二日目[8/13]

「弧八田彼の面が破壊したのは小粒だろうから、本物はもっと頑丈でしょうね」
「そっか……本当に倒せるのかな。桐詠ってば、手も足も出なかったよね」
「うるさい!」桐詠は一オクターブも声を跳ね上げさせた。「っていうかあんた、なんで私のこと呼び捨てにしてんのよ」
「えっ、えー……」
 ずっと心の中で呼んでいたから名を呼び捨てることに躊躇いはなかった。
 むしろそれ以外になんと呼べばいいのだろう。海外ファンの真似をしてスタープリンセスなんて呼んでみようか。私も桐詠も恥ずかしい目に遭いそうだけど。
「いいでしょ、別に。私のことも呼び捨てでいいから」
「私あんたの名前知らないもん」
「御風すず」
「すず……すずね。わかった」
 このまま飛行していても埒が明かないと、私たちは一度地上に降りた。風でしっちゃかめっちゃかになった髪を手櫛で整えてから歩きだす。
「とにかく親玉のふとん太鼓を探しましょ。ふとん太鼓の視覚的に差がない分、マップでの情報だけが頼りよ。大きなアイコンのほうを狙っていくの」
「そうだね」
「でも、他のプレイヤーの目くらましになるって点では、ふとん太鼓の増殖も悪くないかな。いっそのこと全員吹っ飛ばせばいいのよ」
「吹っ飛ばす」私は桐詠の性格の悪い言葉を聞いて思い出した。「そうだ。此の面がふとん太鼓に吹っ飛ばされたんだった。どうしよう」
 ふとん太鼓分裂の発覚でどうでもよくなっていたが、私は元々、此の面を探していたのだ。桐詠という仲間を得られた安心感により、いっそこちらのほうが大問題なのではないかと改めて認識し始めた。もうほとんど今さらで、見つけられる気もしないけど、諦めては罪悪感が残る。
「そういえばそんなこと言ってたわね。ご愁傷さま」
「ご愁傷さま!?」自分で言うのもなんだけれど、まるで血を吐くような声が、口から飛びだしてきた。「やっぱり死んじゃったのかな……!」
「じょ、冗談だって」それに驚いたのか、桐詠はフォローを入れてくれる。「むしろピンピンしてるわよ、きっと。弧八田兄弟がそんな簡単にやられるわけないもの。あの狐面のおかげで身体能力は軒並み上がってるし、狐火だって操れる」
 そういえば、身体能力が上がっているのはなんとなく見てとれるのだが、此の面が狐火を操っているのは、見たことがない。
「あの二人、同じ能力を持ってるんだよね?」
「同じ能力って言っても、感覚器官は別。狐の耳と目を持つあの怠け者のほうは聴覚視覚に優れてるけど、去年の神化主のほうにはそれがない。あっ、でも嗅覚が優れているんだっけ」
「獣みたい」
「獣じゃん。男の子だもん」
 酸いも甘いも噛み分けた恋愛上手な女の子みたいなことを、桐詠は言った。
 精神年齢的に熟してしまってどうしても男子が幼く見える女の子、かもしれない。
 なんにせよ、桐詠は見た目が華やかだから、多少辛口なことを言っても様になる。ここ数刻で桐詠の山椒のようにピリッとした性格には慣れてしまった。
「そういえば、私、晩ごはん食べてないんだった」
 暢気と言えば暢気なのだが、桐詠はそんなことを呟いた。ちょうど私もお腹をすかせていたので非難する気もない。腹が減っては戦はできず。腹ごしらえはするにかぎる。
「お腹すいたしなにか買おうよ」
「焼きそばがいい。ちょうどそこにあるし、一番大きいのをはんぶんこしましょ」
 私たちは二百五十円ずつ出し合って大きな焼きそばを買った。割り箸を二本もらい、端に寄ってつつきあう。そういえば、喉が渇いたな。あとでラムネを買いたい。大変なことがあったせいか、今日はまだ一口も飲んでいないような気がするし。
「でも、じゃあ……此の面のことは放っておいてもいいのかな」
「いい、いい。案外あっちのほうがあんたのこと探してるかもよ」
「そうかなあ」
「あの出来損ないのほうだって、別に才能がないわけじゃないんだし、プレイヤーとしてはできるほうだと思うわよ? どうせ怪我だってしてないって」
「……本当に、そう思う?」
「思う、思う。だから、待ってたらいいのよ。ただでさえふとん太鼓の成敗で忙しいってのに、人探しまでしてたら身が持たないわ」
「そっか。でも、桐詠はいいの? ほら……友達とか」
「うん。今日は元々、一緒に来てなかったし。成敗に集中したいからって、抜けさせてもらったんだ……あんたは友達が――
「台風」
 そう言うと、桐詠は黙った。黙らせてやった。
 私たちは腹ごしらえしながら、今後について話し合った。他愛もないかけあいも挟みながら。ほぼ初対面だったから、テンポが掴めなかったりネタに苦しんだりするだろうと思っていたのだが、意外にもそんなことはなかった。複数いるふとん太鼓をどうにかしなきゃいけない、という共通の意志があったからかもしれない。吊り橋効果の一種だろうが、同じ立場の人間という意識があるだけで、こうもスムーズに会話できるものなのか。
