《五十嵐顕児》4/6


「電気電気、電気は、と」
 五十嵐は壁に手を伸ばす。パチッと音がすると、部屋がぱっと明るくなった。
 L字型のソファーに古そうなテーブル。いやに狭く見えるのは床一面に漫画雑誌が犇めいているからだろう。不細工な状態で積まれたそれらはざっと二百冊はあった。
「悪いな、片づいてなくて。でも俺の部屋はもっとひどい有様なんだ」
「い、いや」
「いまうちには水道水かコーラしかないんだ、どっちがいい?」
 なんで水道水とコーラなんだよ。茶葉の一つもないのか。
「じゃあ、コーラで」
「あたしはいらない」
 萩生が敬語でないことにぎょっとしたが、よくよく考えてみればこれが正しい対応なのだ。相手は同世代の男子で、しかも自分の大嫌いなやつだ。そんなやつにわざわざ敬語で話すなんて馬鹿なこと、きっと誰だってしないだろう。いままで俺にそこそこ丁寧な言葉でしか話さなかったから腰の低いイメージがあったが、きっとこっちが素のはずだ。さっきよりも気の強そうな言葉の音は萩生の決意を表しているように思えた。
「わかった、ちょっと待ってろ」
 五十嵐は奥のキッチンに引っこんだ。俺と萩生は窮屈なソファーに腰掛けてそわそわと身を捩じらせる。
「おい、萩生、どうするつもりだよ」
「どうするって」
「なに復讐相手の家に正面から転がりこんでしかも茶しばこうとしてるんだ」
「あたしはなにも飲むなんて言ってないです、助平と一緒にしないで」
「さんをつけろ、さんを。ていうかそういうことじゃない」
「じゃあどういうことですか?」
「お前、復讐するんだろ。暢気に接客されてる場合か?」
 俺が顔を覗きこんで言うと、萩生は肩を震わせた。玄関のときに見た硬い表情。怯えの色ももちろん伺える。もしかしなくても緊張しているようで、さっきから手汗のべたべたを俺の服で拭っていた。俺は萩生の頭を叩いた。
「ど、どうすれば、あたし、だって、なにから」
「とりあえず落ち着け」
「なにを、なにから……あたし」
 やばい、完全に入試前の学生になってる。もしくは九回の裏ツーアウト満塁のバッター。
 きっとその髪の毛に覆われた頭の中は真っ白になっているに違いない。臆病なことに、キッチンから聞こえてくる冷蔵庫の開閉音にも気をとられていた。萩生にとっては永遠に時が止まってほしい展開だっただろう。しかし考えもろくにまとまらないうちに、五十嵐は帰ってくる。手には俺の分と自分の分であろう二つのコーラが握られていた。
「茶菓子のひとつでも出せればよかったんだけど、インスタント麺ぐらいしかなくってな。梅干しとか海苔とかなら出せるけどどうする?」
「お気遣いなく」
 コーラのつまみが梅干と海苔ってのはおかしいだろ。
 俺は差し出されたコーラを一口だけ喉に流しこむ。気の抜けかけた微妙な炭酸がアメリカンな甘味料をともなって舌先から弾けた。
 五十嵐はソファーの前のテーブルにどっかりと座る。椅子が足りないのは仕方ないがかなり威圧感のある姿勢だったため、俺は一瞬萎みかけた。でもそれは萩生のほうが深刻らしく、緊張した顔を俯かせる。
 お前が機能しなくてどうするんだ。悪いが俺にはこの五十嵐に用なんて微塵もないんだよ。
 暗になんのようだという視線を送る五十嵐に対し、俺は控えめに笑いかけた。
「久しぶりだな」
「それさっきも言ったぞ」
 萩生が復活するまでの時間稼ぎのつもりが軽やかに不発と化したぜ。
 他にそれらしい話題はないものかと頭をフル回転させる。
「最近どうだ?」
「……まあまあだよ」
「そうか」
「お前は?」
「いい感じだよ」
「いい感じってどんな感じだよ」
 嘘だろ。まさかのそこを聞くか。
「んーまあ、ぼちぼち」
「ぼちぼちって?」
「ぼっちの進化形ですか?」
 なんでこのタイミングで復活するんだよ萩生。
 ていうか曖昧を許さなすぎるだろお前ら。
「だから……それなりに楽しんでるってことだよ。大学も楽しいし、友達にも恵まれたし、彼女もいるし」
「彼女って、萩生?」
「有り得ない」
 否定したのは萩生だった。割りこむように強く言い放つ。俺はそれに発言を続ける。
「お前の知らないやつだよ、五十嵐。まあ、なんだ、だから、俺は上手くやってるよ」
「ふうん」
 粘ったわりには素っ気ない返答だった。五十嵐は自分のコップにあるコーラをごくごくと飲む。
 会話のしにくいやつだな、となんとなく思った。それを言うなら萩生も相当会話のしにくいやつなのだが、それとは別ベクトルに五十嵐は難関だった。
 どう表せばいいのだろう。会話のテンポを掴みづらいというか。ずっとコミュニケーションを取ってなかったみたいな感じがする。五十嵐の場合だと誰かに合わせたことがない≠ニいうジャイアニズムもあるのかもしれない。とにかく俺はこの数分だけで疲れに疲れていた。
「……で?」
「え?」
「え、じゃねえって。お前も、萩生も」不機嫌というよりは居心地が悪そうな表情で。「なにしにきた」
 ああ、とうとう来てしまったと思った。
 口に出されなかったから引き延ばせるだけ引き延ばしてやろうと思っていたがもうこれじゃあそういうわけにはいかない。目の前の五十嵐は眉を濁らせてこっちを見つめている。ここから無理に話題転換などできるわけもない。かといって馬鹿みたいに復讐しにきました!≠ニ言うわけにもいかない。
 ていうかなんで俺がこんな躍起になって考えてんだよ。すべては萩生のことじゃないか。
 俺は萩生のほうを見遣る。萩生は俯いていた。



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