一日目[7/8]

『す……凄まじい!』やっとのことで、実況が声を上げた。『驚きました……私を含め、一同絶句してしまいましたね!』
『まさしく、白熱の状況! 一瞬たりとて目が離せない!』実況の韋駄天は語尾を跳ね上げるように言った。『やはり、過去に神化主となったプレイヤーは格が違いますね! ちなみに、この戦闘で拡大した被害の修繕は、神禍神宮が行ってくれるそうです。ありがとうございます!』
 観客一同が小さく礼をしていたので、私も礼をすることにした。
『さて、お局さん、貴女はこの戦いをどう考えていますか?』
『うーん。拮抗しているように見えて、弧八田彼の面の優勢ですね。天ノ川桐詠のように多彩ではないけれど、彼の能力は多才ですから。これはもしかすると連覇もありえるのではないでしょうか』
『ほほう! 今年の神化主も彼で決まりかもしれない、ということですね』
『これにあやかろうと、いくつかの屋台が彼のグッズを販売し始めたようですよ』
『若い人間が頑張っているというのに、大人はこすいですねえ!』
『しかし、まだわかりませんよ。さきほど敗北した討伐隊ですが、明日、戦力を拡充してリベンジするとの噂が……』
『これはこれは、興味深い展開になってきました!』
 ふとあたりを見回すと、祭りを行き交う人々みんながパンフレットデバイスやスマートフォンでふとん太鼓の成敗の中継を見ていた。それどころか、生で見ようと実際の戦地へ向かう者までいる。
 こういう光景には覚えがあって、それはオリンピックの放送中であったり、ワールドカップの試合中であったり様々だ。プレイヤーの一挙手一投足に目を奪われている点では同じ。ただの祭り。されど祭り。こんな大舞台で、自分とそう歳の変わらない人間が眩しいほどに輝いているのが、輝けるのが、すごく羨ましかった。
 比べるのもおこがましいけれど、私にはできっこない。
 画面上のふとん太鼓の成敗が白熱すればするほど、私は何者かに距離を置かれているような気がした。遠ざかって、コントラストがゼロになって、私はそこらへんの石ころと同じになる。飲みこまれてしまう。ただの空気だ。これはいわゆる疎外感。そして、そんなものを感じている、みっともない自分の厭らしさと言ったら。
 つやつやの黒髪もチェリーレッドの唇もない。ましてや、特別な力なんて、あるはずもない。いいなあ、だなんて。願うこと自体が分不相応な自覚はあるから、卑しいと思わずにはいられない。そう我に返った瞬間ほど、私をみじめにするものはなかった。
「考え事かい?」此の面は私の顔を覗きこんで言った。「とても難しい顔をしているね」
 視線だけを斜め下へと逸らす。じっと伺われることで自分の欠点を見つけられるのが嫌な私は、よく不躾とも取れるような態度で、正当に相手から逃げていた。
 多分、私は少し面倒な性格をしているんだと思う。
 周りと比べて、自分の嫌なところをひっそりと見つけては、大きく自信を損なっていく。ひっそりと憧れるたびに、お前なんか思い上がりも甚だしいって、そう思いながら、欲張ることをやめられない。自分の目は銀のナイフだ。バターかなにかみたいにごそっと削り取る、先天性の監査。生まれたときから持ち続けた瓶の中身には、最低限のものしか残っていない。それを埋めようとして欲が出るのだ。手に入らない、入るとも思っていないものばっかり欲しがって。
「……ちょうど区切りがついたところだ。もうそれも空になったろ? ラムネでも奢るよ」
 たしかに、画面の中の戦いは、ふとん太鼓が弧八田彼の面から逃げおおせることで、一旦幕を引いていた。中継ではまたふとん太鼓が新たな区画を襲っていたが、成敗される気配はない。
 私が片手で持つラムネの瓶には、もうビー玉しか残っていなかった。カラコロと音を立てるそれを持ち上げて、さっと提灯の灯りに透かして見た。世界が歪んで見える。そんなふうに歩いている私に、飲み物屋を探す此の面は「危ないよ」と声をかける。
「楽しいお祭りで怪我をすることほど、不幸なものはない。気をつけな」
「……ふとん太鼓がいるのに、怪我をしないほうが大変じゃない」
「あれは特別。痛いのは不幸だけど、楽しんだ先に負ってしまった怪我は、名誉の負傷。何代か前の、ソーラン節同好会の会長が言ってた」
「なにそれ」
 やはり、祭りは人を狂わせるみたいだ。
 熱気で煽りたてて、突拍子もないことだって平気でできるようになる。
 楽しいから。楽しむために。
「……私なんかといて、楽しい?」
 ずっと考えていただけのことを、思わず声に出してしまう。
 だから、言った瞬間に後悔した。
 こんな醜い言葉、聞いたことがない。きっと彼にも醜いと思われたはずだ。
 途端、わけがわからなくなるほどの恥ずかしさが胸にぶわりと広がった。
「楽しいよ」だけど彼は平然と、私の予想とは違う反応を示す。「すずは楽しくない?」
 そこで私に問い返すのかと、私はほんの少し唇を噛む。
「僕はね、すず。できることなら君にもこの祭りを楽しんでもらいたいと思っているんだ。僕は生まれてこのかた、この祭りをつまらないものだと思ったことは一度もないし、これ以上に楽しいものを知らない。神夏祭は素晴らしいよ。年に一度の神の無礼講。わくわくどきどきするだろ?」
「わくわく……どきどき……」
「そう」此の面は鼻唄でも歌いだしそうだった。「わくわく、どきどき」
 飲み物屋は案外すぐに見つかった。私は自分でお金を払う気でいたけど、巾着から財布を取りだすよりも早く、此の面は店主にお金を払っていた。
「あっ……え、ごめん」
「いいよ、これくらい。さ、ようく好きなものを選ぶといい」
 そう言って此の面は私をケースの前に立たせる。
 キンキンに冷えたラムネやペットポトルが水の中で並んでいた。選ぶと言ってもどうせ同じラムネだ。違いなんてあるだろうか。
「なあに、すず、そんなにラムネが好きなのに、こだわりなかったの?」
「え……あの、だって、ラムネだよ?」私は眇めるように此の面を見る。「どれも一緒で、どれも一緒だから、どれを飲んでも素晴らしく美味しいんじゃないの?」
「いつもならね。でも、ここは神禍神宮夏祭りだ」
「えっと、うん、それは知ってるけど……」
「それはなにより。でも、だからこそ、今年の今日ばかりは、ちゃんと見比べて、これだと思ったものを選んだほうがいい」
「なんで?」
「風の噂で聞いたんだ」彼はまた、狐面の耳のあたりに両手を持ってくる。「君は聞いたことない? 神様はラムネが好きだって」
 なにそれ。
 冷えたケースをふよふよと覗きこむ。どれも同じラムネに見える。きらきらした泡が星屑のように上のほうへ流れていく。どれも爽やかで、おいしそう。こうやって眺めているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
 私は、最後に視界に映った一本のラムネを取りあげた。
 通行人の邪魔にならないように、神池を囲む石の柵に背凭れる。
 そこでパコンと栓を落とした。
「えっ」
 びっくりして、素っ頓狂な声が出た。
 ラムネの音にではない。振動音にだ。
 栓を落とした瞬間、デバイスがバイブしたのだ。
 それも自分のものだけでなく、あたりにいるひと全員の。
 それに誰もが驚いていたようで、即座に起動させて、何事かとチェックしている。ざわざわと混乱の波が生まれる。あまりに驚いていた私は反応が遅れる。なんだろう。もしかして、また、ふとん太鼓がなにかしたのだろうか。
 私は、ふと、視界の端に煌めきを感じ、視線を落とす。
 正体はラムネの線の役割をしていたビー玉だった。おつむの固い人間みたいな言いかたをするなら、エー玉と呼ばれるそれ。ただし、栓から落ちてきたのは、普通のラムネにあるような、ただのガラスの球体ではなかった。ときめくほど綺麗。喩えるなら、宝石掴みの店できらきらと光っているアクリルアイスだ。見たことのない彩色のビー玉がラムネの瓶のくぼみの上で震えている――――震えている?
 そのとき、背後にあった神池のクリスタル液晶パネルが、冴えるほど強く光りだした。

『おめでとうございます。宝物が発見されました』

 その場にあった全てのデバイスから、機械的な音声が漏れだした。
 バッと背後を振り返れば、神池が一枚の大きなスクリーンのように一人の少女の顔を映している。見覚えのありすぎる女の子だった。自信のなさそうな、どう見ても頼りない、混乱しきっている表情。くっきり一重と子供っぽい鼻ぺちゃ。
 どこから撮られているのかはわからないけど――間違いなく私だ。
 みんなが私を見ている。神池を覗きこみ、周囲にいるとわかると興味深そうに私を見つめ、そして、私の持つラムネの瓶の中のビー玉を見つめる。
『今年の御物はラムネの中に隠されておりました。見事見つけだした方には、纏代周枳尊より、ふとん太鼓を成敗するための力となる才能が贈られます。才能は神夏祭のあいだという制限内で一生涯付与していただけます。どうか新たな才の主に、幸多からんことを』
 天上を渡り走る提灯が、ディスコのように光を乱反射させた。
 眩しい。何故だか急に全てが眩しい。呼応するように、体が熱を持ち始める。
 ラムネの中に入っていた御物がさらに強く光った。
 まるで水の膜を通るみたいな容易さで瓶をすり抜け、私の胸元まで浮かび上がる。怖くて逃げようと爪先を動かした私よりも早く、その光の玉は私の胸に飛びこみ、溶けるように消えていった。私の体が淡く発光したかと思うと、それはすぐに収まる。代わりに満たされていくなにか。
 呆然としている私に、わっと大きな声援と拍手が送られる。
『いやー! どうやら今年の天恵制度も、滞りなく終えられたようですね。お局さん!』
『やはり誰かが受け取らないとだめですよねー。誰も見つけ出せないまま歴代の神化主たちが成敗してしまったらどうしようかと思ってましたよ』
『実際、前半戦は素晴らしい戦いぶりを見せてくれていましたし!』
『今年の天恵はどんな能力なのか、楽しみですねー』
『新たな才の主の活躍に期待しております!』
 ふとん太鼓の実況をしていた二人の声までもがコネクトされた。
 これほどまでの声や音を、自分一人に向けられたことが、未だかつてあっただろうか。
 固まったまま動けない。脳も白んでいる。どこに目線を向ければいいのかわからなくて呆然としていた。言葉にし難い感覚に、全身がむずむずするほど粟立つ。


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