《萩生めぐみ》5/5


 ホームセンターに入った俺たちは店内を巡っていく。棚から棚へと視線を移してそれらしいコーナーを探し求めた。結果銀色光りの生々しい場所を見つけたわけだが、萩生の眼鏡に適いそうな代物は見当たらなかった。萩生曰く「二メートル越えのハンマーとか、そういうのがよかったんですけど」、お前はゲームのプレイヤーにでも扮装するつもりか。俺は柔らかく説得してもう少し小さいものを選ぶようにさせた。
 にしてもシュールだな……元いじめっ子と元いじめられっ子が一緒に武器探してるなんて。
 結局しぼりこまれたのが千円前後のハンマーと七千円ほどの大バールだ。ハンマーのほうが先端に重心がかかる分、遠心力がはたらいて、振りおろしたときの威力はでかいだろう。確実性を鑑みたとき、値段の点から鑑みたとき、どちらとしてもハンマーのほうがエモノにはぴったりだと思う。それを萩生に言えば悩んだように顎に手を当てた。隣にあるバールと悩んでいるらしい。
 バールは確かに威圧感もあるしいいとは思うが《復讐》をテーマにしたときどちらが便利かと聞かれればまずハンマーだろう。女子供でも使いやすいしコスパもいい。しかし萩生は頑としてバールの案を譲らない。結局あいつが購入したのはバールだった。
「いいのか、高いぞ」
「どうせ死ぬんだから最後くらい馬鹿みたいに散財したいです」
 なるほど。そりゃそうだ。俺は納得して否定の意見を引っこめた。
 スカートのポケットから小銭入れを出すと、そのなかに折り曲げられた状態で突っこまれてあった一万円札をぺいっと広げて出した。女の子らしい花柄の小銭入れだったがその紙幣のいれかたはどうかと思う。本当に財布もなにもない状態で出歩いていたのかと呆れてしまった。
 まあなにはともあれ。萩生は正真正銘、武器を手に入れた。
 梱包もなしでそれを持ち歩く萩生からは気迫が感じられる。非力なせいかバールを引きずりながら夜道を闊歩する萩生の姿は、同級生のよしみという贔屓目で見ても正直ひくものがある。おっかなくて近寄れない。完璧に不審者だ。子供が見たら泣くぞ。いつ通報されてもおかしくない。
 アスファルトと金属のこすれあう音を響かせながら、萩生はきょろきょろとあたりを見回した。それがさらに不審者臭を強くしていたため、俺は「どうした」と声をかけるしかなかった。
「バスかタクシーを探してます」
「ああ……」俺は納得する。「次はどこに行くんだ?」
「標的の家です。最初のひとは五十嵐顕児といって、小学生のころにあたしを苛めぬいた男です」
 萩生は持ちかたに違和感を覚えたのか、何度か手首を捻って丁度いい位置を探していた。
 電灯の斜光がひらりと、その女性的な輪郭を濡らす。
「本当はね、いろんなものを晒してやりたかったんです。五十嵐はあたしのいろんなものを人前にさらした。点数の悪かったテストも、落書き帳も、下着さえも。そしてそれを嗤って、あたしのことを辱めた。仲間に同意を求めて、まるでそれが世界で一番正しいみたいに、威張りながら」
「……いやなやつだな」
「いやなやつです、あたしのなかでは永遠にあのひとはいやなやつ」ふと萩生は遠い空の角度を見た。「だからこれで、こうするの」
 萩生はバールをぶんっと振った。少し体がぐらついたみたいで、とてててっと奇妙なステップを踏む。その動作に、通りすがりの人間が何事かとこちらに視線を遣っていた。こっちが恥ずかしい。お願いだからやめてくれ、萩生。
「それで殴り殺すのか?」
「殺しはしませんよ、ただあたしの気がすむまでボッコボコにしてやろっかなあって」
 殺しはしない、その言葉に俺は少し安堵した。流石に人殺しの現場を見たいとは思わない。血生臭いことに変わりないが殺人目的でないのはそれだけで気が緩む。
「隣の鹿嶋市に住んでます。海水浴場の近くで……一人暮らしをしています」
「調べたのか?」
「はい」
 下準備はほぼ済ませてあるようで、萩生が頷くのは早かった。
 ポプラ並木を通りすぎ。居酒屋を通りすぎ。夜の色は深くなって灰色の雲が浮かびあがる。けたたましい音を轟かせるバイクがテールランプの朱色を撒き散らすたび、俺は耳の痛さに眉を顰めた。萩生はそんなもの気にもせずに歩いている。歩調が速い。歩幅が大きいのではなく脚の動かしかたが速いのだ。小刻みなテンポ。急いでいるのが伝わってくる。俺は遠慮していたのが馬鹿らしくなっていつも通りの歩調に戻した。
「バスじゃ鹿嶋市にはいけないと思うぞ。多分だけどな」
「そうなんですか?」
「俺も実際バスで行ったことないからわんないけど。ていうかそもそもバスを使ったことがない」
「私もですよ」
 マジかよ。場所は調べてあるくせに移動手段は勘定に入れなかったのか。
「お前って……無鉄砲だな」
「助平さんには言われたくないですね」
