《西園寺円華》3/7


「知ってます? 胎児って、法律上では人間にはあたらないらしいですよ」
 目の前の女を頗る最低だと思った。出会ったときぶりに、萩生に厭らしさを感じた。
 なにが法律上では人間じゃないだ。命を殺したということに変わりはないじゃないか。きっと西園寺円華はその命に対して極限の慈しみを持っているはずだ。恋人との子はなによりも愛を感じる。可愛くてたまらないに違いない。そんな存在を腹の中で殺す。萩生の復讐は、命の犠牲を伴っていた。
 嫌悪が顔に出ていたのだろう。萩生は俺から視線を逸らした。
「中絶だって二十二週目までは認められています。そう思って諦めてください」
「なに言ってるのか、わかってんのか」
「諦めてください。口出しなんかしてどうする気なの。邪魔でもしますか?」
 俺が睨みつけると萩生は眇めるように一瞥した。
 その態度に更に怒りが湧いた。
「邪魔をするなら、ここで降りて。あたしは今夜中に終わらせなきゃいけないんです」
「降りるつもりはない。俺が降りたらお前は西園寺円華のところに行くんだろう?」
「貴方が降りなくてもあたしは行きます。そしてやるの」
「無理だ。俺が止める」
「正義の味方気取り? 素敵ですね」
「そうじゃないだろ、お前は、命をなんだと思ってるんだ!」
「死にますから」
 萩生は言い切った。震えるように見つめる俺に対して、単純な結論を弾きだす。
「いっとう不幸だと思うようなことをしてやるんですよ。死刑でいい。あたしだって理解してます。本当に酷いことをこれからするんだ。だから、約束できますよ。だってこれは絶対なんです。あたし、ちゃんと死にますから」
 どうあっても萩生は翻せない。きっと萩生は梃子でも動かない。だって今日ずっとそうだったじゃないか。復讐も自殺も萩生のもので、強い意志をもって動いている。
 愁訴から、俺は「そんなことしなくていいから、もうやめてくれ」と頭を垂れた。
「別に罪滅ぼしのためだけに死ぬんじゃない」
「だったら尚更だ。まだ生まれてないやつを巻きこまないでくれ」
「復讐なんだからそんなこと考えてられない」
「せめて他の方法を選べばいい。わざわざ一番罪深そうなやりかたを選ばなくても」
「運が悪かったんですよ」萩生は言った。「あたしだって、最初からそんなのを選んだわけじゃない。五十嵐や氷室のときと同じで気兼ねなくボコボコにぶん殴ってやれれば気が済んだはずだった。でも西園寺さんはいまそんな状態で、そしてあたしは今夜で終わりにしなきゃいけない。天気予報と一緒にやってる星占いなんかと一緒ですよ運が悪かったんです。恨むなら運を恨んで」
 俺は適した言葉を探すうちに押し黙ってしまった。どうにかして抗いたいのに、こんなとんちんかんな言葉、認めたくなんかないのに、俺の脳みそは気の利いた言葉一つ満足に吐きだしてくれない。
「それにね、貴方、多分知らないでしょう? もしも胎児じゃなくて、あたしがいじめを苦に死んだのだとしたら、自殺を告げるニュースを見ながら貴方はきっと呟くんです――命をなんだと思ってるんだ、って」
 深く言い進めることはしなかった。でも、萩生の言葉は確実に俺の心を抉った。
 萩生の言うとおりだ。萩生に係わらず、復讐の存在すら知らず、ただひっそりと死んでいった人間を画面越しに見て、誰宛ての言葉を吐いて自分の正しさを疑わなかったはずだ。同情や関心が胎児から萩生に移っただけである。萩生の言うとおりだ。全ては運だった。
 運が悪かった。
 数時間前、再会したばかりのときに、萩生に対して行われていたいじめの原因を、俺はそう容易く片づけた。
 嫌になる。辟易しそうだ。自分の言葉で自分の首を絞めてるなんて、まさしく馬鹿みたいじゃないか。
 運が悪いなんて言葉で線引きをしたのは俺が先だった。心の中でそうやって差別しながら、いざ萩生が同じ線引きを用いると卑下するのか。
 萩生が俺を正義の味方気取りだと言うのも頷ける。
 俺よりも萩生のほうがよくわかっていた。
「助平さん。人間が一番不幸になることはなんだと思いますか?」
 萩生は唐突に呟いた。
 空気を変えるつもりだろうか。にしては萩生の声に柔らかさはない。
 俺はなんの意図もわからぬまま首を振る。というより答える気力がなかった。あんな話のあとにまともな感性で答えられる自信なんてなかったし、生理的な拒絶もあった。
 萩生は気にすることもなく回答を用意する。
「あたしは、希望をなくすことだと思っています」
 それは歌の歌詞みたいなありきたりな回答。十人に尋ねれば三人くらいが答えそうな、そんな珍しくもなんともないものだった。
「心の支えにしてるものが人間には誰しもあると思うんですよ。物だったり人だったり、もしかしたら形を持たないものなのかもしれない。それがあるだけでどんな嫌なことも帳消しにできて、たったひとときでも忘れさせてくれる、そんなハッピーアイテムが希望なんです。それを失くしてしまったら、それはとても残酷なことで、もう明るい気持ちになんてなれなくて、まさに絶望って感じで、もう生きていけない、死にたくなるくらいつらいことなんです」
 思い出すように、すこし切ない面持ちで萩生は言った。こんな萩生を見るのは今日初めてだった。人間味のあるあたたかさ。そんなものを横顔から感じ取った。言葉につられてそう思うだけなのかもしれないけど、このときばかりは萩生に同感してしまえるほどだった。
「だから希望を失う苦痛を味あわせてやることにしたんです。西園寺さんの大事なもの、希望を感じれるものはきっとそれだと思ったから。西園寺さんにも、希望を失うつらさを味あわせてやろうと思ったんです」
「……西園寺さんにも=v
 意外なことに、ここで俺が引っかかったのはその言葉だった。
 今まで愚図ったくせに舌の根も乾かぬうちにこれとは、と呆れられても無理はない。自分でもそう思う。でも何故か俺はそこが気になって、重かった口をゆるゆると動かしていた。
 今夜、萩生が死ぬことを決めた理由。今日なにがあったのかと聞いたとき、願書を出すのに失敗したと答えていた。一度目の受験を西園寺によって阻まれた萩生のことだ。希望を失くしたとはそういう意味なのか――と俺が思ったときに、萩生から否定と同等の言葉が吐きだされる。
「あたしの場合は、たった一つのお菓子でした」
 俺は目を見開いた。
お菓子。子供みたいなことを言う。けれど萩生はそれに希望を感じていた。意外すぎて曖昧な反応しか取れなかった。



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