#03 首なし鶏(1) 2/4



 イヴは、盗まれた手荷物に不足はないことを確認したのち、彼に名前を聞いた。はじめは言い渋っていた彼も、のちに「マイク」と答えた。イヴはそれに引っかかったけれど、そのときは口には出さなかった。マイクは未だに俯せに倒れたままだ。その上ではオズワルドが膝を抱えて座りこんでいる。そのオズワルドといえば、珍しく不機嫌な様子だった。らしくもない辟易とした表情を浮かべている。それもそのはず、イヴが手荷物を確認しているあいだ、ずっとマイクに話しかけられていたのだ。
「すごいや、稀なほど真っ黒な髪! 古い伝説さながらの美しさ! その瞳も、まるで闇をも飲みこむ魔物の口のよう。君はそんなにもしとやかな様子で、どんなふうに俺を食べるの?」
 本気でうんざりしたような顔を、オズワルドはした。一方のマイクは人好きのしそうな顔で爽やかに笑いながら、そんなことを囁きつづけている。
 イヴは手荷物へと目線を落としながら、滔々と語られる珍妙な甘味加減の口説き文句に耳を傾けていた。心境としては、酔狂な人間もいたものだ、といった茫然だ。マイクの譫言うわごとからイヴが推察するに、オズワルドの持つ漆黒の髪と、その黒さが惹きたつような透き通った顔立ちに、興味を持ったのだろう。たしかに彼女の容貌はエキゾチックな雰囲気も相俟あいまって他者の目を引くこともあるけれど、絶世の美女とは言いがたい。けれど、マイクは、星屑が散らんばかりに目を輝かせ、爆発するほどの熱量でオズワルドを射抜いている。イヴにはあまりに理解しがたく、そこには狂気さえ感じていた。
 そんなマイクには、オズワルドも手を焼いていた。はじめは「げぇ」と悲鳴を上げる元気もあったが、次第にその声すら消えていった。助けを求めるように「もう行こうよう」とイヴを見る。しかし、イヴはエアライフルの破損がないかを確認していたので、視線も遣らずに首を振っただけだった。オズワルドが立てた両膝に顔をうずめたのを捉え、さしものイヴも哀れに思えた。
「マイク、お前の感性で愛の詩を読むのは百年早い、オズワルドが参ってる」
「愛じゃないよ、運命だ、幸運と言ってもいい。おにいさんにはわからないの? 彼女がどれほど見事な存在なのか」
 俺の女神だ、などと抜かされてはたまったものではないので、イヴは強制的に、話の腰を折ることにする。
「オズワルド。荷物の破損はないようだけど、窃盗は普通に犯罪だから、いまからこの男を縛りあげて警察ボビーズにつきだすぞ」
 それにマイクは「警察ボビーズ!? ちょっと待ってよ!」と悲鳴を上げたが、対して「もうじゅうぶん待ったよ」と漏らすのはオズワルド。マイクは「荷物は返したじゃないか!」とイヴに縋った。
「お願いだから、警察ボビーズにつきだすのだけはやめてくれよ……俺にも理由があってさ……お金に困ってて、今日泊まる宿代もないんだって!」
「奇遇だな。俺たちもない」
「それは、悪かったよ、おにいさんもぱっと見、どこかのおぼっちゃんなんだろうな、って思っただけなんだ」
 イヴは別に育ちがいいわけではない。むしろ一般家庭よりも貧しい家に生まれたくらいだ。けれど、甘ったるい目尻や癖のない笑いかたが、それを表に出さない。そんなイヴとオズワルドが並んで歩くと、傍から見れば、非常に僥倖なカモなのである。
「……お前の言い分を察するに、人を選んだ犯行のようだな。前科がどれだけあるのかはしれないけど、これに懲りて真っ当に生きるといい」
「まさか! 初めてだって!」
「どうだか。警察ボビーズにつきだせばそれもはっきりする。もしかすると、報奨金がもらえるかもしれないぞ」
「やった、『ラベンダーズ・ブルー』は買えるかしら」
「たぶん『フィネガンズ・ウェイク』も買える」
 マイクは「卵が孵る前に雛を数えてる」「とんだ悪党だ」とおののいていた。取りつく島もなくつきだしてしまおうとしたイヴだったが、「最後に念のため聞いておきたいんだけど、お前は死神との逢瀬への直行便に乗ったことはあるか?」と尋ねたとき、マイクが強く息を呑んだのを認めた。
「……ダストシュートのこと? なんでおにいさんがそれを知ってるの?」
 今度はイヴが息を止めた。オズワルドも目を丸くして、尻に敷いたマイクの体を見下ろしていた。そんな二人に反し、マイクは表情を険しくさせて「答えて」と言葉を重ねる。
