#03 首なし鶏(1) 3/4



――― なるほどな。そういう経緯でやってきた、と」
 マイクの商売道具コンパスを修理するための伝手つてとして、亜終点を訪れたイヴたちに、哀王は泰然と呟いた。しかし、哀王は仕事が立てこんでいるためか、おざなりに「“ジャンヌ・ダルク”を貸す。セーブハウスにいるからそいつを頼れ」と言ったっきり、三人の前から去っていったのだった。
 哀王の管理する居住区域は露店の通りの裏にある。そのなかでもひときわ大きな小屋に、イヴたちは入った。中はスペースがいくつかに分割されている。歩き進めた最奥、仄暗いテントに覆われた、ゼンマイと機械だらけの部屋に、その男はいた。
 薄汚れた作業着には似合わない、イノセントな顔立ちをしている。年齢不詳の不可思議な人間だ。彼は細い顎をさすりながら「おやおや」と柔らかい笑みを浮かべた。哀王にも一目置かれている技術者にして、亜終点に居住まうもう一人の脱獄囚、それがジャンヌという男だった。
 イヴとマイクが事情を話すと、ジャンヌは「へえ」と一つ頷く。
「おたく、旦那のことを振ったくせに頼ってきたの? 都合よすぎない?」
「俺が哀王を振る前に、オズワルドが哀王に振られている。五分イーブンだ」
「そんで旦那は俺に仕事を振ってきたってわけか」
「哀王は立てこんでいるようだった」
「あのひと、まだ『黒い目のスーザン』と話してんの?」
「黒い目のスーザン?」
所謂いわゆる闇ルート。旦那の贔屓にしている物流の一つで、たしか武器や薬品なんかを扱う売買ルートだったけかね」ほら、とジャンヌは続ける。「おたくらの持ってるバタフライナイフやエアライフルも、そこのルートで仕入れたものさ。旦那から弾ももらってるんだっけ? 残弾が尽きたらおたくらもアクセスするといい」
 念のためにと所持してはいるが、オズワルドがエアライフルを使う場面はいまのところなかった。物騒なワードにマイクがおののいている横で、イヴは「考えておく」と相槌を打った。
「んで? なんだっけ? 羅針盤コンパスの修理?」
 首を傾げるジャンヌに、マイクは「これなんだけど」と目的の物を見せる。一見してなんの変哲もない羅針盤コンパスだ。真鍮鍍金メッキのやや錆びた、どちらかと言えば大ぶりなそれには、鮮やかな方位盤と漆黒の磁針が備わっている。
「なんか狂ってるみたいでさ。変わり種の機械で、中に金属探知機も仕込しこまれてあるから、ちゃんと動いてくれないと困るんだよ。直せる?」
「大丈夫、大丈夫。俺、解析機関もいじれるタイプの技術者だから」ジャンヌは手際よく羅針盤コンパスを調べる。「……んでも、おっかしいなあ。ここが金属だらけの部屋ってこともあるから、たしかに適当な方向指すけど、見た感じ、潰れた箇所がない。全然使えるって、これ」
「そんなことないよ、俺が持ったらあっちこっち指すんだ」
「体ん中に磁石でも埋められてんじゃないの?」
 そんな戯言をイヴは聞き流しながら、部屋の中を眺める。鉱石ラジオ、大量の無線機器の類から、ぐるぐると廻る天体模型まで、ありとあらゆる物がひしめいていた。オズワルドも興味をそそられるのか、口論になっているマイクとジャンヌに見向きもしないで、部屋の中を歩き回っている。
 そんなとき、テントの入り口がめくれ、哀王が入ってきた。その姿を見た途端、猫のような速さで、オズワルドは椅子に飛び乗った。しかし、飛び乗った勢いで、オズワルドの座った椅子のキャスターはころころと転がり、部屋に入ってきた哀王の目の前で止まった。哀王は嫌そうな顔をして数秒固まる。えへらえへらとしながら「ゲジゲジしてないよ」と見上げるオズワルドを、迷惑げに椅子ごと押し返す。ずいぶん丸くなったなあ、とイヴは思った。
「話に乗ってくれて助かった」
 マイクを見るイヴが哀王に囁くと、哀王はふんと鼻を鳴らした。
「金になりそうな匂いがした。実際稼げそうか?」
「と見込んでいる。礼として一割は渡そう」
「精密機器の修理を請け負うんだぞ。しかも、その道具を使って財宝を探すとあれば、儲けの半分が妥当だ」
「その取り分はさすがに多すぎる。二割だ」
「四割」
「譲歩しても三割だ」
「いいだろう。三割だ」
 哀王はジャンヌのほうへと歩きだす。イヴはため息をついた。哀王に気づいたジャンヌは「おや、旦那。用は済んだんで?」とマイクから視線を移す。
「爆薬の荷下ろしに時間がかかっていただけだ。作業は終わったか?」
「まだ。ていうか別にこれ壊れてないし」
「いや、壊れてるって言ってるじゃん」
 まだ続いていたらしいマイクの口論に、イヴは肩を竦めた。ジャンヌは「埒が明かないな」と呟いたかと思えば、マイクの体をまさぐりはじめる。
「うひゃあ、なに!」
「おたくが妙なもん隠し持ってんじゃないかと思って」
「やめろよ、変態か!」
「体に妙なもん仕込んでるおたくのほうが変態でしょ。どこだどこだ。変態の金属はどこだ」
 ベスト越しのマイクの脇腹や肩を両手で荒々しく掴んでいくジャンヌ。しかし、その襟ぐりを引っ掴み、フードに埋もれていたマイクの首を見た途端、ぴたりと手を止めた。
 赤黒い茨を思わせる、ひどい傷痕があった。それは彼の首をぐるりと一周、おぞましく這い巡っている。まるで一度首を刎ねられ、そして再び縫い繋げられたかのような、むごたらしく残忍な傷だった。
「……おにいさんの変態」
 マイクは目を細め、おどけるように囁いたが、誰も笑いはしなかった。暴かれた傷に、空気は一瞬で冷えてしまった。オズワルドは小さく「痛そう」と呟く。イヴは言葉を失っていた。しかし、そんななか、哀王だけは冷静だった。
「お前、“首なし鶏のマイク”か」
 イヴの「首なし鶏のマイク?」という問いかけに哀王は頷く。
 マイクは分の悪そうな顔をした。
「ノドロン城塞監獄の犯罪型録カタログにも載っている男だぞ。血のインクの滴る『アンネのペン先』、戴冠宝器と同列に扱われる『セリカからの鼈甲璽』、初代エグラド国王が悪魔から奪ったとされる蔵書・『悩ましき裏切りの黙示録』……歴史的にも価値のある品々、エグラドのあらゆる財宝を、その手で暴いた男。ほぼ同時期に首相暗殺事件が起こり、それに紛れて影が薄れていたが、」哀王は続ける。「たしか二年ほど前に、死刑になったはずだ」
 イヴは目を見開かせる。ややあって、再びマイクを見た。いまもなお生きてそこにいる男の首には、斬首刑に処されたかのような痕と縫い傷がある。
「幽霊じゃないよね」口火を切ったのはオズワルドだった。「だって、あたし貴方に触れられたわ」
 オズワルドの言葉にマイクは苦笑した。
「もちろん、俺は生きてるよ。だけど、死刑になったのは本当。当時をよく覚えてないけど、首を刎ねた体がひとりでに動いて、頭を拾いあげたんだって」
 エグラド近年でも、オカルトな方面で、首を切り落とされた状態で人はどれだけ生きていられるか、という話題が盛り上がったことはある。事実、切り落とした首を叩いたら目が開いて死刑執行人を驚かせた、首だけになった女の口がなにかを話そうと動いていた、などという話はいくつも残っており、その言い伝えから、しばしば、人間は首だけの状態でもしばらく生きていける、とする考えもあるのだ。しかし、それはあくまでしばらく、、、、のあいだの話だ。
 イヴはおもむろに口を開く。
生憎あいにく、俺は医学や生体学に精通しているわけではないが……実際に頭部を切り落とされたとしたら、血圧が一気に下がり、気を失ったまま即死する。酸素の供給も途絶えるんだ、たとえっても十秒くらいだろう。生き延びられるわけがない」
「首なし騎士の妖精・デュラハンだって、伝承や都市伝説のくくりだ。現実、断頭は死に直結する」ジャンヌも淡々と告げる。「でも、おたくは死ななかったってわけか。しかも、その傷痕を見るに、皮膚や神経を縫い繋ぐことで、現状、生きつづけている。まさしく生ける伝説、不死者アンデッドだ。興味深いねえ……どんな仕組みシステムで人体が稼働しつづけているのか解剖ばらしてみたくはある」
「俺の首を繋いだやつらも、貴方と同じことを言ってたよ」
 マイクの形のいい淡褐色ヘーゼルの瞳がすがめられた。
 その大きな瞳に見上げられたジャンヌは、肩を竦めながら両手を広げたのち、その手を肘の中にしまいこむようにして腕を組んだ。
「さすがに解剖ばらされはしなかったけどね」そう言って、マイクはしっとりと笑んだ。「だけど、変な研究者には目をつけられちゃった。よくわかんない検査や実験を毎日受けてた。俺の脈拍とか血圧とか、俺よりも俺のことを知りたがるようなやつらで、俺は、管に繋がれた見世物だったよ」
 イヴは考える。首を刎ねても死なない男なんて、好奇の目に晒されるに決まっていた。おそらく非道な扱いを受けたに違いない。それこそ、もはや死んでもかまわないと、死神との逢瀬への直行便に乗りこむくらいには。
 イヴはそのように思っていたのに、次の瞬間、マイクは爽やかに言った。
「わかるよ。未知のものには、暴きたいほどのロマンがある」
 それはあまりに眩しい笑顔だった。人好きのする愛嬌のある顔が、晴れやかに咲く。それは、彼が自身の功績を語ったときの表情に似ていて、イヴは静かに驚愕した。
俺も俺が死なないのかには興味があった、、、、、、、、、、、、、、、、、、。でも、こうして生きてるから、もういいんだ。俺は自問自答なんてしない主義だしね。だって世界は広いんだもの」マイクは熱く両腕を広げ、高らかに言う。「世界にはもっとたくさんのロマンが溢れてる。まだ知らないものを見たいし、見たことのないものに触れたい。隠された秘宝の数々を俺はまだまだ見つけだしたいんだ」
 マイクが滔々と語る姿にイヴは見入っていた。
 しかし、ジャンヌが「……おい、それ」と目を細め、我に返った。
「どれ?」
「それだよ。おたくの両腕にくっついてる、ベルトみたいなの」
「ああ、これ」マイクは服の袖をめくった。「たしか、心拍計だっけ……変な研究者につけられたやつ。俺に繋がってた管はダストシュートに落ちるときに引きちぎってきたんだけど、こいつだけ取れなくてさ。それがなに?」
 イヴと哀王は息を呑み、一歩踏み出したが、それよりも強い勢いでマイクへと近づいていくジャンヌ。マイクの腕を掴みあげ、指摘したそれに目を凝らす。解を出すのは瞬く間だった。
「……まだ動いてる」
 ジャンヌがそう呟いたので、今度はイヴも動いた。ジャンヌが道具の散らかったテーブルへとマイクをはりつけにしたのと同時に、イヴもマイクの腕を取り押さえた。右腕をジャンヌに、左腕をイヴに拘束されたマイクは「ぎゃあっ! なんだよ!」と呻いている。しかし、二人は気にも留めず、各々近くにあったハンマーとドライバーを握り締め、マイクの手首へと振り下ろした。命の危機を感じたマイクは悲鳴を上げるも、二人は狙いどおり、マイクの両腕についていた心拍計を破壊した。
「……はあああ」
 深いため息をついたのは哀王だ。辟易へきえきとした目を前髪に隠しながら、天を仰いでいる。一連の光景に、オズワルドはぽかんと口を開けたまま、訝しげに首を捻った。テーブルの上で仰向けになっているマイクは力なく「本当なんなんだよ……」と漏らした。
「その腕にくっついていた心拍計のデータは、お前の言う研究者のもとへ送られているんだろう?」説明したのはイヴだった。「俺たちによって壊されるまで、それは正常に作動していた。おかしいだろう……死んだはずの囚人の心拍が届きつづけるのは」
 マイクはやっと気づき、喉を震わせる。
 ジャンヌは壊れた心拍計を取りあげて、イヴの言葉に続けた。
「こいつがどこまで詳細におたくのことを伝達するか、ぱっと見じゃわかんないけど、もしかすると、位置情報まで割りだされてる可能性だってある。その研究者やアンプロワイエの連中に、おたくの動向がばれているとしたら?」
 どんどん蒼褪めていくマイク。イヴも同じ心境だ。そこへさらに深くため息をつく哀王。そんな哀王の様子を見て、ジャンヌは、笑えもしないのにけらけらと、「どうする? 旦那」と声をかける。
「一応、機械分解ばらして確認するけど、本当に彼のデータが研究者へ送られてるとしたら、まあ亜終点ここには踏査を入れるだろうなあ、アンプロワイエは」
 哀王の指揮のもと、すっかり整備されてしまったこの空間は、前身を知っている者からすれば、異様そのものだった。人為的な手が加えられたことは明白であり、その発展を隠しおおせるものでもない。
「そうでなくとも、ダストシュートのチェックくらいはするはずだ。細断機も焼却炉も稼働してないことに気づく。そしたら、俺たちの脱獄も明るみになる。けっこうまずいんでないの?」
 かくん、と哀王はこうべを垂れる。自身の腰に当てていた両手は、こらえるように筋張っていた。地を這うような声で「俺以外、無能か?」と吐き捨てる。イヴは、元々合ってもいなかった目を逸らす。そもそも、マイクを亜終点に連れてきたのはイヴである。もしもジャンヌの言うとおり位置情報まで割られているとしたら、現在進行形で、この亜終点を危険に晒していることになる。さすがにいたたまれず、先の哀王の台詞せりふは、急転直下の事態により誰にでもなく出た言葉だと信じたかった。また、当人とも言えるマイクも後ろめたそうに目を逸らしていた。飄々と哀王を眺めるジャンヌとオズワルドだけが、心臓に毛の生えた人種だった。
 一頻ひとしき項垂うなだれたのち、哀王は顔を上げる。
「亜終点を破棄する」哀王ははっきりと告げた。「一刻も早くここを発つ準備をするぞ。できるかぎり、俺たちの痕跡を消す。外にいるやつらにも、俺たちのことを口外しないよう伝える。お前は、念のため、心拍計がどの程度、精度なのかを調べろ」
了解ですアイ・アイ・サー」ジャンヌはイヴへと振り向く。「そんなわけだから、おたくらもとっととここを出たほうがいい。早く逃げなきゃ、また監獄送りだ」
 そう言って、ジャンヌは預かっていた羅針盤コンパスを、マイクへと放り投げる。マイクはそれを片手でキャッチした。そのまま手中へと視線を落とし、「直ってる」と目を見開かせる。ジャンヌは「だから壊れてないんだって」と告げる。
「大方、心拍計の金属に反応してたんだろ。もう大丈夫だから、行ってよし」
 ジャンヌはひらひらと手を振って、心拍計の解体作業へ移った。
 マイクはしばし呆然としていたが、細長く伸びをして立ちあがったオズワルドの「それじゃあ、行こっか」という言葉に振り返る。イヴも頷いたのち、マイクに「もたもたするなよ」と声をかける。
「とりあえず《Merkabah》が迎えにくるまでどこかへ潜伏していよう。財宝探しは状況を見てからだな」
「えっ、俺もついてっていいの? なんか俺、やばいことに巻きこんじゃったみたいだけど」
