一日目[6/8]

「うーん。にしても、このあたりは静かなものだな」
 北参道を練り歩いていると此の面が言った。
 どこが静かなんだろう。ここは人の群れが多く、目の前だって長蛇の列。屋台の前で止まることだって難しく、対面の屋台に近づくなんてもってのほかだ。
「微妙そうな顔」
 此の面は私の顔を覗きこんでそう言った。
 顔に出てたかしら、と私は頬を撫でる。
「本当に、ここは静かなんだよ。もっと賑やかで、楽しいんだ、普通はね」
「これ以上賑やかって……ふとん太鼓がいるから?」
「あたり」
 ここもふとん太鼓が通ったのか、ここにも屋台が壊れる等の被害が出ている。一番哀れなのはとあるくじ引き屋。バグの発生のせいで、開かれた電子くじの投影するホログラムの番号が、どれもあたりの数に書き換えられているのだ。おかげでここはハズレがないと子供たちの格好の餌食になっている。一等二等などの当たりくじが軽々と引き当てられ、くじ引き屋の店主はおーいおーいと泣いていた。
「ここは騒ぎを起こした後のようだね。いまはどこにいるんだろう……すずのデバイスにはなんの報せも届いてないから、大きな動きはないんだろうけど」
 そう言われたので確認してみることにする。スマートフォンをたぷたぷと操作してアプリを開くと、ふとん太鼓の中継が進行していた。
『現在ふとん太鼓は大きく南下しておりますねー』
『南参道からいらっしゃった方々はご注意ください』
『にしても……さっきの格闘は見事でしたね』
『地方からいらっしゃったソーラン節同好会の皆さまです。あの連携のとれた素早い動きは驚きの一言でした。ふとん太鼓には一歩及びませんでしたが』
 此の面は「へえ、今年も来たんだ」と呟いた。知っているのかと尋ねると「四年に一回くらい来てる」と答えてくれた。
「オリンピックみたい」
「そういう感覚なんだろうね。ふとん太鼓の成敗は一大イベントだし。団体で参加してる注目株は他にもいるよ。特攻赤べこ隊、三味戦軍しゃみせんぐん、琉球空手有段者揃いの五人組」
 私は画面に視線を戻す。
 みんな、そんなに、祭りに夢中になっているのか。
『ソーラン節同好会は、お局さんの今年の推しなんでしたよね?』
『はい。四年前の神夏祭でも素晴らしい統率を見せてくれましたしね。今年もそれを期待していました』
『それだけに残念ですね。また四年後、彼らの戦いぶりを見たいものです』
『同感です』
『さてさて、ふとん太鼓のほうですが、留まるところを知りませ、あああっと!! ふとん太鼓が型抜き屋に突撃したあっ!!』
『幸いにも屋根が剥がれただけでした……いえ、周囲でバグが起こっていますね。どうやら半径十メートル圏内の通信機器に通信制限がかかったようです』
『神禍インターネット接続サービスも使えないみたいですね!』
『地味に不便ですねえ。ご愁傷さまです』
 ふとん太鼓は拍車をかけられた駻馬かんばのようだった。獰猛に荒れ狂っては宙に跳ねる。
 そのとき、画面の端に小さく映った若草色を見つけて、此の面は「あ」と声を漏らす。
『本当に今年のふとん太鼓は凶悪ですねー。死人が出ないといいのですが』
『おっかないことを言わないでくださいよ、お局さん!』
『神葬祭はぜひこの神禍神宮でお願いしますね』
『洒落にならないですよもう! ……おや? あれは、』
 私たちの目は釘付けになる。中継の声も自然とやんでいた。私のスマートフォンの画面には、若草色の浴衣を着て、短冊に筆を綴らせる、天ノ川桐詠が映っていた。
 ふとん太鼓の激しい運動によって舞う砂埃。飛沫しぶく人々。荒む草木。その中でしたたかに佇む桐詠が、優美な所作で短冊を放り投げる。
『風荒む すがらに連なる 熱き火は 光の陰やぐ 征矢そやの如し』
 どっと一際強く風が吹き荒れて、提灯の灯りを大きく揺らした。たちまち提灯は炎を帯びて一本のけたたましい龍のようにふとん太鼓を襲う。この世のものとは思えぬ壮絶な光景だった。
『こ、これはすごいいいっ!! さすがは具現の才を得た第五十八回神夏祭の覇者、天ノ川桐詠!!』
