二日目[6/13]

 一つため息をついて、私は立ち上がった。
――とにかく、此の面を探そう。
 だけど、どうやって? この広い神宮を、たった一人で探すのには限界がある。私には此の面のような耳や目がないので、位置を割り出すことも難しい。加えて、引っ越してきたばかりの私には人脈さえない。頼れる相手も、友達と呼んでいい相手も、現在進行形で行方知れずの彼本人しかいなかった。手分けして探すこともできない。
 怪我をしているかもしれないし、早く見つけてあげたいのだけれど。教えてくれた手水舎レスキュー隊は、場所が特定できてこそ使える手段。此の面がどこにいるのかわからない以上、このカードは無効である。
 此の面がモバイルを持ってこなかったことが悔やまれる。連絡先の交換さえしていれば、位置の特定だってお茶の子さいさい。私のスマートフォンのアプリのマップには、此の面のアイコンが表示されていたはずだ。しかし実際は、此の面の居場所など不明。
 これってけっこうまずいのでは? 飛び去っていったふとん太鼓だって、まだ此の面のそばにいるかもしれないわけだし……。
「んっ!」
 悶々としているときに思い浮かんだのが、狛犬サポートセンターでインストールを推進している、あのアプリのことだった。
 あのアプリのマップには、自分の知り合いの位置情報が表示される。もちろん、此の面と連絡先の交換をしていない私には無駄な機能でしかないのだが、しかし、しかしだ。このマップの機能はそれだけではない。ふとん太鼓の成敗劇や避難運動を円滑に行うため、ふとん太鼓の位置情報だって、そのマップには表示されているのだ。私が期待したのはそこだった。もし、まだふとん太鼓のそばに、此の面がいるとしたら――
 そう考え、私はスマートフォンを起動させた。
 まずは実況画面を見て、ふとん太鼓の確認を行う。
 実況では、弧八田彼の面がふとん太鼓に飛びかかっていた。
 相変わらずの馬力、いや、もはや馬鹿力だ。あの少年らしい体のどこにそんな力が眠っているのか。その腕は岩をも砕き、その足は鉄をも貫く。神が与えた才は人間の域を超える。纏う青い狐火にしたってそうだ。
『いやあ、ふとん太鼓は劣勢ですね! やはり強いですよ……第五十九回神化主・弧八田彼の面は!』
『今年も彼が大本命! という声もありますしね。天ノ川桐詠ほどではありませんが、ファンも少なからずいるようですよ』
『道理です! このまま一気にふとん太鼓を成敗してしまうのでは……!?』
 え、それはやだ。
 私は両足で何度も地団駄を踏んだ。一瞬、此の面よりもこちらを優先させてしまおうかと、そう考えたくらいだ。しかし、ぶんぶんと頭を振って、その考えを破棄する。
 私は此の面を助けよう。
 此の面はあのとき、私を庇って、前へ出てくれたのだ。結果、ふとん太鼓に押し負け、吹っ飛ばされてしまった。あのとき吹っ飛んでいたのは、もしかしたら私かもしれなかったのだ。彼が助けてくれたから、私は無事でいる。だったら私も、彼を助けねばなるまい。
 もう一度画面に目を向けるも、周りに此の面らしき人影は見当たらなかった。
 彼とそっくりだという、弧八田彼の面のみ。
 その背景には、焼きぞば、スーパーボールすくい、りんごあめの書かれた暖簾。ちょっと離れたところには幣殿の屋根が見える。
 これだけ露店が多いのならば、実際に行ってみないとわからないだろう。視界が遮られているだけで、もしかしたらいるのかもしれないし。
 私はアプリのマップ画面に移り、此の面を吹っ飛ばし、そして現在、弧八田彼の面が相対している、あのふとん太鼓の位置を特定しようとした。このアプリが優秀なことはとっくに知っている。マップは正確だし、情報に間違いもない。最高のナビだ。
 だからこそ、戦慄したのだ。
「えっ?」
 画面に表示されている情報に、そんな声が漏れた。
 えっと、これは、なにかの間違いかな?
 ごしごしと目をこする。うん? うん?
 私は一度アプリを切り、再度開いた。
 ……どうしよう、間違いじゃない。
 思わず鳥肌が立った。性懲りもなく、いやいややはり間違いなのではと思ったけれど、神宮が推奨しているアプリなのだ、つまり、これは真実だろう。
「こんなことって、ありえるの……?」
 でも、だとしたらこれは最悪の事態なのではないのか。一体どれだけの人間がこのことに気づいているのだろう。
 中継の画面に戻る。
 まだ弧八田彼の面はふとん太鼓と対峙していたし、実況は続く。ギャラリーも戦いに夢中になっていた。誰もデバイスを見ていない。見ていたとしても、開いているのは実況の映像のみ。気づいているのは、私だけなのかもしれない。
「どうしよう」
 此の面がいなくなったとき以上に思う。
 これってけっこうまずいのでは?



▲▽



『な、なんということでしょう! 弧八田彼の面がふとん太鼓を破壊しました!』
『いやあ、見事な仕掛け技でしたね!』
『あの炎の攻撃は見事でした……やはり元神化主は強い! そして、彼はこれで連覇となります!』
『おや? 成敗完了の花火が上がりませんね……職人のミスでしょうか?』
 私は実況を流しながら、祭りを駆け抜ける。
 目標は、たった一人。ついさっき別れたばかりの相手だったから、此の面よりも望みはあった。だけど、正直言うと、消去法だ。私が知っている才を持つ者の中で、いま手が空いているであろう人間は、あの子しかいなかったのだ。
 でも、大丈夫かな。無視されたりしないかな。あの子なら、ありえる。でも、いまはこのことを、誰かに相談したかった。誰かの力を頼りたかった。できたらあの子がいいと、思ってしまった。
 ちらちらと視線を彷徨わせる。目が悪いわけではないが、特別いいわけでもない。大勢の中からたった一人を探すのは骨が折れる。だんだん眉間が痛くなってきたし、人ごみにも酔ってきた。元より、私はこれほどの人口密度には慣れていない。人の熱気と乱気流のような激しい活力に揉まれに揉まれた。
 いっそ飛んで上空から探したほうが早いかと、私が爪先に力を入れたそのとき、やっと見つけた――チョコバナナの前でどれを買おうかと悩んでいる、天ノ川桐詠の姿が。
「桐詠!」
 私は彼女の名前を呼んだ。
 いきなりのことにびっくりした彼女は肩を震わせて振り向いた。そして、私の姿を見て訝しそうな顔をする。
 いろんなことでハイになっていた私はそれを黙殺した。
「あの、いきなりだけど、でも、大変なの、ちょっと来て!」
「えっ、は? な……なんなの急に!」
 私は桐詠の手首を掴んで引っぱった。
 けれど、桐詠は頑なにその場から動こうとしない。
「いいから!」
「よくないわよ! もうお金は払ってあるんだから、あとはどれにしようかなって――
「どれでも一緒だよっ」
 私は一番手前にあったチョコバナナをぶんどっていった。桐詠は「げっ、よりによって一番小さいやつを」と愚痴っていたが、さっきほどよりも意地は緩くなっていた。邪魔にならないようなところまで来たあと、私は桐詠にチョコバナナを返す。
「……ていうか……いいの? こんなところで、チョコバナナなんか買ってて」
「なによ。チョコバナナのなにが悪いのよ」
 よほどチョコバナナが好きなのかもしれない。桐詠は心外そうに言った。
「いや、そうじゃなくって……ふとん太鼓は、放っといていいのかなって」
「んなわけないでしょ。ちゃんと成敗するわよ」桐詠はステッキのようにチョコバナナをくるくると回した。「食べ終わってから」
 当たり前のことだけど、牽牛織女の娘、スタープリンセスともてはやされる彼女も、やはり人の子、私と同じ、普通の女の子なんだ。呆気にとられるでも、幻滅するでもなく、私は安心した。
「で、なに?」桐詠は片手を腰に当てた。「もういっぺん言っとくけど、礼は言わないわよ」
「だから、別にいいってば……」
「ていうか、貴女、さっきまで弧八田此の面と一緒にいたわよね? なんであいつと一緒じゃないの?」
「ぶっ飛んじゃって、どこにいるのかわかんない」
「え。なんで?」
「ふとん太鼓が突っこんできて」
「あー、なるほどね」
 桐詠はチョコバナナについていたスナック菓子を手で取って食べていた。それを口に放りこんで、もぐもぐと咀嚼する。手を口元に宛てながら「それで?」と続けた。
「いま、すっごく、大変なことが起きてるの。こんなこと言うの、おかしいって、思うかもしれないけど、助けて……」私は首を振った。「ううん、助けあお?」
 私の言葉に桐詠はあからさまに顔を顰めた。
 いきなりこんなことを言われて、驚いたのかもしれない。私だって、冷静になってみれば、自分が今どれだけ大胆なことを言っているのかと驚いただろう。しかし、私にもちゃんとした理由があって、この行動を正当なものだと、自信を持って言えた。自信なんて、私には縁遠い言葉だと思っていたけれど、そんなことにも気がつかないほど、私はこのことに関し、夢中になっていたのだ。
 私は話しかけているあいだ、じっと桐詠を見つめていた。
「なにそれ? まさか、私にあいつの捜索を手伝わせる気じゃないでしょうね」
「違うよ。そうじゃなくって」
「いきなり話しかけてきたと思ったら、なに、意味がわかんないんだけど」
 昨日までの私なら、ここまで言われてしまっては、二の句を告げなかったかもしれない。だけど、私は精いっぱいに、「あのね、驚かずに聞いてほしいんだけど、」と紡ぐのをやめなかった。
「だいたい助けあうってなに。私には必要ないわよ。貴女ね、なにを企んでるのか知らないけど、この天ノ川桐詠を見くびってもらっちゃあ――
「ふとん太鼓は一台だけじゃないみたいなの!」
 お互いに自分の言葉をぶつけてばかりで、ただのドッジボールだった。
 けれど、このとき、少なくとも桐詠は、ようやっと私の話に関心が持てたのだと思う。
 怪訝そうに見開かれた眼差しに、私はもう一つ続投する。


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