「名前の発音だ」イヴは説明してやる。「お前の言った“マイク”は、ノドロン城塞監獄でつけられる識別記号コードネームの発音だ。そもそもが識別するための記号だからな、エグラドで公用しているものとは別の発音を用いる。耳が知っていれば誰だって気づくさ」
「だから、俺が逃げだしてきたってわかったの?」
「いや。逮捕前の指名手配犯とばかり思っていた。収監した罪人だけでなく、捜査中の容疑者にも、識別記号コードネームをつけることはあるから」
 オズワルドが「なんで?」と首を傾げたので、イヴは答える。
「逃走する容疑者を追跡しやすくするためだ。本名が《Speak of the Evil》に引っかかれば、スムーズに拘束し、逮捕できる。警察ボビーズ監獄の看守アンプロワイエとじゃあ、役割も所属も違うから、収監されてもないのに識別記号コードネームをつけられて追われるなんて滅多にないけどな。国力総出で罰すべき稀代の極悪人くらいだ」
 鬼気迫った形相で「そういうおにいさんたちこそ、いったい何者なの?」とマイクが言うものだから、イヴは「勘違いするなよ」と苦笑した。
「俺たちも、お前と同じ、脱獄囚だよ。城塞監獄からの追手でも、お前を悪いようにしたいわけでもない。むしろ、お前を警察ボビーズにつきだしてしまえば、ダストシュートの仕掛けについて、ひいては、亜終点のことや俺たちの脱獄まで、芋蔓式にばれてしまう」
 イヴはオズワルドに目配せした。オズワルドはマイクの体の上から立ち退いて、ぱたぱたとスカートの皺を払った。解放されたマイクはおもむろに上体を起こす。地べたにしゃがみこんだまま、睥睨へいげいするようにイヴを見上げる。
「おにいさん、犯罪者ってこと?」
「なんでまだ警戒してるふうなんだ。お前だってそうだろう」
「いやあ、殺人犯だったら怖いなあと思って。あれだけ俺を脅したくせに、おにいさんも見かけによらずワルじゃん。あっ、もしかして結婚詐欺師とか?」
「お前はどうなんだ、その顔で何人転がした」
「おにいさんと一緒にしないでくれよ」
 マイクは肩を竦める。軽口の応酬により、イヴへの警戒心は薄れていた。胸を張るように背筋を伸ばし、今度は己のことを語った。
「俺さ、遺跡探検家トレジャーハンターやってたんだ。あちこちを飛び回って、ありとあらゆるものを見つけ出すんだよ。たとえば、『メリサンドの涙』に『純銅の花輪』、聞いたことあるんじゃないかな? どっちも俺が発見したんだよ!」
 その財宝の名称は、イヴも聞いたことがあった。どちらも、何年か前に財宝法に則り、国に寄贈された、当時では話題の品々だ。
 メリサンドの涙とは、湖水地方の泉に眠る、涙滴型をしたアクアマリンだ。人工的なカッティングではなく、自然の研磨を経てその姿へと形成された青いベリルは、泉に潜む魔物の悲哀を映しだしたかのように美しいきらめきを持っているともっぱらの噂だ。
 一方の純銅の花輪は、今は亡き少数民族の長だけが持つことを許されたという、銅の装飾品のことだ。遥か昔に絶えた民族の新たな痕跡の発見は学会を激震させたのだとかで、特にこちらに関して、イヴは知悉ちしつしていた。
 それらの発見をこの青少年がやってのけたというならば、その功績は華々しいものである。少なくとも、投獄されるいわれはない。
「そんなお前がどんな失態を犯した?」
「発掘許可を取ってない場所で探索活動ランド・フィッシングした。窃盗と器物破損、不法侵入罪」
 それは無理もない、とイヴは呆れた。マイクは立ち上がり、「だって、聞いてくれよ」と弁明するように囁く。イヴはのけぞった。マイクの瞳はきらきらと輝いていて、頬はほまれ高く紅潮していた。数瞬、イヴが気圧されたのにも気づかないで、マイクはイヴに訴える。
「エグラド南部の遺跡群、環状列石ストーンサークル……その地下は、あらゆる考古学者が見識を重ねる、未知未開の秘境なんだ! 偽史文学の登場人物・魔術師マーリンの秘宝が隠されてるって説もあるくらいで、それなのに、どれだけ申請しても、国からの許可が全っ然下りかなかったんだよ!」
「歴史的にも文化的にも保存優先度の高い遺跡だからな。変に手を加えられちゃ困るんだろう」
