二日目[9/13]

 その変容に不安を覚えた私はあたりを見回し、仰いだ上空の光景に「ひっ」と声を漏らした。
 祭囃子につられるように、他のふとん太鼓が集まってきたのだ。さすがにこの光景には周りの人間もびっくりしたのか、途端にざわめきが大きくなる。一台しかいなかったふとん太鼓が三台にも四台にも増えたのだ。正直、目を疑う。
「桐詠」
「全部小粒よ」マップを確認しながら冷静に返事をする桐詠。「もうすぐここは地獄絵図になるわ。行くわよ。それともなに、残りたい?」
「まさか」
 私たちはずぞぞぞっと焼きそばを啜りきり、ソースのこびりついたパックを近くの石段に置く。マナー違反なぞ知らぬわ、それよりも我が身が可愛いのだと、そのままなるべく早歩きでその場を去ろうとした。
 しかしそのとき、背後で大きな悲鳴が鳴った。
 私たちは努めて歩調を速めるようにきびきびと歩きだす。
「き、桐詠」
「だめ……振り向いたら負けよ、絶対だめ」
 桐詠は強く拒んでいた。足は自然と早くなる。若草色の浴衣の袖は、大仰に揺れていた。私の袖も同様だった。ただひたすらに足を動かしている。
「桐詠!」
「だめだからね!」
 私たちはもはや走っていた。
 背後では声量を増す悲鳴と破壊音。
 正直無茶苦茶怖かった。けれど、怖いもの見たさという言葉が存在する通り、恐怖しているからこそ気になるという心理は確実に存在する。だから私は振り向いた。そして戦慄した。ふとん太鼓の群れが全て一直線に、私たちのほうへ襲いかかってきたのだ。
「に、逃げるよっ!」
 私は桐詠の手を握って上空へと回避しようとしたのだが、それをふとん太鼓は邪魔する。
 私たちの手など千切ってやると言わんばかりの勢いで突進してきた。
 咄嗟に手を離して参道を隔てて割れるように回避する。分断された私たちは地べたに座りこんだ。ふとん太鼓の風を切る音を聞きながら、お互いの状況を確認した。
 二人とも無傷だ。
 助かったと思ったのも束の間、桐詠は手ぶらだった。
「あれっ」
 さっきまで持っていた巾着がないのだ。そして、その中には、桐詠の武器となる筆ペンと短冊が入っていることを、私は知っている。
 あれがないと桐詠は無力だ――もはや多彩でもなんでもない。
 非才状態というのはかなりの痛手だった。
 桐詠は突っ切っていったふとん太鼓を仰いで顔を青褪めさせていた。まさかと思って、同じ布団太鼓に視線を向ける。ふとん太鼓の担ぎ棒のところに、桐詠の巾着が引っかかっていた。
「う、うそ……」
 よりにもよって、どうしてふとん太鼓のところに。
 私も一緒になって目を見開かせていると、桐詠に叫びかけられる。
「す、すず! あんた、あれ取れる!?」
「やってるんだけど、ふとん太鼓のスピードが速くて……!」
 風を利用して巾着を返してもらおうと試みるが、あまり効果はなかった。そもそもふとん太鼓のあの勢いにも耐えてそのポジションに甘んじているのだから、そう易々と取れるわけがない。けれど、ふとん太鼓は襲いかかってくる。
「うわっ!」
 なんとか避けて、一難を乗り越える。だが、たった一難だ。正直、桐詠の巾着へと意識を遣る労力が惜しい。いまはふとん太鼓から逃げるのに精いっぱいなのに、そのうえ取り返すだなんて、けっこうな無茶だ。もういっそ、私だけでも逃げてしまおうか。
「ごっ、ごめん、すずっ! でも絶対に見捨てないで! お願いっ!」
 さっき私のこと見捨てるとか言ったくせに。
 だけど、切羽詰った桐詠を見て、彼女を置き去りにするという判断はできなかった。
 桐詠と一緒に行動したのは僅かな時間だったが、ここに来てから此の面としか祭りを共にしなかった分、女の子の知り合いができるのは純粋に嬉しかった。一度協力しあうと約束した身だ。簡単に裏切るつもりもない。
 私はたっと一瞬の隙を見計らって桐詠の元へ駆け寄る。
「大丈夫だから、とりあえず逃げよう!」
「でも巾着取られちゃった……! あれがないと、私っ!」
「あんなのいつでも取り返せるって!」
「取り返せるわけないでしょ!」
 ご尤も。言い返せないし、取り返せない。
 ふとん太鼓はしばらくこのあたりを浮遊していたが、バグをばら撒くだけばら撒いて、とっとと去ろうとしていた。見失えば追うのは困難だ。マップで居場所を特定できるとはいえ、特定の一台に限定することはできない。それに、いまは桐詠の巾着を持っているが、あのふとん太鼓がどこで落とすかはわかったものではない。それこそ神池に落ちたりなんかしたら最悪だ。
「あれは私の力なの! 私が持ってなきゃだめなの!」
 桐詠は必死だった。目が潤んで見えるのは、きらきらの涙袋のせいだけじゃない。
 私は意を決して「だったら」と口を開く。
「うまくいくかは、正直よくわかんないんだけど、一つだけ、考えがある。でもそれってめちゃくちゃ危険だし、桐詠のアフターケアっていうかフォローが必要なんだけど、大丈夫?」
 桐詠は「もちろんよ」と即答した。揺さぶられもしない、はっきりとした声だった。
「ならいいけど」私は巾着を持つふとん太鼓を目で追った。「目標のふとん太鼓まで飛んでいく。そこに着地するから、桐詠は自分の巾着を奪い返してね。でも、多分、ふとん太鼓は暴れるから、奪い返したら桐詠の力でふとん太鼓の動きを止めてほしいの」
「あんた冴えてるわ」桐詠はぱっと表情を明るくさせた。「……あっ、待って。いい歌が思いつかない」
「前に歌ってたやつにすればいいでしょ」
 私は桐詠の手を引いて風に乗った。
 透明の勢いに押し上げられ、ぐんぐんと上昇していく。私の言葉に桐詠は「そんなの雅じゃない!」と返していた。けれど、目標のふとん太鼓に追いついたころには、その姦しい口はしっかりと閉ざされていた。
 房の飾りが暴れて肩にぶつかる。思ったよりもずっと硬くて重い。鈍い痛みに顔を顰めていると、そのふとん太鼓は更に暴れ出した。
「は、やくっ!」
 風を含んだ声がカラカラと響く。
 ふとん太鼓にしがみつく私たちは、なるべく下を見ないように必死だった。桐詠は担ぎ棒の先に引っかかった巾着を取ろうと手を伸ばしている。無理な体勢をしているせいで、いつ落ちてもおかしくない状況だ。
 恐怖と風による肌寒さに耐え、無限大の時間が経ったと思われたころ、桐詠は巾着を取り返し、震える筆で歌を詠む。
「こはいかな 身もはらめきて 絶えぬべし とどみなむとて おもほゆるかな」
 前に読んだものとは違う歌だった。こんな状況下においても歌を詠むだけの余裕と度胸があることに、感心を通り越して呆れてしまう。
 桐詠の歌を受けたふとん太鼓は動きを止めた。
 群れを作っていたいくつものふとん太鼓に追い抜かされ、上空で動きを止める。
 私たちはどっと汗を掻いた。
「し、し……死ぬかと思ったッ」
 ふとんにしがみついてぐったりとなる。とんでもない体験をした。私はこの瞬間を以て決めたことがある。これから先、絶対にロデオはしない。
 一連の展開を見守っていたのか、足元ではワアワアと歓声が聞こえる。どうやら桐詠の追っかけや海外ファンも見ていたらしく、あの間延びした「キリィヨー!」という声援まで響いていた。
「キリィヨ」
「うるさい」
「スタープリンセェス」
「うるさい!」
 これ以上言ったら怖い歌でも詠まれそうなので、私はやっとこさ自粛した。
 ていうか、桐詠、スタープリンセスって呼ばれるの、嫌いだったんだ。
 まあ、特別嬉しいことでもないもしれない。響きが子供っぽいし、なんだか、魔法少女もののアニメにでも出てきそうで、桐詠には似合わない。
「でも、本当に人気者だね」私はふとん太鼓に凭れかかる。「手でも振ってあげたら?」
「アイドルじゃないんだから」
 意外にも桐詠の反応は冷静だった。
 もっと大きい顔をしたり、胸を張ったりするものだと思っていた。
 桐詠は目に見えて、耳に聞いて自信家で、そして自意識が高い。だから人を小馬鹿にしたような言動も目立つし、年上にだって物怖じせず物申す。接してみれば厳しいだけとわかる目だって敵を作りやすい。
 きょどきょど他人を気にしては、私なんてと視線を避けていた、私なんかとは大違いだ。
 だけど、桐詠を遠い女の子だとは、もう思えなかった。
 桐詠は、ぱっちりとした二重も、潤んだ唇も持っているのに、あれだけたくさんのひとが、まるでアイドルでも見るみたいに、桐詠のことを見てくれているのに、桐詠はそれをすっぱりと切るのだ。


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