『彼女の召喚した炎の龍が容赦なくふとん太鼓に絡みついていますね!』
『そしてあの美しい歌ですよ……! ここ一帯は拍手喝采。ご覧ください、一昨年彼女に魅せられた海外からのファンも大きな声援を送っています!』
 海外からのファンってなんだ。
 疑問に思ったとほぼ同時に中継の映像が切り替わり、拳を強く握る大勢の外国人たちが『キリィヨー!』『スタープリンセェース!』と叫ぶ様子が流れる。
「なんか、すごいね……」
「スタープリンセスとまできたか。言い得て妙だ」
「このまま成敗しちゃうのかな」
「それはどうかな」此の面は続ける。「今年のふとん太鼓は一筋龍ひとすじなわじゃいかないだろうよ」
 画面の中のふとん太鼓が急に動きを止めた。
 桐詠の勝ちかと思われたとき、ふとん太鼓はぐぐっと屈むような動きを見せ、次の瞬間、蓄勢したバネを解放させた。勢いに負けて桐詠の炎の龍が弾き飛ばされる。
『あっと! ダメでしたか〜!』
『むしろ危機的状況ですね。吹き飛ばされた炎が他の見物客や樹木に降りかかれば一大事ですよ! 火の用心です!』
 桐詠は顔を青くさせた。いつかのときのように『いとをかし』と呟いて、具現を解く。炎は雨として地上に降りかかる前に消えた。桐詠はほっと表情を弛緩させる。
 しかし、攻撃されたふとん太鼓は意趣返しだと言わんばかりに桐詠に襲いかかった。
『ひっ』
 桐詠はさっと避けたが、その真上を通過したふとん太鼓はブーメランのように向きを変えて、再び桐詠に戻ってくる。
「まずいな」
 此の面は神妙そうな声で言った。
「それって、き……この子が危険ってこと?」
「天ノ川桐詠の力はたしかに素晴らしいけれど、一つ弱点がある。発動されるまでに時間がかかるということだ」
 それもそうだ。桐詠の才は詠んだ歌を具現・実現させる能力だという。つまり桐詠には、歌を考える時間とそれを詠む時間というものが必要になってくる。このように持続的に追いかけ回されたのではそれは叶わない。
「今年のふとん太鼓は血気盛んだね。こうなると、彼女の見事な才はかえって不利だ。あらかじめ短冊に歌をストックしておこうにも、字を綴り終わった時点で、彼女の意志とは関係なく力は発動される。書き溜めは不可能」
「じゃあ、この子は即興で歌を詠まなきゃいけないってこと?」
「その通りだ。なのに、ふとん太鼓はそうさせてくれない」此の面は重々しく口角を吊り上げる。「ふとん太鼓は先の炎を浴びたが、ほんの少し焼け焦げた程度。まだまだ余力がある。相手を怒らせただけとは、中途半端な火の攻撃が仇になったな」
 バグを散らせながらふとん太鼓は桐詠を襲い続ける。
 そのあいだも駆けつけた討伐隊やその他の人間がふとん太鼓を攻撃していたけど、力を持っていない彼らには決定的な攻撃ができない。
 私もハラハラしながらその状況を見つめていると、ふとん太鼓の上に大きな弾丸が降りかかり、ふとん太鼓を勢いよく地面に叩き落とした。弾丸――いや、大きさで言うなら砲弾のほうが近い。私はそれと同じものを数刻前に見たことがあった。私の場合は真上じゃなく真正面だったけど。
 ふと隣の此の面を見遣ると、彼の蠱惑的な口元は笑みを浮かべていた。
 私はもう一度スマートフォンの画面に映る姿を見つめる。
 口元と鼻だけの狐面。彼の格好はもう神楽舞のときに着ていた白い素襖ではない。祭りを楽しむ少年らしい、濃紺の甚平と分厚い下駄。そして、液晶越しだとしても欺けないほど力強い、あの眼差し。ふとん太鼓へと吹っ飛んできた砲弾こと人間の男の子はまさに、神楽殿で舞っていた少年そのひとだった。
『餅は餅屋だろ』
 幾重にも重ねられた真っ赤なふとんの上に乗る彼の周りには、無数の青い狐火が浮かんでいた。桐詠のものよりもなお烈しく、冷徹な炎だ。
 ばらり、と軋んだふとん太鼓から木屑が落ちる。
 炎の盛りは勢いを増し、ふとん太鼓に襲いかかった。彼まで焼け焦げてしまうと思ったころには、彼はひらりと鮮やかな身のこなしで地上へと降り立っていた。
 実況者や見物客共々、大きな咆哮や黄色い歓声を送る。
『出ましたーっ!! なんと豪華なメンバーが揃ったことでしょう!! 彼こそ、ついさきほど優美な神楽舞を披露した、去年の神化主・弧八田でぇええーす!!』
 弧八田。弧八田彼の面。
 その名前を聞き、続けられる実況から視線を剥がして、此の面のほうを見る。
 体格、背格好、狐面と、それに遮られた互いにつぎはぎの顔。それらの全てがぴたりと当て嵌まる気がした。まるで対称の鏡のようだ。
「ああ、そいつ、双子の弟なんだ」事もなげに此の面が言う。「双子のやつに会ったのは初めてかい? どう? よく似てるって言われるんだけど」
「顔が半分隠れてるのにわかるわけないよ」
 私の返答に、此の面はおかしそうに笑った。笑いは続く。長い。ツボに入ったのかもしれない。むしろツボに入りに行ったふしがある。私がどう返すかわかったうえであんな言葉を吐いた。つまり私は彼のジョークに付き合わされたのだ。なんか癪。
 もう一度実況画面を見る。目を離した隙に場面が展開していた。よくわからない。どうやら今度は弧八田彼の面がふとん太鼓の相手をしているらしいけれど。
 狐の面も相俟って、本当に化け狐みたい。人間とは思えないような軽業で動き回り、力強く拳を振るう。その間も青い燐火ヒトボスは彼に付き従い、熱く燃えてふとん太鼓を襲う。なんて壮絶な。目を疑う妖しい光景だ。
『邪魔よ!』
 そこへ桐詠の声が舞う。歌を綴った短冊を宙へ放った。
『聞こえしは 夢幻ゆめまぼろしやと 思へども しおたまと 匂ひぞ薫る』
 信じられないことに、画面を横切るように大きな波が飲みこんでいった。中継のカメラも水に呑まれ、潜水艦で海に潜っているような映像になる。
「え、な、なにこれ」
「海を寄せたようだねえ」此の面も驚いているようだった。「潮満つ珠は古事記にも載っている、潮の満ちを操る水晶だよ。これでは彼の面の炎もかたなしだ」
 とんでもないことをする。まさか、海を持ってくるなんて。そんなとんでもない芸当をいとも容易く実行できるなんて。彼女はやっぱり、すごい女の子だ。
 けれど、画面では屋台や人まで流れていっている。いっそふとん太鼓よりも被害を及ぼしているのではないだろうか。
 いいのかな。いくら祭りと言えども、やりすぎな気がする。
「まさか」そんな私の意見を此の面は否定する。「ふとん太鼓の成敗劇はこれぐらいしなけりゃ盛り上がらないよ」
「でも……これって、ふとん太鼓の援護をしたことにならない? ほら、さっきまで燃えてたのに、鎮火しちゃったじゃない」
「そうだね。けれど、天ノ川桐詠の攻撃もよく効いているよ。ふとん太鼓も水中ではうまく動けないようだし、そもそも、海水じゃあその体も傷むだろうからね。なかなかいい作戦だったんじゃないかな」
 なるほど、と納得しているあいだに、その海水は一瞬で干上がった、、、、、
「えっ?」
 さきほどまで画面を蹂躙していた水が一気に失せていた。代わりに、間欠泉で見かける湯気のようなものをしゅわしゅわと上げている。映っているひとたち全員が、どこか火照っているようにも見えた。
 驚愕しつつも、私はこの状況を、脳のどこかで理解した。
 弧八田彼の面だ。
 あの冷徹な炎で、桐詠の具現させた波を蒸発させたのだ。
『んな!』
 桐詠は絶句する。美しい眉を怒りに震えさせていた。
 水の攻撃をしぶとく耐え抜いていたふとん太鼓は、逃げるように空中へ飛翔する。
 画面上に映る人々はみんな呆気に取られていた。衣類や髪は乾き、流れていた屋台も中途半端な位置で静止している。そして、気を取り直したように、次々と声を上げていく。それは声援であったり、驚嘆の声であったりした。ただし、当事者である弧八田彼の面と天ノ川桐詠だけは、黙りこんで、互いのことを見つめている。


戻る 表紙 進む

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -