一日目[2/8]

 店主であろう男性が「チッ、完敗だぜ」と首に巻いてあったタオルを叩きつける。口では悔しさをこぼしていたが表情に苦味はなかった。
「残念だったね、大将。ま、今年はなかなか楽しめたよ」
「いーや、今年も完全に俺の負けだよ。さすが女王だ。来年はもっと難しい型を用意して待ってるぜ」
「はっはっはー! あたしを負かしたかったら曼荼羅マンダラでも持ってきな!」
 型抜きの女王は気持ちよさそうに笑う。配当分の三万円を手にして「これで今日の祭りの小遣いは稼いだ!」とガッツポーズをきめた。
 集まっていた観客は散っていく。型抜きの女王と大将との勝負が見物だったようで、それが終わったならと去っていくようだった。型抜きの女王は有名なひとらしい。近くの屋台でも「女王がまた勝ったらしいぞ」と噂の波が広まっていた。
 せっかくだから私もしようかな、と手頃な型を物色する。少し力をこめれば折れてしまいそうな手弱女たおやめの菓子はどれもこれもざらざらと私の手を撫でた。
「お嬢ちゃんにはこっちの型のほうがいいよ。それは案外難しい」
 ほとんど耳元から聞こえた声にびくっとした。ぱっと振り向くと、型抜きの女王が背後から私を覗きこむように立っていた。距離の近さや相手の正体にさらに驚いてしまう。連続でメールを受信した携帯のように震える私を、型抜きの女王は眉を寄せて見つめた。
「どしたの?」
「えっ、あ、いやぁ……」
「やんないの?」
「えう、あう、その」
 まともに返答もできない。私は、まるで爆弾の導火線に火を点けられたかのように気が急いているというのに、なんでこのひとは、初対面の私にそんなにフランクに、余裕な態度で話せてしまうんだろう。大人ゆえの貫禄だろうか。もし私が大人になっても、こんなふうに堂々としていられる自信はない。それだけで私は簡単に、この女王様に苦手意識を持ってしまう。
「っていうかあんた、見ない顔だね? 型抜きはじめて?」
 型抜きの女王は首を傾げる。
 見ない顔って、むしろどうして他のひとの顔を覚えているのだろう。型抜きをする人間の範囲程度だろうけど、まるでよそ者扱いされたようで肩身が狭い。
「そ、そうですけど」
「んー、だと思った! あたしこの祭り歴二十年なの。五歳のときから毎年通って、いまでは型抜きのプロってわけ。大抵の店に入り浸ってるから毎年来るメンツは覚えてんだ」
「はあ……そうなんですか」
「あっ、どうせなら神池近くの型抜き屋のほうがいいよ。あそこは初心者向け。こっちはけっこう上級者向けなんだ。その分型はすっごい面白いけど」
 ハキハキとしたしゃべりかたをするひとだった。テンポも小刻みで、どちらかといえば低い声が妙な安定感を生む。けれど、私はうんとかすんとか曖昧な返答しか返せない。まさに陰と陽。なんで私はこのひととしゃべってるんだろう。なんでこのひとは私なんかとしゃべってるんだろう。
「おーい、聞いてる?」
 型抜きの女王は私の顔を覗きこんで言った。
 私はさっと目を逸らす。
 かなり失礼な態度をとったというのに型抜きの女王は首を傾げるだけだった。
 一連の動きを見ていた型抜き屋の店主が「やめときなって」と声をかける。
「多分、その子、引っ越してきたばかりの子だ。まだ慣れてないんだよ」
「えっ、そうなの?」
「御風さんとこのお嬢さんだろ? 自治会の説明のときにちらっと見たことがあるぜ」
 型抜き屋の店主は「違うかい?」と聞いてきた。私は半ば呆然としたままこくこくと頷いて答える。型抜きの女王は「あー、そっかー」と頭を掻いた。
「じゃあ神夏祭もはじめてなんだ?」
「は、はい」
「へぇええ。なら右も左もわかんなくて当然だね。なんか悪いことしたなー」
 ごめんね、と謝る彼女に私は申し訳なくなった。でも、こちらから謝っても、彼女はなんで?≠ニ尋ね返すに違いない。だから私は罪悪感を押さえて、首を振るしかできなかった。
 それから型抜きの女王は私のためにいろんなことを教えてくれた。どこの卵せんべいが安いとか、どこのくじびきが当たる確率が高いとか。その全部を覚えておくことは無理そうだったので、自分の興味のある範囲を心のメモに刻んでおく。その勢いのある会話の途切れ目に、型抜きの女王は「あっ」と思い出したように声を張りあげた。
「七時ごろの幣殿には絶対に近づいちゃだめだからね。ウイルスが解放されてものすごい勢いで飛んでくるから毎年怪我人が出てるんだ」
「ウイルス?」
「ふとん太鼓だよ」
 それは、狛犬サポートセンターの解説のときにも聞いた単語だった。
 神夏祭の大目玉であるふとん太鼓の成敗は、鮮烈過激で唯我独尊。四方八方縦横無尽に暴れ回るふとん太鼓をどうにかこうにか駆逐するのだ。型抜きの女王曰く、怒号と悲鳴が飛び交う大戦争なのだとか。実物を見たことがないのでまだわからないが、きっととっても危ないのだろう。毎年怪我人が出ているという事実は伊達じゃない。
「ふとん太鼓ってどんな感じなんですか?」
「んー。強いかな。暴れん坊将軍みたい」型抜きの女王は気だるげに腕を組む。「でも、けっこう立派な飾り山車でねー……彫り物も優美な感じで。見てる分には楽しめるんじゃない? 暢気に見る暇もないくらい被害すごいけど」
「被害……」
 私の呟きに型抜きの女王は苦笑した。
「そ。バグ。それも含めて神夏祭の名物だから」
「な……なんでそんなものが毎年解放されるんでしょうか」
「うーん、それはあたしにもわかんないな。祭神である纏代周枳尊も神様になったばっかの超若者だって聞くし。ハッチャケたいんじゃない? ま、あんたみたいなか弱い女の子には刺激が強いだろうけどさ。とにかく、幣殿には近づかないこと。オッケイ?」
 私は小さく頷く。
 けれど、心配してくれている型抜きの女王には悪いが、私は元から六時までここにはいない心づもりでいた。遊ぶ相手もいないのにそんな夕方まで残っていられるほど私の精神は強くない。ちょっとは興味があったけど、怪我人まで出るほど危険なら、深くは関わらないほうがいい。触らぬ神に祟りなし、だ。
 言いたい話も終えたのか、型抜きの女王は私から視線を剥がした。そして、その結果として視界に入ることとなった対面の店に目を見張る。少し離れたところにある射的場を見て、ふらふらと手を振った。
「おーい、射的小僧」
 射的場にいた一人の少年は振り返った途端に「げっ、型抜きババア」と顔を顰める。そんな少年に、型抜きの女王は「誰がババアだぶっ刺すぞ」と軽い睨みを送った。
「なんだよ女王様。俺はいま忙しいんだけど」
「あーあー、一年ぶりの再会にしては冷たいなあ」
「そういや聞いたよ。あんた、また勝ったんだって?」
「当然」
「相変わらず型抜きなんてちゃっちい遊びやってんだって笑っちゃったよ」
「んだって? あんただって射的なんて独り善がりのさもしい遊びやってるくせに」
「はあ? いっぺん表出ろ。ぶち抜いてやる」
 射的用のコルク銃を構えていた少年は青筋を立てて型抜きの女王を見据えた。
 高校生ほどの背丈。齢としても私よりいくつ分か年上なくらいだろう。けれど、私たちよりもずっと年上である型抜きの女王相手に一歩も譲らない態度をとっていた。
 よく見ると彼のいる射的場にはギャラリーができている。まるでさっきまでの型抜き屋のようだ。型抜きのときよりも年齢層は上がり、大人の男性や年頃の女の子が多い。野太い歓声と黄色い声。おそらく彼のファンかなにかだろう。彼がどれほどの人物なのかはそのざわめきに耳をすませばすぐにわかった。
「さすがヒットマン」
「もう五十個も獲物を撃ち落としてるんだってよ」
「聞いた? お化け屋敷前の射的場は全部落とされて、屋台しまうしかなくなったって」
「ひえー! おっそろしい!」
 脇から聞こえてきたそんな悲鳴に、彼は悪戯っぽく口角を上げた。
 聞くかぎり見るかぎりにおいても型抜きの女王と遜色ない経歴を持っているのだろう。
 なるほど。
 彼は射的のプロ、まさしくヒットマンだ。
 インテリ風の眼鏡の奥にはくりくりと大きな目。アメリカンコミックに出てくるヒーローのお面が、うなじあたりに引っかかっている。爽やかなシャツとカーゴパンツはいかにも高校生な感じがして、だけど、古びたビーサンだけは腕白そうな雰囲気を持っていた。
 型抜きの女王はプフッといきなり笑いを噴きだした。
「っていうか、あんた、髪染めた? 去年までは黒髪だったのに」
「うっ、うるせえ! 染めようがなにしようが俺の勝手だろ!」
 にやける口元を手で押さえながらからかう型抜きの女王に、ヒットマンは射的のライフルを向ける。
 周りはどっと声を大きくし「やっちまえ!」と二人に野次を飛ばし合う。
 私はこの展開についていけないでいた。目に入ったりしたら危ないし、そうでなくても痛いのに。いくらなんでも実際に撃たないとは思うけど、冗談が過ぎる。少しだけ怖かった。でも、周りはそれが普通なのか制止する声はない。


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