一日目[3/8]

 型抜きの女王陣営の声の波と、ヒットマン陣営の声の波が大きくぶつかっていた。暑さを追い立てるような熱気だった。まるで学校の体育祭。紅白歌合戦。ふとん太鼓なんてものよりも先にここで戦争が起こってしまいそうだ。特に渦中最奥の二人はピーチクパーチク罵りあっている。
 しかし、そんなときだった。
射干玉ぬばたまの 夕べのえんには 情けなき 烏合にあはぬは 夢ならむやは」
 歌を詠んだ淡い色の短冊がひらりと空気を割き、消えたと思った瞬間にその場を犇めかせていた声がぴたりとやんだ。
 気圧された、とかそんな曖昧なものではなく、物理的に。身体的にと言ってもいいのかもしれない。型抜きの女王の口を縫いつけられたように少しの隙間さえもできずに開かなくなった。彼女は口を開けようと表情筋が引き千切れそうなほど抵抗したが、それに伴って体が伸びをするだけだ。一言だって発せられない。
「通行の邪魔だって自覚はある? 純粋なる氏子うじこにとっての害悪でしかないわ」
 その中で一人、当然のように声を発したのは、先ほどの歌を詠んだ少女だった。
 山吹色の帯が調和する若草色の浴衣を着ている。和柄の髪飾りでアップにされた髪の毛は都会のファッションモデルのようにくるくると巻かれていた。大人になってもしていたらキャバ嬢だ。けれど、その髪型にも負けないはっとするようなかんばせをしていた。私と同年代くらいなのに、その歳には見合わないほどの自信と誇りに満ちている。
 彼女は一口食んだチョコバナナを型抜きの女王とヒットマンに向けた。
「いい大人した二人がなんて体たらくなの」
 型抜きの女王もヒットマンも顔を険しくさせる。口を塞がれているからなにも言えないが、きっと解放されれば罵詈雑言が飛びだすだろう。顰めた眉は少女を責めきっていた。
「騒ぎたいならよそでやって。少なくとも、店を隔てるこの道の真ん中でやっていいことじゃないでしょ? おわかり?」
――――っ! ――――!!」
「ああ、そういえば話せないんだった」
 音もなく抗議する二人を見て、少女は思い出したようにそう言った。それから、恩情でもかけるような声で「いとをかし」と呟いた。その瞬間、封印でも解けたように、さっきまでの賑わいが息を吹き返す。
「キリヨ! あんた、いくらなんでも無理矢理黙らせるこたぁないでしょ!」
「どうせ一言訴えたって私の声なんて聞こえなかったじゃない。祭りを楽しむのは結構だけど、お二人のような楽しみかたをしない人間もいるってことを忘れないようにね」
 その言葉に、型抜きの女王もヒットマンも顔を苦くした。
 実際、私以外にも、さきほどの半乱痴気騒ぎに怯えていた者が少なからずいた。キリヨと呼ばれた威風堂々とする少女の背後に、その友達であろう少女たちと、子供連れの大人が何人ばかりか、不安げな顔で控えていたのだ。
「どれだけ野蛮でもお二人は先輩。私の言うことがいかに正しいかくらいは、わかっていただけて?」
 キリヨは淡い色をした三枚の短冊と筆ペンを威嚇するように構える。
 躊躇うような表情をしたあと、型抜きの女王とヒットマンはがっくりと項垂れた。
 するとさっきまで二人を煽っていた人だかりがわっと歓声を上げる。甲高い口笛が音頭のように飛び交い、野太い声で称賛が贈られた。
 その全てをキリヨは当然の面持ちで受け止める。
「えっ……なに? 何者なの……?」
 混乱する私の呟きを拾った型抜きの女王が、囁くように私に教えてくれた。
「あいつは天ノ川あまのがわ桐詠きりよ。一昨年ふとん太鼓を成敗したプレイヤー。歴代神化主のなかでも最年少記録だってんで散々に持て囃されてんの」
「あの歌の書かれた短冊は?」
「天恵制度で得た才能。一昨年の神夏祭で神様の宝物を見つけたのはキリヨだった。キリヨはその力を使って、ふとん太鼓を成敗したってわけ」下唇を突き上げるように、ぶちぶちと文句っぽく垂れる。「鬱陶しい才能だよー、ありゃ。実現・具現の才能。短冊に書いた歌の通りになるの。風情があるってコアなファンがついたけど、あたしに言わせりゃあんなのただのかっこつけだね」
「へえ……」
「すんごい厭味なやつだったでしょ、あいつ。親が牽牛織女だってんで鼻にかけてんの。はんっ、なにさ! 織姫と彦星の子供だからってえらそうに! どうせ七光りでしょ! 大体、七夕祭りならともかくこれは神夏祭っ! 年に一度の無礼講っ! 纏代周枳尊もなんでキリヨなんかを野放しにしておくかなあ、もうっ!」
 私怨が混じってきたようなので右から左へと流しておく。
 型抜きの女王はそんな私に気づかず、まだ荒んだことを紡ぎながら地団駄を踏んでいた。
 私は開いた道を堂々と歩く桐詠を目で追いかける。彼女は背後に控えていた友人に話しかけられているところだった。
「ありがとう桐詠ちゃん」
「やっぱり桐詠ちゃんはすごいねー」
「ねえ、今年はふとん太鼓の成敗に参加しないの?」
「えぇえー、別にいいよ」友達の前だからか、崩しがちな態度を桐詠は見せた。「今年はみんなでお店回りたいし……去年はチョコバナナ全制覇できなかったからなあ」
「でも、今年も桐詠ちゃんなら絶対倒せると思うの!」
「一昨年の桐詠ちゃんかっこよかったよねっ」
「ねーっ」
