#02 馬鹿は首を吊れ 2/5



 イヴの目から見ても明らかなほど、哀王は本当にできるできる、、、男だった。
 亜終点を一大改革した手腕から予想できたことではあるが、浮浪者たちへの哀王の指示の出しかたは、命令慣れしている者のそれだった。ただの無鉄砲な指図ではない。己の中の確信に従った、計画性と責任感のある発言。指示されている人間たちの表情にも特に不満は見られず、むしろ哀王の意向に賛同している者がほとんどだ。
「ライフラインはどうやって確保している?」
「電気は俺たちの頭上にいる監獄から。ダストシュートの装置に回していたエネルギーがごっそり消えたんだ。それを勘ぐられないように、こちらに回してきたにすぎん」
「どうやって?」
「もう一人の、監獄から落ちてきた男が。かなり腕の立つ技術者だった」
「水やガスもあるようだが」
「大っぴらにはできないルートから。そこは企業秘密だな」
 歩く道を見渡すと、露店には地上と同等の品質の食品類が平然と並んでいた。イヴは瞠目するも、これにも哀王は「企業秘密だ」とぶっきらぼうに囁いた。企業か、とイヴは苦笑したが、たしかにこれは小さな企業と言えた。亜終点を牛耳ぎゅうじる哀王株式会社。そう、イヴは感嘆しながら、哀王の案内に耳を傾けていた。
「物資の確保も、企業秘密のルートから?」
「廃品やジャンクも多かったが、解体ばらして組み直せばどうとでもなるからな。あとは、元々ここに積みあげられていたがらくたで賄った」哀王は一拍置いて呟く。「お前は“亜終点”と呼んだな……この空間がダストシュートの終着点であることはわかるが、白骨以外にも夥しく広がっていたがらくたがなんだったのか、俺はまだ明を得ていない。この空間が手つかずだったことから、廃棄されたものだと推察したが、にしても廃品と呼ぶには上等なものばかりだった。まだ採掘、、作業の途中だが、中にはとんでもないお宝が眠っている」
「どんな?」
「そうだな、たとえば……フラネク古語で彫られた識別票、神聖時代の星図、錬金術の寓意図のタペストリー」
 それらを聞いて、イヴは悟った。
 この空間に折り重なっていたのは、異文化、、、を思わせる品々だ。
 フラネク古語は海の向こうの国の古語だ。今はなき言語――― 絶滅言語として、存在こそエグラドに浸透しているものの、エグラドの主流言語とは方言以上の差異があり、学ばなければ理解できない。そんな言語の用いられた物品が地上にあっては、いずれ詮索と混乱を招く。何百何千年も前の時代とされる神聖時代に至っては、おそらくまだ国境さえない時代だ。エグラドの地理と異なった大陸や視界を見れば、さすがに不審に思うはずだ。錬金術に関しても、元を辿れば、エグラドとは違う地方の国を起源とする学問なのだ。臭いものには蓋をして置きたい。
 おそらく亜終点はそういった異国の物品をも廃棄する場所だったのだろうと、イヴは考えた。これまでイヴがこの世界の真実を知るにあたって、そういった品々を隠匿するための秘密の場所には、他にも覚えがあった。その前例があるからこそ、導きだせた答えだった。
 思いつめるイヴの横顔を見て、哀王は口を開く。
「……どうやらお前は、この国について、俺が知っている以上のことを、知っているらしいな」
 イヴは顔を上げ、哀王を見た。
 哀王はさらに言葉を重ねる。
「お前のばら撒いた話は全て本当だろうが……それ以上の話もあるのか?」
 イヴはなんと答えるべきか悩んだ。哀王が明敏であればあるほど、頷いていい相手かを判断する必要があった。
 なりゆきで口を滑らせることのできた、頭のわるい娘とはわけが違う。哀王のように頭のきれる男には、どこまで情報を共有すべきかの線引きをしておくべきだと、イヴは思っていた。
 はじめは同類だと思っていても、これから先どうなるかはわからない。目的意識の擦り合わせもおこなっていない。もしかすると、イヴのもたらした情報を、彼が悪用する可能性だってあった。その扱いかたがイヴの志向と類似していればよいが、たとえば都合の悪くなるようなものであれば、この初手で間違うわけにはいかない。
 表情ではことさらに涼しげに、けれど俄然とイヴが身構えていると、それにすら哀王は勘づいたように、ふっと小さく笑った。
「……これ以上お前を問いただすのはやめておこう。野暮というものだ。お前の話にはうちの技術者もたいそう興味を持っていてな。戯言かどうか確かめたかっただけだ。忘れろ」
 イヴは肩の力の抜けるような思いがした。哀王からしてみれば、イヴはまだ年若い。どれだけ冷静にふるまったとて、所詮しょせんは青二才なのだと感じていた。
 哀王は変貌した亜終点の案内を続けた。イヴとオズワルドはその後を追っていく。いくつもの露店を横切り、次の露店の物品へと視線を滑らせる。
 哀王の視線の先を見て、イヴは驚いた。オズワルドも倣って視線を追うと、そこにあったものに小さく声を上げる。
「ライフルだ」
 繰出式スライドアクション鎖閂式ボルトアクション。マスケットにバヨネット。種類や大きさは様々だったが、全部で十丁ほど、独特の存在感を放ちながら、濃紺の布地の上に寝転がっていた。
「実物を見るのは初めてか?」
