一日目[5/8]

『あっちゃー……いきなり破壊にきましたねー』
『今年のふとん太鼓は威勢がいいですね。去年のふとん太鼓は屋台に突撃しても屋根を剥ぐくらいだったでしょう?』
『ほうほう。と、言いますと?』
『纏代周枳尊も刺激を求めている、ということでしょうね。もしかしたら今年の被害バグは過去最大を記録するかもしれませんよ。見物です』
『ひゃーっ、怖い! お局さんの予見は当たりますからねえ! 今年の祭りは荒れに荒れますよー! この韋駄天、引き続きふとん太鼓の中継をしていきたいと思います! 皆さまもご注意くださいねっ!』
 ふとん太鼓は暴れに暴れていた。
 遠くのほうでは生の悲鳴が聞こえる。
 本当にあんな化け物を成敗するつもりなのだろうか、この祭りの参加者たちは。
「もうすぐ日の入りだ」明後日の空を見上げていた此の面が言った。「これから神夏祭は賑やかになるよ」
「えっ、まだいるつもりなの……?」
「当たり前だろう? これこそ神夏祭の大目玉じゃないか」
「でも、危ないよ、怪我もするよ」
「大丈夫。僕がいるよ」顔すらまともに見せないくせに、まるで王子様みたいなことを此の面は言う。「それに、すずだって気になっているんじゃないかい?」
 私は浴衣の袖をぎゅっと握った。
 その通りだ。
 体験したことのない恐怖の他に、体験したことのない興奮が胸を犇めいている。
――だけど、でも、どうしよう。
「ほら、行くよ」
 躊躇う私を知るか知らないか、此の面は、先へ先へと走りだした。
 私も置いていかれないように彼の後を追う。慣れない草履をチャリチャリと鳴らし、手すりに掴まりながら階段を下りていった。
 一歩踏み外せば不安へと様変わりするような不確かなものだったけれど、私はこのとき初めて、祭りに来た実感を得ていた。きっと眉や頬は引き攣っている。手汗もひどい。だけど胸の高鳴りが少しだけ心地好い。おかしい。
「どいたどいたぁ! 討伐隊のお通りでぃ!」
 そんな張り上げるような声が高らかに響く。
 そちらへと視線を遣れば、なんとも面妖。
 迷彩柄の作務衣さむえに防弾チョッキを着た集団が、神池の周りをぐるりと回ってやってきた。
 苛烈なのぼりや純白のまといを掲げ、そのうえ全員がエアガンを所持している。祭りくじでよく見かけるようなあのエアガンだ。おそらくふとん太鼓の成敗のためのものだろう。どこからどう見ても戦闘モードだとわかる雰囲気に、周りの人間は後ずさっている。
 だが、血気盛んになっているのは彼らだけではない。
 祭り全体の雰囲気ががらりと変わったように思えた。
 サイケデリックにライトアップされた本殿や木々。気づけば境内に響いていた和太鼓の音。野太いかけ声。べーらべーらべらしょっしょ。
「いたぞ! ふとん太鼓だ!」
 討伐隊が一斉にエアガンの銃口を向ける。
 神池の対面から水上を突っ切ってきたふとん太鼓に大量の連続射撃を繰り出した。
 しかし、ふとん太鼓はそれを物ともしない。荒れ狂う刃のような鋭さで一帯を駆け抜けた。蛮勇を振るった猟師たちは全員仰向けに転倒。彼らの弾丸など羽虫がぶつかった程度しかなかったのか、ふとん太鼓は勢いを弛ませることなく、そばにあった木を折りながら去っていく。
 そして、バグの発生。
「ひいっ」
「うわ、なんだなんだ!」
 ふとん太鼓が通った神池の跡から、電子の金魚が姿を見せた。
 電子の金魚は自由自在に宙を泳ぎ、買ったばかりの綿あめや店に並んでいた冷やしパインを食べていった。中には端末に侵入する金魚もいて、改竄される情報に、多くの者が悲鳴を上げた。
 私のそばにも電子の金魚は泳いできた。スマートフォンを巾着に隠してやり過ごしたが、目の前で鮮烈なフラッシュを焚かれた。あまりの眩しさにしばらく視界が白んだ。
「あーあ。撮られちゃったね」
「と、られ?」
「あの金魚、勝手に写メ撮っちゃうんだ。その画像はね、この二日間だけ、アプリ内でバグ再生される変な動画の素材にされちゃう」
「えっ、やだ!」
 一気に青褪めてしまった私は両頬を押さえた。
 こんなまぬけな人間の顔が、二日間も、たくさんの人間の目に晒されてしまうの?