 友人たちはそうだそうだと頷きながら、憧れと期待の目で桐詠を見ていた。彼女はその目に押し上げられ、気分が高揚したのかもしれない。さっき型抜きの女王とヒットマンの前で見せたような堂々とした色がその顔に射しこんでいく。
「ふうん? なら、私も今年は参加しようかな」
 追うのをやめて、私はラムネをくっと飲み干した。
 中のビー玉がカラコロと音を立てるだけになる。
 どうしてあの子は、あんなに自信に満ち溢れているんだろう。あんなにたくさん友達もいて、楽しそうに祭りも回っていて、それで、神化主なんていう大層なものにもなって。
 祭りの賑やかさが、どんどん私をどん底にまで突き落としていく。
 私、一人ぼっちで、はぐれてる、、、、、。これから私はこんなところでやっていかなくちゃいけないの? 身の程知らずだって、笑われちゃう。もしかしたら、この型抜き屋にいるひとたちだって、あれ、あの子一人ぼっちだって、心の中では笑ってるのかも。そういうふうに夏愁は止まらない。
 居心地が悪くなって、私は型抜き屋を出ることにした。お金を払う前だったので、すんなりと出ることができた。
 ラムネが飲みたくなった私は、スマートフォンを開いてアプリを起動させる。マップを展開すれば現在位置が把握できた。目的のワードを検索すればその位置まで特定できるらしい。検索ワードの欄にラムネと入れれば、すぐにラムネの打っている店がチカチカと光りだす。
 いつまでも空になったラムネの瓶を持っているのが嫌で、次に検索ワード欄にごみ箱と入れた。簡易のごみ箱が設置されている場所が点滅。本当にこのアプリは便利だ。
 一番近くにあったごみ箱に瓶を捨ててから、ラムネを目指して進んでいく。
 私は、そのラムネを飲み終える前にも、帰るつもりだった。
 引っ越してきたばかりの新しい家を出た時刻を考えれば、滞在時間としては上々だ。これだけここにいたんだから、親も満足してくれるはず。そろそろ草履の鼻緒が足の指の間に食いこんでくるころ。靴擦れで痛くなる前に帰りたいのが本音だった。巾着の中に絆創膏はあるけど、足の皮膚というものは絆創膏の粘着にいとも薄情であることを、私は知っている。草履に巻きこまれてダンゴムシになる絆創膏の末路が、ありありと浮かびあがった。
「ラムネ一つください」
「はいよ」
 私は店番をやっていた小学生くらいの男の子にお金を渡す。
 男の子がラムネの瓶が掻いた冷たい汗を拭ってくれているときに、表参道からたくさんの人が押し寄せてきていることに気づいた。みんな、焼きそばやフライドポテトなどの食べ物を持って、奥のほうへ進んでいく。本殿や幣殿のほうかとも思ったが、耳をすましてみたところ、神楽殿という単語が聞きとれた。他県から来た観光客らしき人間はパンフレットデバイスを見ながらそこを目指しているようだった。本格的な行事が催されるのだろう。その人の多さと言ったら、さきほどの型抜きの女王とヒットマンの乱痴気騒ぎや天ノ川桐詠の歌詠みを大きく上回る。
「どうぞ」
 男の子が差しだしてくれたラムネを受け取った。
 離れたところでラムネを開けて、ぐびっと喉に入れる。淡い針のある甘さが心地いい。
 ある程度見回ったし、雑踏にも気疲れてきたし、そろそろ帰ろうと踵を返す。表参道は人の波が凄まじかったが、鳥居のほうまで行くといっそ静かだ。他の出口を探すよりもずっといい。ラムネは帰りながら飲もう。
 長い道から露店が消え、常盤の緑の葉が茂ってくる。両端に立てられた格子状の柵には無数の風車かざぐるまが犇めくようにかけられていた。じっと息を殺しているものがほとんどだ。音も立てずに、心もち薄暗くなっただけの空気に呆れかえったように黙りこんでいる。まだ風はないのだろう。
 風車の壁に囲まれながら歩みを進める。
 鳥居をくぐろうとしたときに、目の前になにか降ってきた。
「ぅわああっ!」
 パフュームとは程遠い、本気でお腹から出したような力強い悲鳴が出た。
 無理もない――虫や木の葉ならともかく、降ってきたのはそれよりも格段に大きい人間の少年だ。
 私は慌てて頭上を見上げる。
 視界に移る真っ赤な鳥居。
 まさかとは思うけどあそこから落ちてきたの? ありえない。鳥居の通常なんて知らないが、神禍神宮の鳥居はかなり大きいように見える。てっぺんの笠木まで少なくとも二十メートルはある。そんなところから落ちてきたなら、ただじゃすまない。
 にもかかわらず、目の前の少年は膝の筋肉を伸縮させて上手に衝撃を逃がしているように見えた。怪我一つなく、着ている紺色の浴衣にも汚れ一つない。その分厚い下駄にしたところで、鼻緒はきっちりと結ばれたまま、歯も折れたようにも見えない。
 彼は私の目線より少し下まで屈みこませていた体をふわりと起こし上げる。
「せっかくのラムネなのに、もう帰ってしまうのかい?」
 狐面。それも、露店で売っているような安っぽいものではない、上等そうなもの。彼の顔の上半分はそれで覆われていた。下半分のない、珍しい形の仮面だ。ちょっと変だとさえ思う。だけど、やっぱり男の子って、と呆れさせてくれない妙な雰囲気を持っていた。


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