 哀王の言葉にイヴは頷くが、オズワルドは首を振った。意外そうに哀王は目を見開く。イヴも驚いてオズワルドを見下ろすと、オズワルドは「家にあったの」とどうでもないふうに言った。
 世間的に見て、ライフルなんてものは金持ちの娯楽である。一般家庭の者が持つことはまずありえない。集団失楽園の際、オズワルドがエグラディオ新聞社を“お父さんの会社”だと言ったときのことを、イヴは思い出した。あのときのイヴは“父親が新聞社に勤めている”と解釈したけれど、“父親がその社長にあたる”という意味で彼女が言っていたならば。刊行されなくなったとはいえ、かつてはエグラド全土で頒布されていた新聞社なのだから、それは相当な資産家となる。
 オズワルドの家が裕福なのだと仮定した場合、イヴにとってしっくりくる事柄がいくつかあった。たとえば機知に欠けるくせに教養はあるらしいところ。あるいは自由に見えて躾のゆきとどいた所作。甘やかされて育ったかのような小娘は、その実、お手本どおりの淑女レディーだった。
 オズワルドは、まるで人とすれ違っただけだとでもいうように、尾を引かれることもなく、ライフルから目を離した。イヴはそれを眺めたのち、哀王に向き直る。
「エグラドの民の愛するものは、紅茶、フィッシュアンドチップス、リー・エンフィールド……たしかに需要はあるが、この場所では殊更ことさらに嗜好品だろう。揃えた意図は?」
「たしかにライフルは、上流階級のお遊びというイメージが強いが、正真正銘の武器だからな」哀王は続ける。「いくらお前の細工が秘密裏のもので、脱獄が悟られていないとはいえ、先のことはわからない。アンプロワイエに気づいたときの、抵抗の役には立つ」
「弾は?」
「コルク弾と鉛弾。ゴム弾もある」
「銃はこれだけ?」
「表に出してないものも何本かあるが、腔線がダメになっていてな。うちの技術者が言うには、元通りになるまで時間がかかるらしい。ちなみに、イヴ、お前に銃の心得はあるか?」
 イヴは首を振った。
「なら、せめて、ナイフの一本くらいは持っておけ」
「自衛用?」
「ああ。俺たちはあくまで脱獄囚だ。しぶとく生き延びているはいるが、下手を打てば必ず追手が来る」
「俺に戦闘の心得はない」
「俺もだ。だが、威嚇にはなる」哀王はポケットに入る大きさのバタフライナイフをイヴに渡した。「携帯しろ。借りられる威は借りるべきだ。知りたがりも、無謀なだけの命知らずなら、ただの馬鹿だ」
 と、そこで突然哀王の顔色が変わった。オズワルドのほうを見て、鋭い目をさらに尖らせている。
 イヴもオズワルドを振り返る。そばから離れ、果物の露店を歩いているのが見えた。久方ぶりの浅緑の果実に胸をときめかせているようだった。店主は見ない顔の少女に見入っており、周囲に声をかけて囁いたりもしていた。
 イヴはオズワルドの背中に声をかけようとしたけれど、哀王が怒気の孕んだ低い声をかけるほうが、ほんのわずかに早かった。
「おい、そこの馬鹿。あんまりウロウロするな」
「ウロウロってなに?」オズワルドはぱちくりとした目で振り返る。「ゲジゲジのお友達みたい」
「……動き回るな、下手に動かれると厄介だ」
「なら、上手に動くから大丈夫」
「動くなと言ったんだ、わからないのか?」
「嘘。そんなこと言わなかったわ。わかるように言ってくれればいいのに、おしゃべりが下手くそね」
 イヴは小さく笑ったが、哀王は笑わなかった。
 思考の取っ散らかったオズワルドと、理路整然とした哀王とでは相性が悪いのだ。第三者として会話を聞くと、存外、オズワルドも文脈に則って対話していると発見できるのだが、イヴとて、つい最近までは、彼女の言葉をいくらも理解できなかったのだ。吐きだされる言葉に悪意がないことだけは、はじめからわかりきっていたのだけれど。
 しかし、そう悠長にかまえていられたのはイヴだけだった。当の哀王は忌々しそうに「お前はなにが言いたいんだ」とオズワルドに吐きだしている。
「言いたいことは別にないわ」
「ふざけてるのか?」
「ないものはないんだもの」
「そういう話じゃない」
 二人の溝は一向に埋まらず、むしろ話せば話すほど深くなっていくようだった。どうしたものか、とイヴが思ったのも束の間、「ねえ、イヴ」というオズワルドの呼びかけにより、その憂慮も有耶無耶になる。
「もう悪い子になってもいい? あたし、お腹がすいてきちゃった」
 須臾しゅゆ、飛行戦艦の中での会話を、イヴは思い出した。肩を竦める。
「俺たち、の間違いだな」
「イヴも悪い子だわ」
「誰にとって?」
「イヴにとってでしょ?」
「俺にとって俺はいい子だ」
「んま、なんて我がままなお子さまかしら」
「というわけだ」イヴは哀王へと振り返る。「悪い、哀王。ここに食事ができるようなところはないか? 手持ちがないから、なるべく安価なところがいいんだけど」
 イヴがそう言うと、哀王は少し考えて答える。
「軽食でいいならすぐそこにあるぞ。代償は気にするな。奢ってやる」
 オズワルドはにっと口角を上げ「やったね」と言った。
 哀王が侮蔑的な目を向けたのを、イヴは見逃さなかった。



/



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -