一日目[1/8]

 第六十回神禍かんか神宮夏祭りにようこそ。
 夏至から四十四日後に行われることから神夏祭かんかさいとも呼ばれ、他府県からも多くの見物客が訪れ、大いに賑わいます。神社境内の敷地は広く、またその周囲にも露店が広がるため、神夏祭を楽しむには、鳥居前に設置されてある受付でマップ機能のあるパンフレットデバイスをレンタルするか、お持ちのスマートフォンに神夏祭専用アプリをインストールすることを推奨しています。
 また、神夏祭一日目の午後七時に、幣殿からウイルス【ふとん太鼓】が解放されます。神夏祭場内に足を踏み入れた者は問答無用、神夏祭規約事項に了承したと見なし、ふとん太鼓によって事故が発生した場合におきましても、いかなる責任も負いかねます。また、ふとん太鼓の位置は、パンフレットデバイス及び専用アプリにてリアルタイムで実況させていただきます。
二日目の午前零時までにふとん太鼓を成敗したプレイヤーは、次の神夏祭までの一年間、神化主かんかぬしとして祭神である纏代周枳尊まつりだいすきのみことのいとし子という名誉に役していただきます。
 そして、今年も例年どおり、天恵制度が纏代周枳尊により受理されました。祭りの二日間は纏代周枳尊が神宮外に御物を一つだけ隠します。神様の宝物と呼ばれるそれを見つけだした者には、ふとん太鼓の成敗の助けとなる才能が贈られます。才能は神夏祭のあいだという制限内で一生涯付与していただけます。宝物を見つけた際にもパンフレットデバイス及び専用アプリにて実況されます。また、神池のクリスタル液晶パネルでも中継されます。
 長々とお付き合いいただきありがとうございます。
 これにて狛犬サポートセンターによる神夏祭についての解説の再生を終わります。
 今日から二日間は神の無礼講。
 どうぞ十分に堪能ください。



▲▽



 私こと御風みかぜすずは美人になる必要があった。それも二週間以内に、だ。
 このくっきり一重をなんとか二重にまで持ち上げて、子供っぽい鼻ぺちゃを亡きものにしなければ。それがだめなら光源氏が一目惚れしてくれるようなつやつやの黒髪。それもだめなら口紅のCMに出られるようなチェリーレッドの唇。
 この際、見た目で挑むのはなしにしてもいい。パフュームの三人を足して割ったようなかわいい声が手に入れば、それだけでも救いの光は見えてくる。もしくは噂の韓流ユニットの美脚。かの姉妹のような豊潤な香り。私だって女の子なんだから、女の子らしい路線でいきたいのだ。それすら許されないのなら、誰をも惹きつける話術や聞き上手な耳。あるいは、どれだけいじられても折れない、鋼の心が欲しい。
 とにかく私は床の木目を数えるしか能のないような女の子から、話しかければみんな友達みたいな少女漫画に出てくるヒロインへと変身しなければならない。
 でないと、夏休み明けの新学期、よそから転校してきた私なんかが無事にクラスに溶けこめれるわけがないのだ。
 もうやだ。泣きたい。全部お父さんが悪い。なんなの転勤って。なんなの転校って。
 引っこみ思案レベルカンスト、根暗検定一級、卑屈免許皆伝の私には荷が重すぎる。
 元々いた土地の友達とは完全に離れ離れ。メールで繋がるというのにも限度がある。たかが子供の人間関係だ、会わない友達のことなんてきっとすぐ忘れる。あの子たちは私なんてと軽んじることなく、清らかに、やすらかに、忘れていってしまうのだ。怖い。戻れない。でも進めない。新しい中学校の場所なんて覚えられない。友達だってできっこない。簡単に想像できてしまう。転校初日からアウェイになる自分。担任の先生が頼んでおいたクラスのしっかり者の子から声がかかるのをじっと待つしかない自分。もういやだ。この世は地獄だ。その地獄は二週間後にやってくる。地獄の十四日間だ。どこも地獄だ。地獄しかない地獄。地獄のヘビーローテーション。ゲシュタルト崩壊。そのまま日本も崩壊してしまって、ううん、世界も崩壊してしまえばいい。明日にでも隕石が落ちてきて、もしくは各地で大きな地震が起きて、もしくは変な感染病が蔓延して、なにもかもがなくなっちゃえばいんだ。そうしたら、二週間後、私は学校に行かなくてすむのに。
「そんなに怖いなら友達を作りにいけばいいじゃない」
 お母さんは私をなんだと思ってるの。友達がいないことが怖いんじゃないのに。そんな簡単に友達が作れるならはじめっから落ちこんだりしない。話しかけたくてもできないのだ。私が提供できる話題なんてなにもない。こんな大して明るくもない私に話しかけられて誰が嬉しいというのか。
「楽しい場所に行けば楽しいと思うし、自然と話題も弾むわよ。ああ、そうだ。今日と明日、この近くでお祭りがあるのよ。引っ越しとか住民票とかいろいろ忙しいから、すずは遊んできなさい。ほら、去年着た朱色の浴衣も持ってきてあるから」

 かくして、私は神夏祭へと送りだされた。

 狛犬サポートセンターで神夏祭の説明をされ、推奨通り、スマートフォンに祭りのアプリをインストールする。起動すると愛らしくデフォルメされた狛犬たち。ナウ・ローディング。スタート。画面に合わせたバイブに肩が跳ねてしまった。マップ画面を開いて現在地を確認。LINEでも使っている私のアイコンが点滅しながら地図上に表示される。なるほど、なかなか便利だ。世の中の祭りはここまでハイテクになったのか。
 私はスマートフォンを手持ちの巾着に戻した。
 歩き慣れない鈴の入った草履はチャリチャリと地面を擦ってしまう。鼻緒による靴擦れも時間の問題だ。痛いのは嫌だもん。やっぱり来るんじゃなかった。
 第一、知り合いもいないのになにが祭りだ。一人でどうやって楽しめと言うの。まだ夕方でそう人もいないが、この祭りのたけなわは夜だという。楽しそうにわいわいしている人混みをたった一人で練り歩くなんて。一頻ひとしきり食べ終わったらとっとと帰ってやる。
 近くにあった飲み物屋でラムネを買う。パコンと開けると栓の役割をしていたビー玉が落ちてくる。涙の王様のようにきらきらと光っていた。喉に流しこめば、しゅわしゅわと程よく弾ける甘さが爽やかに広がっていく。ほんの少しだけいい気分になった。
 他にはどんな屋台があるのかとあたりを見回す。
 紅ショウガの多すぎる焼きそば屋さん。からあげの垂れ幕も見えたけど、値段がイマイチだったのですぐ目を逸らす。その隣にはヨーヨーすくい。光度を抑えたネオンライトのような模様のヨーヨーが水にちゃぷちゃぷ浮かんでいる。店番をしている男のひとの横には値段とルールの書かれた電子板が日射に負ける程度の光を放っていた。ここにはあまり胸をときめかせるものはない。
 スマートフォンをたぷたぷと操作し、他に面白そうなものはないかとマップを確認する。
そのあいだに同い年くらいの少女たちが楽しそうに私の脇を通りすぎていったので、みじめな気持ちになった。
 一人ぼっちで祭りを回るために端末を弄ってる私。周りからしたら、きっと、なんて可哀想な子って思われてる。痛々しいって。思わず俯いてしまう。視界の端にはおかっぱの黒髪が映る。もっと伸ばしておけばよかった。この情けのない顔を周りに見られるくらいなら、貞子にでも間違われたほうがうんとまし、、。貞子はいい。合理的にみじめであることを許される。貞子が一人ぼっちで俯いていたって、誰も不思議に思わない。貞子になりたいわけじゃないけど、私のままではいたくなかった。
 もう許されるだろうかというような気持ちでぼんやりと頭を上げる。
 緩やかな坂道の果てに小さな人混みを発見した。
 なんだろう、あれ。
 私はふらふらとその塊を目指して歩く。開けっ放しのラムネをこぼさないように慎重に。何度か人とぶつかりそうになって、私は軟体動物のように変なポーズで避けなければならなくなった。チャリチャリと草履の音を鳴らしながら近づいていくと、人混みの原因がとある屋台であったのを知る。型抜き。私はふと屋台の奥のほうを見た。
 人口のほとんどが子供だった。私よりも幼い、小学生くらいの。輪の中心にいた二十代の女性の手元に、全員が釘づけになっていた。文字通り、釘づけ。中途半端な味のしそうな脆い菓子を釘でがりがりと削っている。型は驚くほど複雑だ。その形状を覚えて型抜きの金額表に目を向ける。もっと驚いた。彼女が取り組むその型は最高配当の三万円もの。
 観客は熱心にその一部始終を括目しようと目を凝らす。
 型抜きはほとんどやったことがなかったけれど、その女性がかなりの手練れであることだけはわかった。繊細な指使い。計算された切削加工。その歳になっても遊びを全力で楽しむ精神。なにをとっても見事だ。私なんかじゃあれほど器用には抜けない。神に愛された天才的な技巧だった。
「ねえねえ、今年もやっちゃうんじゃ……?」
「毎年多くの型抜き屋を制覇してる。もうこれで八十連勝だろ?」
「さすが型抜きの女王だ!」
 八十連勝。
 女王の名に相応しい経歴だ。
 最高難易度の型を抜く、型抜きのプロ。
 型抜きの女王は真剣な面持ちだった。赤茶けた髪が肩から滑り落ちるたびに鬱陶しそうに顔を歪ませる。男らしいはっぴの下は黒のタンクトップにデニムのホットパンツ。祭りを満喫するのに多忙な野暮ったい格好にも見えるが、ホットパンツから伸びる長い脚はそれだけで格好良く見えてしまう。柄物のネイルで彩られた指先が細い釘を操るさまは、まるで精密機械をいじくるエンジニア。
 BGMのテクノポップがサビに突入したころ、型抜きの女王はざっと立ち上がった。
「三万円はあたしんだぁああ!」
 雄叫びにも近い歓声が上がる。
 彼女の手には罅の一つもなくきれいに抜き取られた完璧な型が握られていた。


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