 あの天ノ川桐詠を同じ立場だと思えるとは、私も自惚れたもの、気持ちのいい言いかたをするなら、成長したものである。
「あっ、こいつ」電子の金魚が焼きそばを啄んだのを見て、桐詠はシッシと払う。「まったく……油断も隙もないんだから」
「周りにふとん太鼓はいないのに……こんなところまで泳いでくるんだね」
「一度放たれると、なかなか消えないから、こいつら。それにしても、数が多いわね。やっぱり、ふとん太鼓がたくさんいると、繁殖も増えるのかしら」
 桐詠は電子の金魚を箸で突っついていた。光のピクセルが雨粒のように弾け飛び、ぽろんぽろんとピアノのような音を奏で地べたを転がった。
「この子たちって、どうやったら消えるの?」
「共食い」
 私はぞっとした。箸を落としかけたくらいだ。
「えっ、共食い……?」
「うん。本当にするんだってば、かわいい顔して。いまに見てな、尻尾からガブリよ、ガブリ」
「ガブリ……」
「他にも、痛めつけすぎたら消えたりとかはあるかなあ……私はやってみたことないけど、他のプレイヤーが電子の金魚退治やってたのを見たことがある」
 なかなか貴重な話を聞けたということにしよう。私は、ふとん太鼓の引き起こすバグについて、あまり知らないわけだし。
 この二日間で、本当に類稀たぐいまれな経験をしてしまった。電子の金魚も、ふとん太鼓も、それに熱中するひとたちも、私にとってはどれも初めてで、とても新鮮だった。
「だからこそ、怖くて、とにかくって桐詠に声をかけたけど、私たち二人でもたくさんのふとん太鼓を相手にするのは、ちょっと怖いなあ……」
「この際、雑魚ザコは無視していいわ。目標は正真正銘のふとん太鼓一本」
 そう考えると、まだ気楽だ。たくさんのふとん太鼓を相手にするとなると、文字どおり、骨が折れてしまいそうだけど、たった一台に絞れるのなら、まだ光は見えてくる。
「だけど、今年のふとん太鼓って、去年よりも獰猛で頑丈なんだよね? なにか策はあるの?」
「正直言うとないんだけど……いろいろやってみるつもり。炎による攻撃はあんまり効かないって昨日わかったし。まあ、足止めとか威嚇にはなるだろうけどね。弧八田彼の面もそれをわかってるだろうから今夜は狐火をほとんど使ってない。多才の一つを毟り取られてさぞお苦しいでしょうねー」
 桐詠は楽しそうに、嬉しそうに言った。
 なるほど。たしかにこういうとき、桐詠の力は便利かもしれない。
 弧八田兄弟の能力は多才だが、桐詠の能力は多彩だ。どんなものでも、歌を詠めばそれだけで叶えられる。あたり一帯を静寂させた歌。火を呼び、操った歌。ふとん太鼓の蛮行を諌めた歌。その勢いを抑えつけた歌。ありとあらゆる言の葉が桐詠の武器だ。
 とはいえ、作戦が抽象的すぎる。いろいろやってみるつもりって。もしかすると、桐詠は詰めの甘い子なんじゃないだろうか。その技、実力は見事なものだけど、思えば私は、彼女がふとん太鼓の成敗に失敗したシーンしか見ていない気がする。一昨年は彼女が神化主だったというが、その割には手順がズボラだ。
「なんか不安だなあ」
「なに今さらビクついてるの。そんな調子でいると見捨てちゃうから」
 桐詠は私のほうを見ずに言った。そんな桐詠の焼きそばを啜る手がはたと止まる。目線は明後日の方向を向いたまま。私もそちらを見遣った。
 なんとそこにはふとん太鼓がいたのだ。
 まだ遠くのほうだがあのシルエットはまず間違いなくふとん太鼓だ。
 アプリを起動してマップを見ると、どうやら分裂したふとん太鼓らしく、アイコンは本物よりも小粒だった。
「放っておきましょ」視線を遣った私に桐詠は言った。「まっすぐこっちに向かってきてるわけでもないし、スピードも遅い。周りに特別危害を及ぼしているわけでも、慌ててどうにかしなきゃいけないような状況でもないしね」
 慣れているのか、桐詠の声は落ち着いていた。そりゃそうだ。桐詠は生粋の氏子であるに加え、一昨年の神化主でもある。神夏祭には慣れっこだろうし、ふとん太鼓も然り。私がこうも焦っているのは、言ってしまえばよそ者で、神夏祭に縁がなかったからだ。
 しかし、焼きそばを咀嚼しているときに、その予想外の出来事は起こった。
 ふとん太鼓が煽る祭囃子が激しくなる。この境内には似つかわしくない俗っぽいリズム。挑発的なシックスティーンビート。闘牛や戦士の足踏みにも似ている。


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