「でも、そこにはロマンがあった。発掘がだめならと、俺は、別のルートから遺跡下の空洞へ行く方法を模索しつづけた。そして見つけた!」マイクは熱く語る。「大変だったよ。偽史文学や地理文書、関連するあらゆる資料に目を通したんだけど、なかには絶滅言語で書かれてるものもあってね、特に古代ヒスニア語なんて解読に一苦労さ」
 イヴは純粋に驚いた。
「……よく解読できたな。古代ヒスニア語は、絶滅言語の中でも、文献が一部しか公開されてないはずだけど」
「おにいさん、スパニ語は知ってる? そこの文字の形が近い。たぶん、スパニ語の元が古代ヒスニア語」
 スパニ語も、絶滅言語の一つである。これまで一歩引くようにしてマイクの話を聞いていたイヴだったが、卒然、学識に裏づけされたものを感じた。
 一切の外連味けれんみをなくした表現をするなら、イヴはマイクに関心を持ったのだ。歳に合わぬ気骨。己の探求欲に忠実な性質。その欲望の煽る、脳髄が火の粉を散らすような高揚感を、なによりの生き甲斐にしているような男だと思った。興味のないオズワルドは、自分の髪をいじるのに夢中になっていたけれど、イヴはいつの間にか、マイクの話を前のめりで聞いていた。
「その甲斐あって、なんと『アンネのペン先』が見つかった!」
「聞いたことがある……そのペン先で文字を書くと、血のインクが滲みでるという、曰くつきの。しかし、それは、伝説や伝承として知られる眉唾物だ」
「へへっ、それだけじゃないよ。『セリカからの鼈甲べっこう』に『悩ましき裏切りの黙示録』まで」
「お前が見つけたと?」
遺跡探検家トレジャーハンターは俺の天職だからね! ミラクル・マイクと呼んで!」芝居じみた所作で、マイクは歌いあげるように言った。「だから、俺はこれからも、財宝を探す旅に出たい! 行きたいところはまだまだあるんだ、監獄に入れられる前に計画してた探索もあった。でも……いまの俺には、食べ物を買うお金も、宿に泊まるお金も、鉄道に乗るお金もないんだよ!」
 そういう経緯があり、自分たちの手荷物の窃盗へと、話が戻るわけか。イヴは納得しつつも、ため息をつく。再三ではあるが、イヴもオズワルドも金がない。マイクのあて、、は完全に外れていた。
 しかし、イヴにとってのマイクは決してはずれではなかった。降って湧いた金のなる木や、黄金の卵を生むガチョウのように見えた。
「だったら、マイク、俺たちについてこないか?」
 イヴの台詞せりふに、マイクは「えっ?」とうなだれていた顔を上げ、オズワルドは「えっ」と髪をいじっていた目線を上げた。イヴは言葉を続ける。
「俺たちに金はないが、幸運なことに足が、あるいは鰭が、あるいは翼がある。多少なりとも時間はかかるが、とある交通手段を持っている。俺たちについてこれば、お前の探す財宝まで辿りつくこともあるはずだ」
 エグラドは、財宝法により、発見した価値ある遺物は国へと提出することが義務づけられており、献呈と引き換えに報償金を得る。だが、国に提出せずに明るみでない流通路を用いれば、それらの財宝はさらに高値で取引される。
 マイクの行動力と鑑識眼は本物だ。各地に眠る財宝を探しあてるすべを持っている。マイクを取りこみ、行動を共にすれば、一獲千金を狙えるかもしれない。それが、イヴの打算だった。
「いいの?」マイクは目を見開かせた。「あっ、でも、そうやって、俺を騙そうとしてない? 数多くの女性たちのように」
「俺に騙してほしいならもっと淑女らしく振る舞え」否定するのも面倒で、イヴはそうやっていなした。「だが、お前は遺跡探検家トレジャーハンターだろう? ならば、どうするべきかは決まりきっているはずだぞ、マイク」
 そそのかすようにイヴが囁けば、マイクはにっと口角を吊りあげた。
「……いいよ、手を組もう!」
 マイクはイヴに手を差しだす。
 イヴはその手を強く握り返した。
 意気揚々と「さあ、いざゆかん! この羅針盤コンパスの示す宝のへ!」と叫んだマイクは、ベストの大きな胸ポケットから道具を取りだした。しかし、それを己も目にとめたとき、「えっ、壊れてる……」と漏らしたのだった。



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