「珍しいね。那贄くんが誰かとお話するの」
「結川とはしゃべるよ」
「私は特別だもん。誰と話してたの?」
「雨利鏡麻ってやつ。窓際の」おそらくやつのほうを見たであろう結川に続ける。「変なやつだった」
 視線を向こうに遣っていた結川は数度目を瞬かせる。それからふんわりと片手を上げて手を振った。
「なにやってんの?」
「雨利くんが振ってくれたから」
「ふうん」
 結川は凪いでいた手を止めて膝の上に置く。さっきよりも振り向き気味に、興味津々といった表情で俺に尋ねる。
「もしかして、友達になったの?」
 その言葉と同時に先生が教室に入ってきた。結川はすぐに正面を向いて、体ごと椅子を机の中に押しこむ。結川がはっきりとした声で号令をかけて立ち上がった。もちろん俺は立たない。結川には悪いけど、俺はみんなのする号令に参加したことは一度もない。みんながガタガタと着席をしたと同時に呟く。
「俺には無理だよ」




 家に帰る時間は夕方の五時くらい。結川が撒き散らすものよりもずっと小さく見える星が壮絶に輝き始める。この時期の夜は早いのだ。
 朝と同じく徒歩で帰宅。カバンを部屋の床に置いて適当なルームウェアに着替える。別に制服のままで一日をすごすことに抵抗はないけど、着替えないと亜羽ちゃんがうるさいのだ。そのままベッドに倒れこんで視線をどこに落ちつかせようかと彷徨わせる。漂着したのは勉強机に置かれた透明なブタの貯金箱だった。
 俺は小さいころから貯金癖があった。それも、あれに入っているのはただのお金じゃない。屈辱で得た、気持ちのよくないお金だった。
 昔からからかわれていた俺は、俺を笑ったやつがこぼした歯を拾って、枕の下に置いて寝ては、それをお金に換えていた。翌朝、金ぴかの貨幣が現れるたび、それを貯金箱に入れていったのだ。決して大きな額ではなかった。けど、少しずつ少しずつ貯めることで、ちょっとリッチなアイスを一週間楽しめるくらいには膨れていった。未だに手をつけていないそれは、透明のブタの中で今か今かとギラついている。
 ほんのり眠気を感じで布団の中に潜る。
 それと同時に携帯が鳴った。
 面倒だったので放置していたが、ブブッブブッとバイブし続けるので、いい加減嫌になってベッドから出る。携帯を手に取った。SNSで、大量の会話が雪崩れこんでいた。
 校外学習のメンバーで連絡が取りあえるようにグループを作ったのだ。俺からしてみれば添加物の多いトークが次から次へと乱発される。一通り目を通したけど無視をした。俺が口を出さなくても会話は回るから、別にそれでもいいんだと思う。
 閉じてまた通知が来るのも嫌だったから、トーク画面を開いたままで、俺は再度布団に逃げこむ。
バイブの鳴らない無音の部屋は不干渉の安らぎがあった。
 目を覚ましたのは六時半ごろ。晩ごはんの時間の少し前だった。
「あっ……亜羽ちゃんごはんいらないんだった」
 お母さんに伝えてと言われていたのにすっかり忘れていた。今からでも間に合うといいけど。
 俺は布団を出て伸びをする。熱が奪われたみたいに寒い。喉はちょっと乾いていて気持ち悪かった。水かお茶でも飲もう。
 ふと携帯を開く。画面を見ると、五時半のあたりでトークがやんでいた。トークの最後の言葉は学級委員の男子の『那贄はどう?』というものだった。そこで会話が終わってるあたり、俺の返答を待っていたんだろう。他のメンバーも、そいつがそう言ったんじゃ流すこともできなくて、なにも言えなかったに違いない。ほとんど自棄で同情した。こだわりなんてないんだから俺抜きで進めてくれればよかったものを。罪悪感よりも煩わしさが勝る。適当に『別にいいよ』と返した。すぐに既読がついた。学級委員の男子は『そっか、ありがとう』と返してきた。SNSを閉じた数秒後にまた通知が来る。さっきの続きだった。送り主はもちろんその男子。
『気になるところとか行きたいところあるならまた言って』
 既読はつけたけどなにも返さなかった。携帯をベッドに放り投げて部屋を出る。
 リビングに行くと辛そうな匂いがした。どうやら今晩は、麻婆豆腐らしい。




「おはよう」
 次の日の朝、雨利は下駄箱の前で俺に挨拶をしてきた。背後から話しかけられたので、例の如く最初は自分に向けられたものだと気づかなかった。気づいたのは三度目の正直、あいつが俺の下駄箱を勢いよく閉めたあとだった。
「無視すんなって」
「……おはよう」
「全然早くねえし、むしろ気づくの遅いし」
「しょうがないだろ。俺に挨拶してるなんて思わなかったんだから」
「じゃあ俺はなにに話しかけたんだよ、透明人間か?」
「俺だろ」
「そうだよ、お前だよ」
 雨利は乱暴な口調で言った。
 昨日の今日である。わけのわからないことに、同じクラスってだけで全く接点のない俺にこうも絡んでくる。自分でもそっけない返ししかしてないことは理解している、はずなのだが、それがどうしたと言わんばかりに会話を繋げてくるのだからこいつにはたまげた。
 なりゆきから並んで教室に向かっていると、雨利の目の色が黄ばんだ好奇に変わる。
「今朝もお花咲いてる女子と登校してたな」
「……今朝もってことは毎朝見てたのか?」
「見てるときはな」言葉遊びみたく言った。「もしかしてあんたって、恋に盲目するやつ?」
 なにが言いたいのかよくわからなくて返事に戸惑う。しかし数秒後、やつのニヤニヤした顔になんとなく察しがついて「あれは姉」とだけ返した。
「なんだ。シスコン?」
「違う」
「あんたがヘンに閉じこもってる理由はあの女子かと思ったんだけど、そうじゃないのか」
 的は外すくせに上手いこと核心を突くものだから、俺の歩調は薄汚く苛立つ。雨利はなめらかに合わせてきた。性格どおりの大胆な歩きかたはぴったりと俺から離れない。
「もしかして図星?」
 引き剥がすことは諦めた。気分を害すことができたらそれだけでも成功だったのに、雨利は剛胆だった。俺はその小憎らしい猛者に返す。
「どうしてそう思った?」
「なんとなく」
「へえ」
「でも、見てればわかるさ。あんたの姉ちゃんは、多分気づいてないけどな」
 やっぱり怖かった。昨日抱いた感覚と同じ。こいつとしゃべっていると、なにかが起こりそうで危うい。均衡が崩れそうな、そんな感じ。話したばかりのこいつに俺のなにがわかるんだろう。その瞳の色の数と同じだけ見抜かれているようだった。


  


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