなかった。
 彼は、俺が海賊になったことを知らなかったのだろうか。ビッグマム海賊団に入ったことは隠されているのだろうか。手配書、見てなかったのだろうか。ちょっとだけ疑問だ。
 まァ隠してるなら上層部は相変わらずクソだなと思うけど、それはそれ。俺が海賊に売られたことは知ってただろう? 知らなくても、免罪符にはならないので容赦なく死んで頂いた。
 たぶん、ちょっと地位のある海兵だった元友人が殺されたことで、周りの海兵達が悲鳴を上げて逃げ始める。こういうところが、本当、腐ってんなァって思うよ。

「逃げてんじゃねェよ腰抜け共! テメェらの後ろに、戦う力のねェ市民がいることを忘れたのか!」

 一喝しても、悲鳴がひどくなるばかり。元海兵の『俺』が、俺の中でさめざめと泣くのもしかたないって話だ。なんてことだ。お前らが守らないなら、市民達は絶望の中で死んでいくしかないというのに。
 せめて、海兵さんが頑張ってくれたけど、相手が強くて勝てませんでした。でも海兵さんは頑張ってくれたのでうれしかったですって思いながら、市民達に死んで貰いたかったんだけどな。なんでたすけてくれないのって、絶望の中で死んでいくのか。
 かわいそうに。思いながら、また一段高く飛んで、嵐脚を繰り出す。背を向けて逃げる海兵を殺すのは、向かってこられるよりは楽だけど、でも追わなきゃならないからちょっとだけ大変だった。
 大体の海兵の胴を半分にしたり、首と胴を別れさせていても、応援は来ない。代わりに、海軍基地のほうでちょっと大きな地鳴りみたいな音がした。
 知ってる音だ。ドーム型に形成される基地の門を閉めて、敵が中に入って来れないようにした音。新世界の海軍支部だから、普通のところよりも頑丈な壁で覆われて、それは広い訓練広場を囲むように作られる。いざというときに、市民が逃げ込むためのシェルターみたいなもんだ。
 それを、市民なんて一人も保護してない状況で展開させやがった。
 ポケットに入れてた小型の電伝虫を起動させる。

「ママ、聞こえますか?」
『ママママ。あァ、聞こえてるよ。助けが必要かい?』
「いいや。海軍支部が基地の門を閉めやがった。俺はこれから特攻するけど、市民達はそのまま置き去りになってる。町の賑わいを見るに、一般市民でもそれなりに金を溜め込んでそうだ。略奪がオススメだけど、俺は市民まで殺してる暇ないから、どうか一人残らず、皆殺しにして欲しい」
『マ〜ッマッマッマッ! 了解だナマエ』
「あとごめんだけど、もし息のある海兵がいたら殺してね。基地から大砲を撃ち込まれる可能性もあるから、それも気をつけて」
『あァ。楽しんできな』
「ありがとう、ママ」

 海軍は、もはや市民の安全や命など関係なく攻撃してくるだろう。見捨てた以上、市民が生きてて困るのはあちらのほうだ。それを踏まえてママに伝えれば、激励とともに電伝虫を切られる。
 よし、と電伝虫をしまって辺りを見回せば、まだ息のある海兵がいたので殺しておいた。ひぃっと声がした先には、こちらを伺うような市民達。
 逃げないなんて、バカだなァ。

「はじめましての方も多いかな? ビッグマム海賊団戦闘員のナマエだよ」

 胸に手をあてて一礼すれば、話がわかる奴とでもと思ったのか、引き攣った笑顔を向けてくる。
 俺が海兵さん達を殺したの、見てなかったの? 聞く前に、一番前にいた奴を指銃で撃ち殺した。にっこり。笑顔で。

「邪魔だから、どいてくれない?」

 途端に悲鳴を上げて、蜘蛛の子を散らすように市民達が逃げていく。子ども連れがやけに目につくのは、僻みからだろうか。
 あの子が死んだのに、なんでお前の子は生きてるんだという『俺』の憎しみが、腕を、足を動かしているのだろうか。
 答えは出ないまま、海軍支部のある丘に向かって走った。道すがら、目についた市民を殺して。
 丘には、クラッカーと見たように、慰霊碑がある。一番腹立たしいそれを、しかし今壊すことはせずに、ひらりと手を振った。

「……あとでね」

 そして基地を守るように展開された壁の前に立てば、中から怒号を乗せた放送が聞こえてくる。
 大人しくお縄につけ的なそれを、強靭な壁に守られながら叫んでいるのが、滑稽で、バカみたいで、本当に憎かった。
 この壁を越えてこれないって思ってる? 残念でした。この壁を壊すために、俺は強くなったんだよ。
 思いながら足を上げれば、一瞬、視界がブレて。

『いざとなったら、基地に逃げなさい。お前やその子を、海軍が守ってくれるよ』

 なんて。
 そんな、バカなことを口にした『俺』と、赤ちゃんを抱いて、なら安心ね、と笑いながら頷く女性が見えた。
 それが、泣き叫ぶ赤ちゃんの声と、青ざめた女性の顔に変わって。
 次の瞬間に、銃で撃たれた二人が地面に倒れ伏したのが、見えた。
 泣き叫びながら二人を呼ぶ『俺』の声が。抑えつけられて、二人を助けられなかった、俺の悔恨が、耳に刺さる。
 ああ。
 本当に、お前達はもういないんだね。

「……かえせよ」

 それをいったのは、『俺』か、俺か。
 わからないまま、衝動のまま嵐脚で壁を蹴り砕いた。一発では無理だったけど、二発、三発と入れていけばヒビが入って、怯えたような声を遮って、支部を守る壁が轟音とともに壊れる。
 途端に悲鳴を流し始めた放送なんて耳に入らないまま、俺は支部に向かって嵐脚を繰り出した。壁よりも何倍も柔い支部は瞬く間に崩壊して、瓦礫が降る中逃げようとする海兵がたくさん出てくる。
 戦うことよりも自分の命を優先する海兵を蹴り殺していれば、何度か銃で撃たれたけど、それは俺には当たらずに同じ海兵を撃ち殺した。
 混乱状態のときに銃を乱射するなんて、バカのやることだよ。教えてやる代わりに命を取って、見聞色の覇気を使い、辺りを調べた。
 どうやら俺がいたときと同じく、この支部から出るための裏口のようなものはないらしい。背後が崖になった丘にあるという立地条件が、脱出経路を限定してしまい、それを直すこともなく今に至っている。
 本当に怠惰な海軍だ。基地に乗り込まれたら逃げ場がないから、どうぞ殺してくださいといわんばかりじゃないか。壁も壊されちゃ、その残骸で外に逃げることだってできない。
 俺は逃げ惑う海兵達をひとまず放置して、支部に足を進めた。崩れかけた内部に入る直前、年老いた海兵達が固まって出てくる。
 俺を見て、まるで幽霊を見たような顔をした。

「××××曹長……!」
「久しぶりですね、大佐殿。今は昇進されたかも知れませんが、そう呼ばせて頂きますよ」
「何故貴様が生きている! 死んだはずじゃなかったのか!」
「殺された覚えはありません。まァ、自殺しそうな顔をしてたから、殺されなかっただけかも知れませんがねェ」
「き、貴様、こんなことをして、ただですむと思うなよ!!」
「そんなことより。大佐殿のおかげでこの支部は、新世界で一番腐った支部だといわれてるそうじゃないですか。海賊に賄賂を渡して、表向きは優秀だと取り繕ってる支部だと」
「それの何が悪い! 新世界を生き抜く上では、そういった策も必要なのだ!」
「俺がいうのもなんですが、海兵が海賊に媚びたらお終いでしょうに」

 賞金稼ぎをやってる間に、この支部の悪い噂はたらふく聞いた。海賊に媚を売る恥知らずな海軍支部。それを正そうとした正義感のある海兵達は軒並み粛清の目に合い、俺がいなくなった頃に残っていたわずかな手練達は、みんな海兵を辞めてしまったと。
 それでも表向きは優秀だったから、市民から不満の声が上がることはなく、海軍本部からの視察も、定期的なもの以外なかった。
 だから腐敗は見つからず、こうして、たかが五式をちょっと使えるだけの俺一人が、潰せるほど弱ってしまった。
 こんなものを守るために、『俺』は売られたんだ。

「許せないんですよ大佐殿。アンタ達のような腐った奴らのために、『俺』の幸せが犠牲になったのかと思うと。アンタ達が憎くてしかたない」
「おっ俺は関係ないぞ! お前など知らん!」
「取り巻きどもは黙ってろ」
「でっでは謝罪しよう! お前にしたことすべてを詫びる! それでいいだろう!」
「……はァ? いいわけねェだろ。頭に蛆でもわいてんのかテメェ」

 なんかしゃべってるうちに、気持ち悪ィし、頭痛くなってきた。コメカミを押さえれば、視界のブレがひどくなる。
『俺』の目線に切り替わりそうで切り替わらない、そんな感じだ。
 まるで酔っているかのようなそれに耐えていれば、銃撃音とともに銃弾が肌を掠めた。顰めた目で音の出処を睨めば、ガチガチ震えた海兵が俺に銃を向けている。
 お、お逃げください! なんて叫ぶのは、新人だからだろうか。そいつにふらふらと近寄って、怯えてそれ以上動けないそいつを指銃で撃ち殺せば、元の上司が嘆くように叫んだ。

「クソッタレ! 使えない奴め!」

 自分の命を捨てて上官を守ろうとした部下に向かって、そのいい草かよ。
 かつて『俺』も、そういわれて、売られた。

「ーーー……もう、いい」

 そのまま一息で元の上司に走り寄り、首を掴んで持ち上げる。喉を圧迫するそれに、驚いた元の上司が、かはかはと詰まった呼吸をしながら俺の腕を掴んだ。
 死にたくない、死にたくない!
 締まった喉を震わせて、顔中から冷や汗と涙、よだれを零して、一瞬で見られない顔になったそいつは叫ぶ。
 その顔を見ながら、殺したくてしかたなかった奴を見ながら、俺は口を開いた。
 ああ。やっとだ。やっと、殺せる。
 罵声や怒声が出るかと思って開いた口から、ぽつりと心が落ちた。

「かえせよ」

 彼女を。あの子を。

「おれにかえせ」

 幸せだった日々を。

「おれの、家族をかえせ」

 あの温もりを、かえしてくれ。

 カチリ。
 まるでピースがハマるように、視界のブレがおさまる。
 ああ……そうだったのか。
 『俺』は、それが辛かったのか。
 納得がいったと同時に、俺の刀が、深々と元の上司の胸を貫いた。
 いつ抜いたのか俺にもわからないし、苦しめて殺したかったけど、もう、どうでもよかった。
 投げ捨てた元の上司の体は、べしゃりと音を立てて基地の広場を滑っていく。怯えた海兵の叫び声も、命乞いをする取り巻き達の姿も、ぜんぶぜんぶ、もうどうでもいい。

 あの幸せは、もう戻らないのだから。

 そこからの記憶は曖昧だ。
 この世界に来てからはじめて噛み合った『俺』と俺の思考が重なって、次々に俺に殺されていく海兵達を視界に入れながら、でも頭も心も空っぽで、それをぼんやり見ているような状態だった。確実に俺がやってることなのに、実感がまるでない。
 俺は、何を、どうしたかったんだっけ。
 その状態はわりと長く続いて、気づけば周りにもう息のある奴はいなくて、支部も崩壊してて、俺も浅いものだけど傷だらけで。
 そうして俺は、瓦礫の山と成り果てた慰霊碑の前に膝をついていた。
 かたく、固められた土を両手で掘っていく。市民達が蹂躙される音も悲鳴も、残っていた火薬に引火して海軍支部が爆発した音も衝撃も、オレには関係ないみたいに掘った。
 爪が剥がれて血が滲んでも、爆発の衝撃で吹き飛んだ瓦礫が当たっても、関係なく、ただただ掘り続ける。
 そうしているうちに、指先がかたい箱のようなものに当たった。下を目指して掘っていたのをやめて、上にある土をできるだけ退かすと、それはやっぱり箱で、鍵のかかっていない蓋が簡単に開く。
 中にはぎっしり。人の、骨が入っていた。
 大人も、子どもも、関係なく犠牲になった人の骨が、ごちゃごちゃに。

「……ごめんねェ」

 俺には、『俺』には。
 どれが彼女とあの子の骨なのか、わからない。
 目蓋が熱くなって、鼻の奥が痛いけど、でも視界は滲むことなく、真っ白な骨を映していた。上のほうにある骨を手で退かせば、下にある骨が顔を見せる。
 頭蓋骨。大きいのもいっぱいで、小さいのもたくさんで。やっぱり、どれが彼女とあの子の顔か、わからなくて。
 それ以前に、俺でも持ち上げられるくらいの箱には、たぶん、ぜんぶの骨が入ってるわけじゃない。もしかしたら、彼女やあの子の骨はないかもしれない可能性に、俺は項垂れるしかなかった。
 もうとっくに、俺が彼女やあの子にしてあげられることなんて、何もなかったんだ。気づかなかったことに後悔はない。ただ、バカだなァって自嘲した。
 箱を抱えて、丘の後ろにある崖の端、ギリギリに立つ。真下は海。何かを終わらせるのに、ちょうどいい場所だ。
 そこから、箱の蓋を開けたまま横に振れば、中の骨は半円を描いて海に散っていった。大人も子どもも、みんな散っていく。

「さようなら」

 俺が愛した俺の家族達。
 ぷかぷか、浮かんでいた何個かの頭蓋骨が波にさらわれて沈んでいくのを見守れば、とぷんという音が心の中で響いた。
 誘われるように目を閉じれば、『俺』がどんどん俺に溶けていくのがわかる。目的を達成した以上、『俺』が残る理由がない。

「さようなら」

 もう一度、今度は『俺』に向かって呟く。
 『俺』もみんなも、何もいわずに沈んでいった。よかった。これでぜんぶ、終わったんだ。
 達成感はまるでなく、後悔が喉を押し上げて、苦しくてしかたなかったけど。でも、これでぜんぶ終わったんだ。
 思った瞬間に、バチッと。
 まるで火花が散ったように、いや、『俺』の命が消えてしまう前の一瞬の火花が、頭の中に弾けた。

『いってらっしゃい、父さん』

 精一杯の笑顔で俺を見送った息子の顔が、過ぎる。
 お前にはまだやることがあるだろ? と、頭の中で『俺』がいう。
 ……あァその通りだ。さっさと帰らなきゃ。
 不安を殺して笑ってくれたクラッカーに、ただいまっていわなきゃ。
 クラッカーに、いわなきゃ。

「帰ろう」

 そう思って踵を返せば、町の略奪も終わってしばらく経っていたのか、辺りには残り火が燃える音しかしなかった。
 母船はまだ岸にある。荷物を積む船員の姿も。置いてかれなくてよかった。
 それを見ながら、ぐんっと空を蹴れば、一瞬で崖は遠のく。
 腰回りがだいぶ軽くて振り向けば、慰霊碑のあった場所に、深々と刀が刺さっていた。あの刀は『俺』の物だったから、きっと、主人と最後を共にしたんだろう。
 俺にはもう俺しかなくて、身軽になった体一つで空を駆けた。
 クラッカー、俺、今帰るからね。




 とんっと。
 軽い音をたてて甲板に降りれば、そこはしんっとした静寂に包まれていた。
 さっきまで、母船の上空にいる俺を指さして騒いでたのに、俺が降りたら途端にこれだ。仲間外れにされてる感ハンパなくて泣けてくる。
 だけど、それを突っ込むより先に報告だとママがいるほうに向かって歩き出せば、モーゼのように船員達が左右に別れて道を作った。
 いやこれ二回目だけど、何? しずかに道を開けるってどういうこと? おごそかな式典か何かか??

「ママ。ナマエ、戻りました」
「……よくやったね。約束通りお前には、いずれ正式に騎士の地位を与えてやる」
「光栄です」
「嫁と子どもの仇が取れて、満足かい?」
「それなりには」

 じっと俺の顔を見たママは、そうかいそうかい、と頷いて片手を振った。

「下がっていい。クラッカー達とも自由に話して構わねェよ」
「ありがとうございますママ。これからも、俺を使ってください」
「あァ」
「失礼します」

 ペコリ。頭を下げて振り向けば、船員達が気味が悪そうな顔で俺を見ている。
 なんだなんだ? どうした?? 今まで散々なことしてきたとは思うけど、それでも、そんな露骨な顔されたことないぞ??
 思いながら辺りを見回せば、ペロスペローくんとカタクリくんの顔が見えた。二人も、驚くほど青ざめた険しい顔て俺を見ている。
 ……? そんなにケガが重く見えるのか?? それとも、血塗れでこわいか??? いやそんなに血ィ浴びてないはずだけども。
 足を踏み出せば、二人がじりっと後ろに下がるのが見えてさらに驚いた。
 え、マジでなんなの。俺、なんかした??
 それ以上動けずに立ち止まれば、その二人を押し退けて飛び出してくる姿がある。

「父さん!!!」

 クラッカーだ。
 心配してくれてたのか、ちょっと青ざめてて、でも俺を見て、ホッと顔を緩めた。
 クラッカー! と呼ぶ兄の制止を振り切って、俺の足元まで走り寄ってくれる。

「おかえり、父さん」

 そして、にかっと笑いかけてくれた。
 ……可愛い。可愛いなァ、クラッカー。

「……? 父さん?」

 いつもならすぐしゃがむ俺が立ったままなので、クラッカーが俺を見上げて首を傾げる。
 そして、えっ?! と驚いた顔をした。
 だろうね。
 だって俺、視界ぐっちゃぐちゃだもん。

「〜〜〜クラッカー、ぁぁぁ」

 がくんと膝が折れて、立ってらんなくて膝をつけば、クラッカーと同じくらいになる。
 そのまま腕を回して抱きしめれば、大切な子はすんなりと、俺の腕の中に収まってくれた。
 あったかい。あったかいなァ。クラッカー。
 クラッカーの体温を感じながら、俺は溢れる涙を堪えられなかった。

「ぅぇ、クラ、ッカー、ひっ、クラッカー、」
「と、父さん?! どうしたんだよ?!」
「あああ、クラッカー、ひっ、う、クラッカー、クラッ」
「なんだよ?! 俺はちゃんとここにいるぞ?!!」

 ワタワタと慌てるクラッカーが、俺の頭に両腕を回して抱きしめてくれる。
 そうだね。クラッカーは、ちゃんとここにいる。俺の近くにいてくれてる。
 ねェクラッカー。俺ね、ずっとね。

「すきだよぉぉ」

 お前にそういいたかったんだよ。

「ぅぇ、すき、だい、すきだよ、」

 気づいてたよね。
 クラッカーはかしこいから、俺が好きっていわないこと、ちゃんと知ってたよね。
 クラッカーは前に、疑ったことはあんまないっていってたけど、それは俺がクラッカー達を好きかどうか、本当に大切かどうかのことだよね?
 可愛いとか、天使とかいうくせに、俺は好きっていわなかったから。疑ったんだね。
 それは当然だ。不安にさせた、疑わせた俺が悪い。
 でもクラッカーは、俺にそれを聞くことなく、好きだっていわない俺を信じてくれた。

「クラッカー、だいすきだよぉ」

 俺だって、ずっといいたかったんだ。
 でも『俺』はクラッカーを受け入れられなかったから、俺の好きは言葉にできなかった。元は『俺』の体だし、俺よりも『俺』のほうが強かったからだろう。
 それが過去を一掃して、『俺』が俺に溶け込んだことで、やっといえるようになった。

「うぇぇぇ、クラッカー、すき、だいすき、っぅぅ」
「……わかった。わかったから」
「だいすき、だいすき、ぃっ」
「俺だって、だいすきだ」

 ぱちり。思わず泣き止んで目を瞬けば、いつの間にか抱きしめてた腕を解いて、俺の顔を覗き込んでいたクラッカーが目の前にいる。
 照れくさそうに、いつものようにちょっと強気に笑って、俺を呼んでくれた。

「父さん。俺だって、だいすきだよ」
「〜〜〜〜〜! クラッカー!! うぁぁぁ!」
「また泣くのかよ!」
「無理〜〜〜クラッカー〜〜すき〜〜」
「あ。なんだいつもの父さんか」

 クラッカー!! クラッカー!!! ああもうクラッカーが好きすぎて頭がおかしくなりそう!!! いやもうおかしいだろ、とかいう突っ込みはいりません! いりませんっていってるだろ三つ子くんども聞こえてんぞ!!!
 びえびえと俺がクラッカーに縋りついて泣いれば、途端に、ゲラゲラと笑い声が聞こえ始める。
 なんだいつものナマエじゃねェか。
 ああ、いつものナマエだ。
 さっきまでとはまるで別人だな。
 ナマエ、すげぇ怖かったな。
 そこかしこで、そんなふうにいい合う声が聞こえてちょっと気になったけど、でも今はそれよりクラッカーに泣きつくので忙しい。
 あ〜〜〜感情の激流が止まらねェ〜〜〜!!! クラッカーが好きすぎて涙が止まらねェ〜〜〜!!!
 もちろんそれだけじゃなくて、悲しいとか、なんかこう、喪失感?? みたいなのもあるけど、そういうのがぐっちゃぐちゃになって涙が止まらない。

「うぅ、すき、クラッカーだいすきぃ」
「わかったってば。……つーかそれより、だいじなこといってねェよ父さん」
「え、何、ひっ、ぅ」
「はァ……おかえり、父さん」

 しかたねェな、と笑いながら、クラッカーがもう一度いってくれた。
 俺はそれに、涙と鼻水を垂らしたざんねんな顔で笑う。

「ただいまァ、クラッカー」

 俺、帰ってきたよ。
 本当はね、ちょっとだけ、帰っていいか悩んだけど。
 でもクラッカーに会いたくて帰ってきた。
 そんで、クラッカーの笑ってる顔見て、帰ってよかったなァって思ったよ。

「うん。父さん、頑張ったな」
「あああ〜〜すき〜〜、ひっ、クラッカーすき〜〜〜」
「はやく泣き止んで、カスタードやエンゼルにもそれいってやれよ」
「無理〜〜〜、ぅ、涙、とまんない〜〜、ひぅ、クラッカーがすきで、っく、泣ける〜〜」
「いやそういうのは後でいいから。カスタードとエンゼル、今の父さん見たらドン引きするぞ」
「っうううう! クラッカー〜〜〜!」
「っなんでもっと泣くんだよ?!!」

 でもクラッカーはドン引きしないんだ天使!!! しかも後でならいいんだ神かよ!!! 悪いけどそんなんいわれて、涙が止まるわけないじゃん!!!
 さらに泣き出した俺に、クラッカーが慌てるけど。でもうれしくて泣いてるのもあるから、大目に見て欲しいよね。
 今までの分もぜんぶ受け取って欲しいし、これからもずっといい続けたいよね。

「クラッカーだいすき」

 俺、クラッカーのお父さんになれて本当に幸せ!!!





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