《萩生めぐみ》4/5


 もうなにも喉を通す気になれない。興が削げたのに気づいたのは、彼女が店を出る直前だった。
 俺は急いで荷物をまとめた。手早くお会計を済ませて、あとを追うように店を出る。そしてまだそう歩いていないであろう萩生の後姿を探し、横断歩道を渡ろうとしているのを見つけて、俺は走りだず。
「萩生、萩生めぐみ!」
 信号は彩度の低い青だった。しかし萩生は俺の呼びかけに止まってくれた。それから首だけで振り向いて、走ってきた俺を見つめる。あまり驚いていないようだった。こうなることなんて最初っからお見通しでしたって顔で黙りこくっている。どういうわけか口を開くそぶりがない。あくまで止まっただけ。そして無言で俺の言葉の続きを待ちかまえている。
 俺と萩生との距離、一メートル。店で並んで座っていたときの距離よりかは遠いはずなのに、どういうわけかさっきよりも近くに感じる。ちゃちなベッドタウンの雑踏に揉まれる俺たちは、無理に結ばれた靴紐の左右に似ていた。軽やか厭世を噛みしめて俺はとうとう口を開く。
「烏龍茶代を払ってからにしろ」
 こんなことを言いたいんじゃない。こんなどうでもいいことを訴えるためにこいつを追いかけたんじゃない。ただ、どうしていいかわからないだけだ。
「俺の連れだってお前が言ったせいで、代金が俺持ちになったんだ。どうしてくれる」
 どうするもこうするもない。
 ワンコイン以下の出費、ぐちぐち文句を言いにいくほうがどうかしてる。
 おまけにこんな相手にだぞ。おっかないことを先走りながら自殺宣言までしてきやがった女だ。常識的に考えてこれ以上の係わりを持とうとするやつなんているわけがない。いるとすればスリルと非日常を求めるバカか同じく死にたがってる救われないバカのどちらかだ。そして俺はそのどちらとも無縁だ。危険度未知数の女の相手をしなくてもいい。
 でも俺はこいつを知っている。まだ純情を持て余す少年だったころ、ひん曲がった正義感に押し潰されて涙を流す少女を、同じくひん曲がった正義を振りかざして完膚なきまでに苛んだ。靴を隠したことがある。泥だんごを無理矢理食わせたことがある。足を引っかけて転ばせたことがある。暴力に塗れる様を嗤って見すごしたことがある。そんな屈辱的なことをしてやった相手が、目の前にいる萩生めぐみだ。俺が昔いじめた少女。そして今から復讐して、死んでやろうと、エンドロールを迎えようとしている女。
「……出すまで離れないからな」
 さっきまで飲んでいた喉は渇いていて、声が少し掠れていた。
なんだ今のセリフ。これじゃカツアゲだ。
 萩生は俺の顔をじっと見つめて、それから瞬きをする。黒目がちな瞳が瞼の奥に消えるたびに静寂の終わりに備えていった。
 萩生は落ち着いた声音で結論を告げる。
「ついてきてください」
 それは、返事ではなかった。けれどその言葉は確かに俺を救済した。
「どうせなら、立会人になってください。あたしがどういう手筈でどういう復讐をしたのか、どんな最期を迎えてこの世を去るのか、すべての証言を貴方に一任します」
 まるでそれが自然な流れであるかのように萩生は歩きだす。そんな彼女の後ろを、俺はついていく。
 怠慢だった口も声も報われたみたいに潤いだす。ゲンキンな自分に腹も立つがなによりも我が身は可愛かった。俺の本音なんて全部気づいているみたいな態度をする萩生を小憎らしく思う。それでもそんな感情なんて横断歩道を渡り終えるころにはもう忘れていた。小走りに、萩生の斜め後ろにポジションを取る。
「それで、まずはどうするつもりだ?」
「エモノを揃えます」
 物騒な物言いをするなあ。
「エモノって、復讐に使う道具のことか?」
「そうです。出来れば金属バッドなんかが好ましいですね」
 これはやっぱり暴力で訴えるつもりらしい。血眼になりながら同級生の男子をボコボコにする萩生を想像してぞっとした。このなかに俺が含まれていなくてよかったとさえ思った。
「予算は」
「わかりません」
「どこへ向かっている」
「わかりません」
「そもそもどこに金属バッドなんて売ってるんだ」
「わかりません」
 このわかりません星人め。
 予想よりも無謀だったことに呆れながら、金属バッドの売ってそうなところをイメージする。多分スポーツ用品店だとかに置いてあるんだと思う。それか野球用具専門店。俺は野球に精通しているわけではないからこういうことはちんぷんかんぷんだ。萩生もそうだろうからいまこんなに困っているわけだが。ではとりあえずスポーツ用品店に足を伸ばすかと意見を出そうにも、そのスポーツ用品店がこの近くにあるのかは俺の知るところではない。市内を探せばそりゃあ一軒くらいは見つかるだろうが、少なくとも思いつくかぎりではなかった。
 初っ端から行き詰まってるぞ。こんなんでやっていけるのか。
「金属バットじゃなきゃだめなのか? 扱いの難易度は上がるかもしれないが、包丁とか刃物の類ならそのあたりで見つけられると思うぞ」
「出来ればこう、殴ったりしたいんです。肌で感じたいというか」
 マジでおっかねえ。
「金属バッドじゃなかったら棍棒とかで結構ですので」
 そっちのほうが難易度高いわ。
 というかそれらしいものを持ってこなかったほうが驚きだ。いまの格好を見てみても着の身着のままといったかんじであまり計画的に犯行しているふうではない。少なくとも、復讐を思い立って一日も経っていないはずだ。突然ふっと浮かんできたような、そんな雰囲気が読みとれる。財布を持ってきているかも怪しかった。まあエモノを探すと言っているくらいだから、一応手持ちはあるようだが。
 そこで俺は唐突にひらめいた。思わず「あ」の声が出てしまったらしく、それにあわせて萩生は振り向く。俺は人差し指を立てて彼女に告げた。
「ハンマーとかバールとかはどうだ?」
「ハンマー?」
「そういう類の金属製品ならホームセンターでいっぱい売られてるだろ? 五千円もあれば申し分ないものが手に入ると思う。それにホームセンターなら、ほら、あそこにある」
 そう言って俺は車線を跨いだ反対側の歩道を指す。さっきの店の数軒隣に有名なホームセンターの看板がどんと立っていた。それなりに大きな駐車場と自動販売機があり、暗がりの中で煌々と光っている。この時間帯のせいかさほどの賑わいは見られないが敷地の規模からそれなりに物が揃っているイメージを抱く。ここならまず購入できるだろう。
「名案ですね」
「来た道を戻らなきゃいけないけどな」
 俺と萩生は渡った横断歩道を引き返していく。店からの一連の流れを見ていた人間はさぞ無様だと思ったことだろう。お前たちなにやってんだ、って。



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