二日目[10/13]

「……ねえねえ」
「なによ」
「桐詠って、織姫と彦星の娘なんだよね」
 私の言葉に桐詠はムッとした表情で「そうだけど」と答えた。もしかしたらこの手の会話はあまり好きではないのかもしれない。
「だから、スタープリンセス、なんて言われてるの?」
「知らないけど、そうじゃない? みんな私の生まれに目の色変えるし、そういう出自が興味深いんでしょ」
「もしかして誕生日は七月七日?」
「七夕から十月十日後。私は春生まれよ」
「ふうん」
 桐詠は自分の身の上にはこだわりがないらしい。牽牛織女の子供なんて目立つ血筋を持っているのに、それを披露しなかった。今は暴れたせいで自分の爪が割れていないか、髪がおかしなことになっていないかをチェックしている。
「自慢じゃないの? お父さんとお母さんのこと」
「自慢よ。だけど、それは私のものじゃない」
 もしかして、聞いてはいけない質問を、してしまったのかもしれない。桐詠の返答から、私はそんなことを思った。
「なにビビってんの」
 そんな私の心を見透かしたのか、桐詠はため息をついた。
「……ごめん」
「謝んなくてもいいよ。別に怒ってもないし」
 それだけは、私にもわかった。桐詠は怒ってはいなかった。
 だけど、少しも気分を害さなかった、というわけではないんだろう。
 ならば、せめて、と私は口を開く。
「それ……取り返せてよかったね」
 桐詠は巾着に目を遣った。
「うん。よかった。大事なものだから」
 その才能は、きっと桐詠にしか使いこなせないであろう、見事なものだった。もしかすると神様は、巡りあうであろうそのひとに一番ふさわしい力を、祭りのあいだ、どこかに隠しているのかもしれない。考えすぎかもしれないけど、そう思わせるほど、桐詠の力はすごいものだった。
「すずは……」桐詠は私に問いかける。「天恵制度で賜った才能を、どう思ってるの?」
 どう思ってるの、なんて、難しい質問だ。なにを尋ねられているのかよくわからないし、なにが正解かもわからない。なんでそんなことを聞くんだろうと思いながら、私は思い出すように言う。
「……初めはね、すごく、遠いものだった。欲しいなって思いながら、でも、だめなんだろうなって。だから、もらえたときは、とてもびっくりして、だから……私には、もったいないないものだったんだ。でも、でも、そうじゃないんだね。だから、そういうのを抜きにして、いまは、すごく嬉しいものかも。楽しい。空気とか、それこそ風みたいに、気軽に考えられるようになった。当たり前だって、言ってくれたから……これは、ただ、幸運だったんじゃ、ないのかな」
「……そうだね」
 桐詠は肯定してくれた。
 私はそれがとても嬉しかったけれど、桐詠はさらに言葉を続けた。
「でも、私にとっては幸運以上だったの」
 桐詠ははっきりと言った。
 私は、桐詠の横顔を見つめる。
「吉祥なの。お守りなの。私の力で、私の誇り。誰の手も借りず、誰にも助けられず、私自身で見つけだし、勝ち得た。私は認められたかったし、私自身を認めてあげたかったんだ。そして、私は神化主になった」
 穏やかだけど熱のこもった声だった。その思いの強さに思わずどきっとしてしまったくらいだ。他人の大事なところを見てしまったような、そんな居た堪れなさ。
――かささぎの 渡せる橋の きらめくに え惑わされじ いざ我を見よ」
「えっ?」
「なんでもないわ。行きましょう」
 ぼそりと呟かれた歌に私は興味を示したが、桐詠は振り払った。彼女がそう言うのなら大したことでないのかもしれないと、私もそれ以上はなにも言わなかった。
 だけど、多分だけど、桐詠はきっと、実力を証明したいんだと思った。これが私なんだと、見せつけて、認めさせたいんだと思った。こんなにすごい女の子でも、そんなことを思うなんて――そう気づいてしまったら、どうしてか、その肩に声をかけずにはいられなくなって、私は口を開く。
「桐詠、楽しい?」
 その美しい形をした目を見開かせたあと、桐詠は穏やかに微笑んだ。
「……神夏祭は、いつだって楽しいわ。神化主になってもならなくても、それはきっと変わらなかった」
 その言葉に、私も微笑んだ。
 ふとんや装飾を掴みながらあたりを見回す。
 十数メートル下には屋台と提灯。賑やかな発光体。群がるギャラリー。ふとん太鼓が荒した跡を修復する人々もいる。こんがらがった提灯もきれいにほどかれていった。安寧が戻りつつある。
「一度下りましょうか」桐詠は見下ろしたまま言う。「いつまでもこんなところにいちゃあ目立ってしょうがないわ」
「でも、このふとん太鼓はどうする? いつまでもここに置いておくのも……」
「あ、そっか。せめてどかさなきゃね」
 いとをかし、となにも考えずに呪解した桐詠を恨まずにはいられない。もし平安貴族だったらあなー≠ニ悲鳴を上げているところだ。こういうところこそが桐詠の甘さだと私は思う。こともあろうに――まだ私たちが乗っている状態であるにもかかわらず、桐詠はふとん太鼓を解放したのだ。
「ぎゃーっ!」
 硬直していたふとん太鼓は、爆発するように振り乱れる。濁流、激流。ロデオよりも、ジェットコースターよりもひどい。とんでもない遠心力を、やっとの思いで耐えていた。
「もっ、もし桐詠が仲間じゃなかったら、絶交してるところだよっ!」
「袖振りあうも多生の縁って言うでしょ!」
「振りあうっていうか乱れあってるし!」
 ひしっとふとん太鼓にしがみつきながら、ふとん太鼓の暴れる勢いに振り落されないよう耐えていた。
 しかし、当のふとん太鼓は、私たちがいることにおかまいなし。むしろ振り落さんとするような獰猛な勢いで、ふとん太鼓は飛び回り、跳躍し――挙げ句の果てには、提灯を引き千切ったり、木々にぶつかったり、屋台に突撃したりしていた。
 いよいよ本気で死ぬかもしれない。
「桐詠、もう無理だよ、いっそ飛び降りよう……!」
「無理! 死んじゃう! 死にたくない! 神様仏様纏代周枳尊様!」
 たすけて、と呟いたそのとき、私たちは無情にも振り落された。
 一瞬だった。
 ぶんっと体が上空に放り投げられ、重力だか引力だかに服従させられる。
「ぅああっ!」
 頭が真っ白になってなにも思い描けなくなる。ただ吹き上げられるように感じながらも確実に落ちていく――そんな風と速度を感じながら、その流れを味方にすることもできず、私と桐詠は呆気なく地面に叩きつけられる。はずだった。
 けれど、その強引な力から掻っ攫われるように、私たちは下降運動から平行運動へと切り替わる。
 事実、掻っ攫われていた。その奇妙な移動は私の風が引き起こしたものでも桐詠が紡いだ歌でもない。ただの純粋な力による救出。
 こんなところで現れるとは――吹っ飛んだはずの彼の腕だった。
「紐なしのバンジージャンプは心臓と健康に悪いよ?」
「此の面!」
 半分の狐面を被った彼は、穏やかにその口元に弧を描く。
 彼は私の背と太腿の裏に手を回して抱き上げていた。いわゆる姫抱きだ。常時の私なら恥ずかしくて死んでいただろうが、あと少しで物理的に死にそうだったいまの私には、正真正銘の安堵しかなかった。胡散臭そうな彼が王子様に見えさえする。
「驚いたよ。まさか空からすずが降ってくるなんて」
「た、助けてくれてありがとう……」そうお礼を言ったあと、ずっと心配していたことを告げる。「よかった、無事だったんだね」
「どういたしまして。それにね、あんなの赤ん坊の鼻息みたいなものだったさ。ただ、吹っ飛ばされたところに彼の面がいて」面倒そうに口角を歪ませた。「無理矢理引っぱられちゃって戻れなかったんだ。心配かけてごめんね?」
 そう言うと、此の面は私を下ろしてくれた。久しぶりに下り立った地上の感覚が心地好くて、思わず足踏みしてしまった。そんな私に此の面は「それよりも、」と口を開く。
「僕がいぬ間にとんだ面白いことをしでかしていたようだね……妬けるじゃないか! どうして僕を呼ばないんだ!」
「なに言ってるの、全然面白くないよ」私は声を強めた。「すごく、すっごく大変だったんだから……! それに、それに……、……っ、あ、き、桐詠は!?」
 桐詠は大丈夫なのかと視線を動かすと、弧八田彼の面に私と同じように抱きかかえられる彼女が見えた。桐詠は両腕を組み、憮然とした態度を取っている。ついさっきまで上空できゃあきゃあ言っていた人間と同一人物とは思えない。助けてもらったにも関わらず、その、いかにも不機嫌ですといった表情に、天ノ川桐詠の人間性を見た。
「気安く触らないでよ。いったいどういうつもり?」
 桐詠は自分を掬い、救った弧八田彼の面に、目も通わせずにそう言った。
「助けてって聞こえたから」
 つっけんどんな桐詠の言葉にも、彼は苦い顔一つせずそう返した。
 つい最近耳が覚えたばかりの落ち着いたテノール。此の面と同じだ。こうして見ると似ている気がする。やはり彼は此の面と双子なのだな、と思った。
 それでも、彼は此の面よりも静かな印象だ。端々から聞いた話では、もっと勝気で強引なイメージもあったのに、いざ対面してみると、想像よりずっと大人びている。強い眼差しがじっと一点を見つめる様には、獣のような気品があった。もしかすると、此の面もこんな目をしているのだろうか。はっきり言って似合わない。
 彼はゆっくりと屈みこんで、桐詠の足を地に着かせる。桐詠が立ち上がるまで、彼はその体を支えていた。とんでもない紳士である。
 しかし、そんな紳士にも、桐詠は「えっらそうに」と漏らす。
「私は一人でも大丈夫なんだから。借りを作ってやったなんて思わないでよね」
「桐詠、そういう言いかたはよくないよ」
「黙ってて、すず」桐詠はぎりっと歯を食いしばった。「とんだ屈辱よ。よりにもよって、去年の神化主に助けられるなんて」
 本当に嫌そうな表情だった。彼に助けられてしまったことが、相当悔しいようだ。
 負けず嫌いだとは思っていたが、まさか、命を救われてもなお、その性格が発揮されるとは。
「素直にお礼言ったらいいのに……」
 私の呟きを耳聡く聞きとった桐詠は、キッとこちらを睨みつけてくる。
「だから、礼は言わないって言ってるでしょ!」
「そもそも、桐詠がもっと考えてくれてたら、こんなことにはならなかったのに」
「そうよ! わかった、わかってるから、そんなに責めないでよ、ごめんなさい」
 礼はしないくせに、謝罪は容易く口にする。桐詠は本当に、自分の行動を軽率だと思って反省しているらしかった。居心地悪そうに視線を落とす桐詠に対し、逡巡、私も控えめに「ううん、大丈夫だよ」と返した。


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