 一生の恥だ。もう生きていけない。
「え、そんなに? 生きていけないくらい嫌なの?」
「嫌だよ。少なくとも、お嫁には行けないよ」
「そんなに簡単に行けなくなるなんて、女の子は大変だなあ」だけど、と此の面は言葉を続ける。「大丈夫だよ。どうせ祭りにいる大方の人間は勝手に撮られちゃってるから。誰も傷つかないよう、暗黙の了解で、その動画は再生しないってことになってるんだ」
 あたりを見回す。
 たしかに、みんな、電子の金魚に、強烈なフラッシュを焚かれていた。人騒がせなやつらである。相変わらず、綿あめは啄むし、焼きとうもろこしは齧るし、金魚すくいの金魚に紛れてお客さんを驚かしたりもするし。
「これが、ふとん太鼓が引き起こすバグ……?」
 かわいらしいのに、なんて悪戯好きな。
「そうだよ」此の面は慣れているのか、電子の金魚を見事にあやしていた。「けれど、こんなのは序の口さ。すずもスマートフォンの管理には気をつけることだね。画像データや電話帳なんかも食われるよ。僕は今年からデバイスの類を持たないようにしてる」
 此の面はともかく、私が神夏祭に来るのは今日が初めてだ。地図がないと迷子になるし、ここ数時間でアプリの多様性に気づき、すっかり重宝してしまっている。バグが起こってだめになるのは怖い。私は彼の言葉にこくこくと頷いた。
 電子の金魚を向こうへやってくれた此の面が「マップを開いてみてくれ」と私に言う。
 スマートフォンを出してアプリを起動する。言われたとおりにマップを開けば、ついさっきまではなかった大きなアイコンが点滅していた。それもかなりのスピードで動き回っている。多分、ふとん太鼓だ。
「地図上でも追えるんだね……」
「もちろん。位置を把握しておかないと、急襲されて重傷者も出るんだ。成敗に必要な情報でもあるしね。だから狛犬サポートセンターでもアプリをインストールすることを推奨している」
 とんでもない祭りだと思った。とんでもない祭りに来てしまった。
「ふとん太鼓ってすぐに成敗されるもの?」
「それはどうだろう。僕も氏子としてこの祭りに参加して長いけど、一日目で成敗されたことは一度もなかったはずだ」
「でもね、たまたま聞いたんだけど、きり……天ノ川桐詠が成敗に参加するんだって」
「へえ、彼女が?」面白そうに此の面は呟く。「たしかに彼女は一昨年にふとん太鼓を倒している。面白い展開になるかもしれないね……だけどやっぱり、すぐには倒せないよ。まだ誰も今年の御物を見つけだせていないし」
 ぎょぶつ、と繰り返して思い至る。
 境内のどこかに隠された、神様の宝物のことだ。
 その宝物を見つけた者にはふとん太鼓を成敗するための才能が与えられるらしい。神夏祭独特のこのシステムは天恵制度と呼ばれている。
 胸躍るワードではあるけど、こういうのは大抵、期待して裏切られるものだ。期待して、もしかしてって思って、届かない。お前なんかには、私なんかにはおこがましいんだって。全てが終わってから、冷静になって、やっと気づくのだ。いま気づいている私は、ある意味ではラッキーだった。
「その宝物も……すぐに見つかるものなの?」
うーん、、、。こればっかりはだろうね」
 此の面はさして面白くもない駄洒落を言った。
 私は笑わなかったけど、本人はとても楽しそうだった。
「見つけるためのジンクスとかはよく聞くけど。二礼三拍手一礼で参拝するといいとか、神楽の奉納を見るといいとか」
「じゃあ、さっき神楽殿にいたひとたちも、みんなそれが目当てだったりするのかな」
「かもしれないね。そんなジンクスを信じている人間のほうが少数派だろうけど」
「此の面は? 信じてるの?」
「信じてないよ。言ったろ。こればっかりは運の問題だ。言うならば、神様の、纏代周枳尊の気まぐれ。纏代周枳尊が適当に隠した宝物を、偶然誰かが見つけるっていう、そういうシステムなんだから。ジンクスなんかで確率を上げたりしては、面白くないだろう?」
 気がつけば、ふとん太鼓が荒した箇所の復旧工事が行われていた。どうやら破壊跡は周りの店主たちが力を合わせて行うらしい。お互いの屋台はお互いが守り合う協定を組んでいるようだ。また、木々や石段の処理は神禍神宮の人間が処理していた。
「ここでは邪魔になる」
 此の面の目配せを受け、私たちは歩きだす。
 お腹がすいたと言って、此の面は焼きそばを買って食べた。ソースと紅ショウガのいい匂いに私も惑わされそうになったが、おそらく帰れば夕飯が待っているので控えることにした。代わりにラムネを買って喉を潤す。そのあとに見つけたカスタードクリーム入りのカステラには食指が動いたが、帰りに買えばいいということで己の欲に決着をつけた。
「本当にいいの?」
「いいの」
「こういうのはね、我慢をしないほうがいいんだよ、お祭りなんだから」
 そんなの関係ある……?
 此の面は、私にはわからない理論をよく言うのだ。
「まあ、買いすぎで散財するのはあまりよくないけど……祭りはこの二日間だけしかないんだ。この二日間は好きなように夢中になればいい。祭りとは、そういうものではないかい?」
 よくわからない。
「おや、灯りがついたね」
 パッと明るくなったと思って見上げてみたら、電線と同じ高さのあたりに張り巡らされていたカラフルな提灯が光を燈していた。数珠のように繋がれるその光に、すっかり日が落ちていたことを知る。夏の夜らしい熱の匂いもする。暗くなった空には祭りの明かりがよく映えた。


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