通っている高校は徒歩で行ける範囲だった。自転車で行ったほうが楽ではあるが、徒歩十分の距離だとギリギリ自転車通学の許可が降りないのだ。結果、二人揃ってどんどこ地道に歩いていくしかないわけだが、毎日電車に揺られながら通うよりは、見慣れた地元でゆっくりできる通学路のほうが心地よかった。
 俺たちの住む青咫畝(せたせ)は空気のおいしいド田舎だ。電車は一時間に一本、バスに至っては一日に一本。どう考えても家に帰す気がない。交通は滞りなく不便。そのくせ宇宙産業が活発で、ふてぶてしさこの上ないことに、日本のヒューストンなんて呼ばれている。目的のはっきりとしないシャトルを年に何発もぽこぽこ打ち上げ続けていて、小さいころは亜羽ちゃんと見学に行ったりしたものだ。青咫畝の子供はシャトルを見て育つとも言われるほど、ここではそんな別次元の話を身近に感じられる。地元愛の強すぎるじいちゃんばあちゃんは、お空を飛んでくシャトルを見て育つ青咫畝のひとはみんな器のでかい人間になる、とよく言う。勝手に言ってろって話だ。でも、碧の空気と銀灰色の建築群に紛れて処々に立つドーム型のスペースセンターは、プラネタリウムと同じだけの親しみを持てる。俺はこの地元が嫌いじゃなかった。こういった手短な輝きは人間の心をくすぐるのだ。
「そういえば亜莉、もうすぐ校外学習だよね?」
 少しだけ前を歩く姉が思い出したように言った。
「んー、まあ、そうだよ」
「いいなあ、校外学習。私もまた行きたいなあ」
「留年すればいいじゃん」
「なにそれ。亜莉と同じ学年になっちゃうのは流石にいやだよ」
 俺だってやだよ。
 おそらく全然違う意味であろう拒絶を、姉は吐きだし、俺は吐きださなかった。
「で? 亜莉は誰と行くの?」
「……まだグループ決めてない」
「そっか。あっ、今年どこ行くんだっけ? 私のときは青咫畝から出なかったけど」
「同じだと思うよ。青咫畝の周りも基本田舎だし」
「やっぱりかあ。どうせならもっと都会に行きたいよね。ショッピングとかさ」
「別に」
 校外学習なんて楽しみにしていない俺は、どこに行こうがどうでもよかった。むしろ地元なら早く家に帰れそうだしありがたいくらいだ。家が特別好きってわけじゃないけど、学校はあんまり楽しくない。クラスメイトと校外学習に出かけなきゃいけないっていうのは結構な気苦労だと思っていた。
 俺の返答に姉は顔を顰める。
「またそうやって面倒くさがる」
「面倒なんじゃない、嫌なだけ」
「もうっ。本当にしょうがないなあ、亜莉は」
 本日一つ目。姉の言葉に、俺の自尊心は傷つけられた。
薄い月みたいな筋はこの十六年間で一体いくつに増えたんだろう。いい加減に慣れてくれればいいものを、その傷はいつも新鮮で、俺を解放することはない。
「ああ、そうそう」姉は俺のほうを向く。「今日ね、部活で麻婆豆腐作るんだ。だからお母さんには晩ごはんいらないって言っといて」
「料理部ってお菓子ばっか作るんだと思ってた」
「まあね。だから先生にお願いしてみたの。ちゃんとしたご飯も作りませんかって」
 自分の意見が採用されたのがよっぽど嬉しかったのだろう。ちょっと得意げに笑ってみせる姉の周りには、鮮やかな香りの花が散っていた。朝っぱらから本当に元気だな。肩から地面にぱらぱらとこぼれていくのを見ながら、俺は鼻で溜息をつく。
 学校に近づいてくると、同じ制服を着た生徒の姿が増えていった。その大半が自転車で、軽やかなスピードで俺たちを抜かしていく。生徒の群には姉の同級生の者もいて、近づくたびに「おはよう」と声をかけられていた。今日もいつもの手で先に行けそうだ。その数がだんだん多くなってきたころを見計らって、俺は姉から離脱する。すると周りは待ってましたと言わんばかりのタイミングで、姉に近づき周囲に居座るのだ。姉と塊を置き去るように俺は足を速める。後ろは花の匂いに溢れていて、かなり騒がしかった。
 俺はいつも自然ななりゆきで姉から離れるようにしている。
 流石に姉と並んで学校の校舎に入る勇気はない。あってもしたくない。
 一人で通りすぎる校門は窮屈でなく優雅だ。運が良ければ家に帰るまで姉の呪いを聞くこともない。
 感情のひだが立たないなけなしの平穏はこうやって勝ち得る。蟻が地面の下に巣を造るのと同じことだ。こそこそこそこそ、似た者同士で気分が悪い。しょうがない人間。からかいの声も姉の呪いも、見事に今までに染みついている。
 校舎に入り靴を履きかえ、階段を三階分上がると、曲がってすぐに自分の教室が見える。何十もの段差を持つ坂道の苦渋を強いられた生徒には運のいいクラスを獲得していた。
 俺は挨拶もなしに教室に入る。何人かはこっちを見たけど、興味なさげに視線を戻して読書や歓談に勤しみなおした。ある一人を除いては。
 廊下側三列目、後ろから二番目の席にカバンを置く。そいつはもう着席していて、前を向いた椅子に横向きになって腰かけ、足をぶらぶらと振りながら俺をじっと見つめていた。俺のちょうど一つ前の席。この俺に毎朝挨拶をするクラスメイトなんて、この席の保有者しかいない。
「おはよう那贄くん」
「おはよう」
 俺の挨拶に、結川花ろん(ゆいかわかろん)は眩しそうに笑った。
 結川は二年生に上がってから知り合い、結川がしつこく話しかけるのを俺が半ば折れる形で仲良くなった相手だ。友達の少ない――いや、正直友達のいない俺にとっての唯一の友達と言える存在で、朝や休み時間はこうして結川がこっちを振り向く体勢でよくしゃべっている。
 女子生徒が男子生徒と仲良くしていたら変な噂が立ちそうなものだが、そういったことなんてこの結川にとっては足元にも及ばない。元が控えめな性格で浮ついた話が一切ないというのが大きいが、それと同じくらいのご都合的美点は結川の持つ看板にある。典型的な西洋ハーフ顔でビスクドールのような目鼻立ち。みんなが一度は注目してしまうような可憐な容姿をしている結川が、俺なんかの相手≠しているなんて誰も思わないのだ。おまけにクラスの学級委員だし、面倒見のいい健気な子、くらいに捉えられているんだろう。結川様様。おかげで気楽なものだった。
「今日も早いな」俺は言った。「何時に起きたんだ?」
「六時くらい。怖い夢見たら早く目が覚めちゃったんだ」
「へえ、どんなの?」
「お風呂のシャワーからニボシがいっぱい出てくる夢」
 なにそれ。
 呆れ半分で眺める俺。結川は星を飛ばしながらウインクした。


  


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