正直、姉といるよりも結川といるほうが好きだった。淡いシャーベットカラーの表情を眺めるのは心落ちつく。社交界側≠フ人間なのに、無理に間を持たせようとする押しつけがましいしゃべりかたをしない。結川を目の前にすると、俺の口はするりと開く。
「そういえば那贄くん、今日の数学の宿題ってやった?」
「やってない。授業中にやるつもり」
「ならラッキーだね。今日ネッシー先生お休みなんだって。自習で授業潰れちゃうから、宿題はチャラだよ」
「えっ、根島休みなの?」
「先生って言わなきゃだめだよ」
「お前だって変なニックネームつけてる」
「かわいいって言って」
 結川がおかしそうに笑うと、チカチカうるさいくらいに星が飛んだ。あんまりぴょんぴょん飛び跳ねるものだから俺の頬に何度も当たる。角がちくちくして痛かった。俺は顎のあたりをゆっくりと掻く。
「結川、今日も元気だな。朝から星出すぎ」
 俺がそう言うと、結川は「あっと、ごめん」声を慌てさせる。しゅんと量の減った星が心情を表していた。足元でイチョウの絨毯みたいな地面を作る星々を踏みつけて割ると、瞬く間に粉々になった。
「別にいいけど。朝っぱらから二人して元気だと思っただけ」
「二人してって、もしかして那贄くんのお姉さんのこと?」
 自分から滅多に姉の話題を振らないことに気づいている結川は、ちょっと意外そうに返事をした。気を抜いたためかすぐに星が膨らむ。多分言っても無駄だろうから俺はなにも言わないことにした。
 結川は、俺が姉を苦手に思っていることを、なんとなくわかっている。直接的に口にしたことはないけど、話す相手が結川しかいない分、俺の持つ話題は全て彼女一人だけに振り撒かれることになる。一つしかない注ぎ口があればそこに全部を持っていってしまうのは自然なことなのだろう。俺が漏らした言葉の節々から、結川はいろんなことを厚かましくない程度に察してくれていた。
「他に誰がいるんだ」
「あっ、そっか。那贄くんと話すひとなんてそうそういないもんね」
「そうだよ。お前くらいだよ」俺は結川の頭を軽くチョップした。「それと亜羽ちゃん。やんなる。今朝も周りにお花飛んでた。それに、ほら、来月また新しいシャトル打ち上げるらしいだろ? あれ一緒に見に行こうって昨日の夜から言ってくるんだよ」
「ああ、MSCの?」
 当然結川も知っていて、頬に人差し指をあてながら呟いた。
 MSCとはMaki Space Companyの略で、青咫畝に蔓延った宇宙産業株式会社のことだった。会社のトップであり博士号も持つ槇社長が、一週間ほど前に、またシャトルを打ち上げることを記者会見で発表したのだ。
 今年に入ってからの打ち上げ本数は、とうに二桁に到達している。サプライズ感はほとんどなかったけど、結川の表情は明るかった。
「素敵だよね。今回シャトルの中にはみんなの手紙を詰めこむって聞いたよ。前日までに応募すればそれを打ち上げてくれるんだって」
 また告知が出ていたのか。聞いたことのない情報に俺は尋ね返した。
「誰が読むんだ?」
「月の神様とかだよ、きっと」
「なんて書くんだ?」
「私なら、明日のお弁当はオムライスがいいですって書くよ」
「親に言ったほうが早いだろ」
「そうかもしれないけどさー」眉を下げて笑う結川は続ける。「那贄くんならなんて書くの?」
「……さあね」
 俺は思いついたことを言わないまま、声を出さずに笑った。
 結川は俺の答えに「ミステリアスだね」なんて言った。
「でも本当わけわかんないことするよな。ちょっと前は花を乗せて打ち上げてたし」
「変なことしかしないよね。もしかしたらあの噂も本当かもしれないよ?」
 口元を押さえながら顔をずいっと近づける結川。声は抑えれても興奮は抑えられなかったようで、俺の頭から花びらみたいにきらめきが降り注ぐ。耳たぶを掠めて痛い。
「噂って?」
「ほら、最近流行った都市伝説」
「都市伝説?」
 結川が説明しようとしてくれたところでチャイムが鳴った。教室が自分の席へと戻る音で騒がしくなる。それとほぼ同時に先生が来たらしい。きっともうすぐホームルームが始まる。少し長くなる話のようで、結川は「また休み時間に話すね」と体ごと前を向かせた。
 ちょっと気になったけど、チャイムの区切りを踏み越えてまで尾を引く程度じゃない。俺はカバンから筆箱と教科書を取り出して机の上に置く。ただ単にぽんと置くのはあんまり気持ちよくないので、教科書の角と机の隅がぴったり合うように整える。
 そのとき後ろのほうでくすっと言う霞んだ笑みが聞こえた。
 そんなに大きな音じゃなかった。ただタイミングがタイミングだったので、気になっただけだ。まさか俺のことじゃないとは思うけど、なんとなく気分が悪くて座ったまま振り向く。すぐ真後ろの席のやつはまだ隣の席のやつとしゃべっていて俺が振り向いたことに気づいてないみたいだ。もしかしたら談笑を、自分に向けたものだと勘違いしたのかも。
やっぱりたまたまだったか。
 自意識過剰を恥じて前に向き直ろうとすると、一瞬誰かと目が合った。
 窓際一番後ろの席の男子だ。振り返りざまに目が合っただけなので顔は覚えていない。名前もわからない。俺はクラスの誰とも話さないから声も知らない。知っていたところであの呼吸みたいな笑い声と重ね合わせることが可能だったかはわからないが、なんとなくあいつが笑ったんだろうな、と思った。
 烏の羽みたいに真っ黒い髪をしたやつだった。
 肌も色白くて、モノクロ写真を見ているみたいだ。でもあそこまで黒い髪は珍しい。たとえば、俺の髪はパッと見じゃ焦げ茶色が一番近い。ありんこのイメージから脱却したくて、高校に入学すると同時に軽く染めた。もう随分まばらになったおかげで黒の中に茶色が紛れこんでいるような状態だけど。結川の髪は彩度も明度も高い。地毛らしいが元の色素が薄いのだ。長い髪を二つにくくったヘアスタイルは地味だけど色的に目立つ。全校集会の最中でも容易く見つけることができるほどだ。一方のそいつの髪は純真そのもので、彩度も明度もありゃしなかった。結川に比べれば劣るはずの主張感が、どういうわけか独特の雰囲気を齎している。少なくとも薄暗い印象は抱かない。でも、なにかが起こりそうで怖い。


  


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