#02 馬鹿は首を吊れ 3/5



「あたし、お肉なら鳥が好き」
「俺は豚かな」
「え、イヴって豚だったの?」
「俺は豚肉が好きかな」
「共食いだね」
「俺って豚なのかあ」
 チキンを頬張るオズワルドの横で、イヴは苦笑するように返答した。
 哀王の案内で軽食屋に着いた途端、もう待ちきれないと言わんばかりのスピードで、オズワルドは椅子に座りこんだ。中途半端な位置に座るので、イヴがそれを指摘すると、「だって、他の椅子は赤いんだもの」と告げた。オズワルドは赤を嫌う。そういえばそうだった、とイヴは思い出し、しかたなく彼女の隣に腰かける。哀王もその隣にある赤い椅子に座った。
 店の椅子やテーブルは、サイズも形もまばらで、ありあわせの状態だ。カウンターだって薄汚れていて、木目からはささくれが群生を産んでいる。しかし、オリーブオイルとコンソメで味つけされたチキンは不味くはないと、イヴは思った。満足な食事にありつけたオズワルドもにこにこと上機嫌だ。座っていた椅子を傾けて、カタカタと鳴らしたりしていた。
 ほんのりと雨の香のする水を飲み干しながら、イヴは哀王へと視線を向ける。すると、次に疑問に思った感覚に取り憑かれ、ついには口に出していた。
「哀王はどうしてノドロン城塞監獄に収監されることになったんだ?」
 イヴの問いかけに対し、哀王はしばし押し黙った。収監の理由など、常人の感性ではまず吹っかけないような話題だが、さすがは知りたがりの気質である、イヴが哀王の沈黙に臆することはなかった。
 そういった点では、イヴもオズワルドに負けず劣らずの無神経と言えたが、哀王が憤慨することはなかった。元より、機嫌を損ねての沈黙ではなかったのだろう、グラスに入った水を飲み干したあと、哀王は淡々と返す。
「部下に裏切られた」
 裏切りという言葉に、イヴの頭で古馴染みの姿が浮かんだ。心臓がゆっくりと熱を帯びていくのを感じながら、イヴは哀王の話に耳を傾ける。
「俺は元々、地方を治める政治家のうちの一人だった。与えられた仕事に対して、常に期待された以上の成果を上げてきたつもりだ。横暴だと非難されることもあったが、俺は正しかった。実際、俺の統括した区域は、みるみるうちに生活水準が上がった。過ごしやすい環境や政令を敷き、古臭いものは刷新した。驕らない。数字がなによりの証明だ。俺は優れた先導者だった」
 哀王の経歴に、イヴは深く納得した。この亜終点の変わりぶりを見れば一目瞭然だが、哀王は、先導者に、統率者に向いている。ここまで一定空間を変えられる人間を、イヴは哀王以外に知らない。それもそのはず、哀王は先導者としての実績があったのだ。
「だが、部下には恵まれたかった。俺の労働体制は横暴な搾取だと糾弾された。メイデーのお導きだとか言っていたな……あいつらの気持ちなど、俺にはわからんが。俺はあの馬鹿どもに引きずり落とされた。罪人として逮捕され、それからはもう囚人扱いだ」
 哀王の言うことは、イヴにも思い当たる節があった。そばにいる人間、それも、同じ志を持つと思っていた人間に、足元を掬われた心地。それが他人事には思えなくて、イヴは哀王をじっと見つめる。
 そのとき、チキンを啄むのに夢中になっていたオズワルドが、「貴方にとっては、そのひとたちはちゃんと仲間だった?」と呟くように尋ねた。イヴはオズワルドへ視線を移す。哀王も訝しい顔で「なにが言いたい?」と囁いた。
「言おうとはしてないわ、思っただけ」オズワルドは続ける。「そのひとたちにとっては、貴方は仲間じゃなかったんだろうなって」
 イヴは心臓をナイフで刺されたのかと思った。それほどまでに、オズワルドの言葉は痛烈だった。どこまでも無防備で痛烈で、とんでもない鋭利を秘めているくせに、そこに悪意は微塵もない。
 イヴは思った。この暢気な娘の物言いは、舌禍を招くのではないかと。オズワルドとは逆隣に座る哀王の顔を、イヴは振り返れない。せめて、話を変えるため、イヴは「ところで、哀王」と愛想のいい声を作った。どうして己がここまで気を遣わなければならないのか辟易へきえきしてもいたが、この場において、二人の緩衝材になれるのは己しかいない。哀王の様子を伺いながら、今日の本題を告げる。
「実を言うと、俺たちが今日ここに来たのは、拾い物をするためなんだ」
「……拾い物?」
「ああ。地上での生活費に困っていてな……亜終点に放棄されていた物品を売れば金になるだろうと。まさか亜終点を管理してる人間がいるとは思わなかったけど」
 同じ脱獄囚である哀王に、亜終点の品物を売り払う許可を得るのもおかしな話だったが、現在、ここを管理しているのは哀王なのだ。伝えておいたほうがよかろうと、イヴは経緯を伝えた。哀王もイヴの気持ちを察してか「好きにしろ」と告げる。
「少し歩いたところに、整理前のがらくたがある。使えるものとそうでないものの選別作業をしているはずだ。そこまで案内しよう」
 先導され、ほどなくして、イヴとオズワルドはがらくたの山まで辿りついた。哀王の言うとおり、まだ整理を終えていないのが見てとれる、雑多なありさまだ。選り分けをおこなっている哀王の部下らしき人影もあり、彼らの周囲は比較的片づいていた。哀王は「事情を伝えてこよう」と彼らに歩み寄る。
 イヴは、少し離れたところに、大きなタペストリーを見つけた。黒塗りの板にはりつけにされたそれは、先刻、話題に上がった品だった。錬金術の寓意図のタペストリー。イヴは近づいて目を凝らす。オズワルドも「見惚れるほど綺麗かしら」と呟きながら、ひょこひょこと近づいてくる。
「綺麗というよりは、興味深いな、って。俺はこっちの方面には明るくないけど、化学ばけがくは嫌いじゃない。錬金術はその祖だ」
「ふうん」
「それに、ここに捨て置かれてあるということは、海の向こうになにかしら繋がっているということだから。珍しい織りかたをしているし、エグラドで作られたものじゃないのかもしれない」
「ふうん」
 興味がないんだろうなと気づいて、イヴは、それ以上話を広げなかった。
 さらに奥へと進んでいくと、書物を整理しているエリアに辿りついた。そこでは、おびただしい数の本が折り重なり、何棟もの塔を築いていた。本の棟がずらりと並び、犇めきあう様子に、イヴは、まるで低木の迷路園を歩いているような心地になった。それに、書物の保存状態は芳しくなかったけれど、品揃えは悪くない。伝記から詩集、なかにはグリモワールの類まで。レーベルに偏りがないのがいい、とイヴは思った。タイトルだけしか知らなかった本や、聞いたこともない本も見かけて、イヴの口からは小さな笑みが漏れる。
「イヴは本が好きなの?」
 その顔を覗きこむように、オズワルドが尋ねる。イヴはおもむろに頷いたけれど、どこか耽るような面持ちのまま、目は本の一冊一冊を追っている。その横顔に「あたしも小説はよく読むよ」とオズワルドは返した。
「イヴはどんなストーリーがお好き?」
「物語に選り好みしない。でも、長編ものがいい。自分と一緒に大人になってくれるものなら、なおさらだ」
「どういう意味?」
「うーん。まあ、それほど長く続いてほしい、ってことかな」
「どうする? あたしたちはお金を稼ぐために拾い物をしにきたんだけど」
 イヴは我に返り、「……そうだな」と呟いた。
「おとなしく物色させてもらおうか。実はさっきのタペストリーを見て、『ラッド博士の論文集』を思い出したんだけど……ここにあるかはわからないし、探すのも大変そうだから」イヴはオズワルドへと振り向く。「さあ、仕事だ。オズワルド、手分けして見つけよう」
 オズワルドは「いいよ」と言って、イヴから離れていく。イヴも、売れるのは書物よりも陶器だろうと考え、本の塔を後にしようとした。
 しかし、そのとき、部下に話をつけてきたらしい哀王に「イヴ」と声をかけられた。イヴは視線を哀王に向けながら、オズワルドを確認した。オズワルドはあたりを凝視しながら進んでいて、イヴの視線には気づかない。イヴは哀王へと向き、「どうした」と答える。
「この亜終点を回って、お前はどう感じた?」
 哀王の問いかけの意図がわからず、イヴは幾許いくばくか押し黙ったが、それもほんのわずかのあいだだった。
「統治に関しては、文句のつけようがない。あの惨状をよくぞここまで発展させたものだ」
「だが、あるものが欠けている。だろう」
隠匿ステルス性のなさだな。灯台下暗しとはいえ、女王政府の管轄下で活動している。なんがしかの尻尾を掴まれる可能性は常にある」
 哀王も頷いた。イヴが指摘するまでもなく、哀王の懸念はそこだったのだ。
「ダストシュートが自殺用コックピットではなく脱出経路だと勘ぐられる日は、きっとそう遠くない。そうなれば、終着点であるここに探りが入るのは明白だ。俺とて、ここに永住するつもりなどさらさらないが、しばらくはここを拠点とするつもりだ……エグラドから独立した組織を作るために」
 哀王の本懐を聞き、イヴは柔らかに目を見開いた。
 哀王の中には、いまだ、かつての野心が潜んでいる。仲間に裏切られ、収監された屈辱と失望。そこから生みでたのは、自己の正統性の主張。それも、新たな共同体の統治という、エグラドを統御する女王政府を脅かすようなものだった。
「まだ机上の空論だがな。だが、イヴ。お前と俺なら、この亜終点を使って、望みを果たせるとは思わないか? 俺たちは、知らしめたいという点で同志だろう? そのためにも、亜終点の現状を悟られるわけにはいかない……どう対処するか、お前の考えを聞きたい」
 亜終点の改革にかこつけた、手を組まないかという哀王からの誘いだった。
 イヴは思案する。哀王と手を組むことの利点。不利点。たとえば哀王の野望。
 亜終点の秘匿の強化に関しても、イヴには最高の策が浮かんでいた。それも、哀王には絶対に考えつかず、成し得ない方法。それはこのエグラドの空に常に浮かんでいる。あの技術を取り入れれば、この空間を抜本的に“不可視”にできる。ここには腕の立つ技術者もいるようだし、解析できないこともないはずだと考えていた。イヴが哀王の考えに乗っかることはひどく容易だった。
「……考えるには、時間がいるだろう」
 けれど、イヴは答えなかった。
 本来なら一も二もなく手を取るべきだというのに。
「ああ」イヴの返答に、哀王は頷いた。「答えのわかりきっている問題ほど、考えやすいものはないだろう。待っているぞ、イヴ」
 そう言い残し、部下に呼ばれた哀王は去っていく。
 イヴに返事を窮させたのは、無論、あの暢気な少女が原因だった。



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