「いいんじゃないか?」イヴは肩を竦める。「心拍計を壊した以上、今後の動向を悟られる心配はないわけだし、いまのところ、お前と行動を共にするデメリットは特に思い当たらない。精々、オズワルドが疲れるくらいだ」
 オズワルドは眉間と鼻筋に皺を寄せるほど苦い表情をした。しかし、マイクを連れていくのに反論を示さないことを、イヴは理解している。それでもまだ及び腰でいるマイクに、イヴはさらに言葉を重ねた。
「安心したいなら言おうか。むしろ、メリットのほうが大きいと、俺は考えている。お前の見つけた財宝を売り捌けば、当面の金には困らない。『フィネガンズ・ウェイク』も買える」
「『ラベンダーズ・ブルー』も買える」
「おにいさんも君も、そればっかだね」
 マイクは肩を落とし、へらりと笑った。
 そうこうしているうちに、「雑談はいいから早くしろ」と哀王が睨みを利かせる。マイクは「ああ、悪いね! 早く出るよ!」と声を上げた。マイクとオズワルドが部屋を去ろうとすると、「おい、お前」と哀王はオズワルドを呼び止める。
「渡した獲物、、を使うことが増えるだろう。餞別をやる。ついてこい」哀王はジャンヌにも目を遣る「イヴには亜終点と地下水路内の地図をやれ」
 イヴは「いいのか」と目を瞬かせると、哀王は鼻を鳴らした。
「無能なやつらを導くのが有能うえの務めだ」
「はいはい、旦那以外は全員無能」
 ジャンヌは野次を飛ばすように言ったが、イヴは薄ら寒いものを覚えた。
 哀王はオズワルドを従え、部屋を出ていくのを、イヴは見送る。指示を受けたジャンヌは作業台の引き出しを物色しはじめた。そんなジャンヌにイヴは視線を移し、口を開いた。
「お前、ただの技術者じゃないな?」
 ジャンヌは手も止めずに「どういうこと?」と返す。
「お前は解析機関もいじれるタイプの技術者だと言った。ずいぶんあっけらかんとしていたし、オズワルドもマイクもぴんときていないようだったけど、技術革新が制限されているエグラドにおいて、解析機関を扱えるのは稀有だ。いっそ非常と言っていい。技術者をその力量にまで至らせるのを、エグラドが許すわけがないから」
 ふうん、と息を漏らすジャンヌに、イヴは「加えて、」と言葉を続ける。
「マイクの心拍計には位置情報の解析も機能されているのではないかと、お前は勘ぐった」イヴは目を細める。「お前の言う衛星測位システムGPSは、エグラドにはないことになっている、、、、、、、、、、技術の一つだ」
 たしかにイヴは先の失楽園計画にて、国民に真実を公表した。しかし、それはあくまで、外に世界が広がっているという情報の話だ。この国が秘匿していた技術まで明るみにした覚えはない。つまり、ジャンヌがそれを認識しているのは、彼の経緯によるところである。
「ジャンヌ、お前は何者だ?」
 しかし、ジャンヌは、イヴの疑念に答えることはなく、「それよりも、あんたが気にするべきは“首なし鶏のマイク”でしょ?」と煙に巻こうとした。
 追及する心積もりでいたけれど、その言葉に、イヴは意識を取られる。
「おたく、刑罰史を勉強したことある? いくら物が物だとはいえ、窃盗罪と器物損壊と不法侵入で死刑はおかしいでしょ。場合によっちゃ、罰金でも片づきそうな事件だ」
 罪状に刑罰が釣りあっていないというのは、イヴにとっても釈然としないことだった。生憎あいにくとイヴは刑罰史を学んだことはなかったが、過去にマイクと似た罪状で極刑に処された例があったかという問いには、絶対に首を振るだろうと思っている。
「もちろん、国の財宝を盗むのはよくないね。無許可で遺跡を掘るのもよくない。だけど、それよりもよくないことが、この国にはあるでしょ」
「真実を知ること」
 イヴが答えると、ジャンヌは「そゆこと」とにんまり笑んだ。
「あの少年の見つけた『アンネのペン先』は他国製。血が滲むって逸話にもちゃんと仕掛けはあるが、エグラドでは誕生していないはずの技術だ。『セリカからの鼈甲璽』は、海を越えた国から、かつてのエグラド女王へと贈られた品だっけ。『悩ましき裏切りの黙示録』なんてのもあったけど、あれはエグラドが鎖国する直前、今後のエグラドを懸念した政治家が、ルーシアの言葉で後世に書き残そうとした、立派な告発文書だ。本人にその気が全くないとはいえ、彼の見つけだした財宝には、エグラドの歴史、外の世界、つまり女王政府が隠しておきたい真実を示唆するものが多い。おまけに、国の許可なく発掘作業をおこなうようなじゃじゃ馬ときてる。少年が死刑になった本当の理由は、窃盗でも、器物損壊でも、不法侵入でもない」
 イヴは目を伏せる。
 ジャンヌの話を聞いて、釈然としなかった謎の解を得たのだ。
「国家転覆罪」
「おたくとおんなじだよ、知りたがりくん?」ジャンヌは肩を竦めた。「いや、ただ知ろうとしたおたくとは、わけが違うか。あの少年は知らないうちにでも、それを公表しようとしていた。おたくが懲役刑だったのに対し、彼が死刑だった理由はそこにある」
 かつてイヴは、海の外の世界に気づき、エグラドの真実を知ろうと手を伸ばした。けれど、それを国中に知らしめようと思ったのは、オズワルドと出会ってからのことだった。イヴとオズワルドが二人がかりでやったことを、マイクはたった一人で成し得ようとしていたのだ。だから、死の罰を与えられた。
「怖いったらないねえ。そうやって、この国ではいろんなことが揉み消されたり、そのために捏造されたりしてるんだと思うと。あの少年だって、おたくとよく似た、単なる“知りたがり”だったはずなのに」
 ジャンヌの言うとおり、イヴとマイクはよく似ている。
 卓越した知識欲に、探求欲。知らないものを知ろうとする、狂気的なまでの情熱。イヴにとっては身に覚えしかない、我が身によく似た有様ありさまだった。
 イヴは、夢を語るマイクの澱みのない表情を思い出す。かつての己もあんな表情をしていたのかもしれないと思った。
「……ま、少年はしぶとく生きられそうなタイプだし、なんとかなるでしょ」
 そう締めくくったジャンヌは「あっ、みっけ」と呟いた。探っていたひきだしから目当ての地図を取りだす。亜終点と、亜終点に接続する下水道内の地図だ。イヴがぱっと見たかぎりでも、まるで迷宮ダンジョンのような構造になっていた。ジャンヌは「よそへやっちゃまずいから脱出したら破棄して」と言いながら、それをイヴへと渡す。
「恩に着る」
「着なくていいから絶対に逃げきって。下手に捕まって、俺や旦那のことをしゃべられたら困るからさあ」ジャンヌはぼやくように続ける。「他の連中も、なんとか逃げおおせてくれたらいいんだけどねえ」
 イヴが「亜終点にいるやつらのことか?」と尋ねると、ジャンヌは「いんや。俺らと同じ脱獄囚」と答えた。イヴが詳しく話を聞くと、どうやら、マイクのあとに、二人ほどダストシュートから落ちてきたらしい。亜終点から出てしまったため、現在どこにいるのかは知らないという。
「捕まりそうなほどまぬけそうな人間だったのか?」
「旦那に言わせれば、旦那以外は全員まぬけな無能だって」
 ジャンヌがおどけるのを、イヴは白けた顔で見た。しかし、ジャンヌは飄々とした態度で「して、一番のまぬけな無能は、ちゃんと餞別を受け取れたのかねえ」と続けたのだった。



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