「誰が助平さんだ」
「じゃあどうしましょう、電車を使うのが確実ですよね」
 スルーしやがった。
 まあいいけど。
「電車なら鹿島神宮で降りればいいしな。片道二百円くらいだろ」
「そんなにかかりませんね。歩いて行けるんじゃないですか」
「じゃあ歩いてろよ、俺は電車で行くから」
「女の子を放っていくなんて、さては助平さん、悪い人間ですね」
「ボーイズ・ビィ・アンビシャス。女の子にかまってたら男の子は大成できないんだよ」
「貴方が言うと重みが違いますね」まるで海外ドラマのワンシーンのように萩生は肩を竦めてみせた。「そのままだと胃のなかの薄情菌が増えて若くして死んじゃいますよ」
 なんだそれ。
「あとはタクシーで行くか、だな。こっちのほうが金はかかる気がするけど」
「他にも行くところがあるので、それはちょっと困りますね。電車にしましょうか」
「徒歩じゃなかったのか?」
 俺は意地悪っぽく尋ねた。萩生は無表情のままだった。
「よく考えたら時間かかりますよね、だからやめます」
「まあ、それもそうか」
「言ったでしょ。あたしは今晩中、朝が来るまでには、どうにかして片づけておきたいんです」
「復讐を?」
「死ぬこともです」萩生は続ける。「もうこれ以上は生きていくのが辛すぎるんで」
 薄っぺらいのに、妙な説得力がある。
 ドラマのような抑揚も演技も一切ない、素直なだけの言葉。
 それには重々しさも切なさもない代わりに颯爽とした事実をつきつけてくる。
 ネガティブポエマーなんてとんでもない。こいつは諦観しているのだ。
 俺は萩生に再会したときはまったく逆のイメージを抱いていた。優柔不断この上ない。軟体動物みたいだった。毅然としていないというかなんというか。こういう自分のふらふらしたところは昔から大嫌いだった。
「……お前、楽しかったことはないのか?」
「幼稚園のころは楽しかった気がします。もうほとんど覚えてないんですけどね。あのころは、ちゃんと友達もいたんです。みんなでシール交換とか氷鬼とかしたり、多分人生の全盛期でしたね」
 幼稚園が全盛期って。
「助平さんはどうですか?」
「俺?」
「人生、楽しかったですか?」
 俺は思い返す。この二十年以上を生きてきて、どんなふうに感じたのか。それはまるで思い出のアルバムを開くかのような作業だった。ある程度見終わったあと、「そうだな」と俺は口を開く。
「普通だ」
「普通ですか」
 ありきたりな返答かもしれないがこれは事実だ。ちょっともったいないくらいの普通の人生だった。
「いいこともあったしいやなこともあった。いいこともしたしいやなこともした。特にいやなことはな、人間として最低なことをしたりしたんだ。でも統計すると悪い人生でもないんだよ。自殺するお前からしたら贅沢なくらいじゃないかな」
「素敵ですね」
「さてはお前、いいやつだな」俺は目を伏せるように苦笑した。「まあ、小学校低学年のころはいい思い出ないけどな、全然馴染めなかったし」
「でもいまはそうじゃないんでしょう?」
「ありがたいことにな」
「よかったですね」
 萩生はそう言って、少しだけ笑った気がした。
 昔いじめたやつにこういうことを話しているのは精神的にくるものがあるが、そんなこと萩生はおかまいなしだ。知らないのだから当たり前だが、なんとなく俺の心臓が縮んだ気がした。
「あ、あそこに駅がありますよ」
 萩生はバールを持っていない方の手で淀んだクリーム色の建物を指さした。青白い蛍光に浮かびあがるのは紛れもない駅である。もうラッシュもすぎた時間帯だ、そう人はいない。申し訳程度に植えられた花々は夜風に揺れて気持ちよさそうだった。
 高架駅なもので階段を登らなければならないのだが、しかし階段を登る萩生の恐ろしさは許容範囲を超えていた。ズルズルと引きずられるバールの反響音はホラー以外の何物でもない。注目されるし駅員さんに怪しまれるし、これは隣に立つのも憚られるレベルだった。重そうにしていることから浮かせて持つこともできないのだろう。
 俺は乱暴にバールを手から抜き取って「持つ」と一言告げた。萩生はぼんやりした顔を見せて首を傾げる。おいおい、いちいち言わなきゃダメなのかよ。俺は表情を渋らせて続ける。
「重いだろ、代わりに持つって言ってんだよ」
 ったく、と俺は先に階段を登っていった。数瞬後に後ろから小刻みな足音が聞こえる。軽快に段差を飛ばして萩生は俺の右斜め後ろに位置を取った。
「それ、勝手に持っていってどこかに消えちゃったりしませんよね」
「するか」
 ありがとうの言葉もなかったものだから、俺は置いていくように歩調を速めた。



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