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 そしてお昼のチェックポイント。
 場所は多数決により青い花公園となった。
 予想以上に綺麗な場所だった。如月駅のカキツバタの野原を思い出す。
 一面の青が驚くほど壮大だ。
 それぞれ小さく花の名前が書かれてあるが聞き慣れなさすぎてまったく頭に入ってこなかった。それはグループのメンバー全員が同じことを言えるようで、みんな観賞する時間は短かった。男に花を楽しめと促すほうが間違いなのだ。女子グループは花に穴が開きそうなほど見て回っていて不思議で仕方がなかった。どうやったら同じ景色をあれほど楽しめるのだろう。理解に苦しむ。
 公園内にあるのんびりとしたテーブルでご飯を食べることになった俺たちは、途中、結川のグループと合流した。場所があまりなかったために俺たちのグループと並んで昼食を摂ることになったのだが、会話は専ら花についてだった。写真も何枚も撮ったらしく、熱のこもったトークを甲高い声で続けられるのは耳が痛かった。いつもよりテンションの高い結川は絶好調で顔を綻ばせるたびに多量の星を飛ばしていた。
「ファセリアって花が一番綺麗だと思った!」
「へえ」
「覚えてない? 赤い茎で、白っぽい葉っぱの。ほら、あれだよ」
「なるほど」
「あっちの花も綺麗だよね、真っ青で、これぞお花ですっていう形の花だったの」
「ふぅん」
 斜め前に座る結川の話に適当な相槌を打つ。それでも機嫌を損ねない結川はまだまだ話を続けた。覚えたての花の名前は呪文や外国料理の名前みたいでちっとも頭に入ってこなかった。友達と花の写真交換までしていたが、みんな被写体が同じなのに意味があるのだろうか。女子とは本当に不可解だと思いながら、俺は物珍しい結川の私服を眺めていた。
 校外学習中は制服ではなく私服で行動する。今まで見慣れた制服だったために、結川の私服姿はかなり新鮮だった。
 いつも弄っている髪をそのまま下ろし、青い花よりも幾分か濃い青紫色のカーディガンに映えるように落ちている。まるで夜空の天の川だ。
 俺がぼうっとしていると結川も「那贄くんの私服姿って珍しいね」と俺とよく似た、しかし当たり前のことを口にしていた。そもそも制服でしか会ったことないのだから珍しいもなにもない。
 昼食を食べ終えたあとは公園の中心地にある遊園地へと足を運んだ。
 これには我がグループも目を輝かせた。
 俺と春飼の足並みは変わらなかったけど、他のグループメンバーは我先にと飛びついていった。ジェットコースターや観覧車は安全面で不安だらけだ。それなのに真っ先にそれを選ぶのだから彼らは剛胆なのだろう。売店のアイスを食べながら俺は思った。
 最後の目的地、トリックハウスでは、いつかの宣言通りに雨利が参上した。
 制服姿となんら変わりないモノトーンの私服で、色素のない肌や髪と相俟り、昔の写真を見ているような気分になった。その虹彩だけは鮮やかな色をしていて、とにかく目立つ。雨利の合流に一つ吐息した春飼を先頭に、トリックハウスに入った。
 鏡の部屋に入ったあたりで「案外楽しんでるな」と雨利が言った。
 たくさんのミラーに映っていて何人も雨利がいるみたいだ。
 少しおっかない気持ちになりながら俺は頷いた。
 話していると、どうやら雨利は移動中、運命の恩人である槇妃深流を見たらしい。ここに向かう電車の中でなにやら大きな荷物と格闘している猫背の少女の姿を見て、近づいてみるとあらやっぱり、ブルーバード号の開発者がそこにはいたのだとか。
 またせっせとロケットを作っている姿を見て、雨利は興味本位で、何故そんなことをするのか、そんなことをして楽しいのかと聞いてみたらしい。
 すると彼女はあの実に聞き取りにくい声でこう答えたのだと。
「よく言われるだろう。蟻って働き者だと。踏んでしまいそうなくらい小さくて目立たない存在なのに、それに気づいてる人がいて、そんなふうに呼ばれているのはすごいことだと思うよ。気づいてくれる人がいることを信じて、自分はせっせと自分の仕事をすることができたら、それはとても素晴らしいことじゃないのかな?」
 よかった、と思った。
 彼女も彼女でちゃんとやっているらしい。
――私たちって、きっと心がとっても弱いんだろうね。
 そんなことを彼女は言っていたけど、俺からしてみれば彼女だってなかなかだ。強いわけではないが強かで。だからきっと自分よりも強いものだらけの世界でも上手く生きていけるだろう。
「お前たちが蟻なら」
「あ?」
「俺はキリギリスだな」
 突然そう言った雨利に俺は顔を訝しめた。相変わらずこいつは突拍子もない。
「死にかけるってことか?」
「絵本によって話は違ったりするけどな」雨利は人差し指をぴんと立てる。「餌を貰って生き延びるほうだろうな、きっと」
 アリとキリギリスの物語をそこまで細かに覚えているわけではない。だから俺にとっては雨利の発言は脳の撹乱にしかならなかった。
「お前ってそんなポエミーなやつだっけ?」
「ポエミーってなんだよポエミーって」
「だってお前……なんか気持ち悪いぞ」
「散々だな」
「ブルーバード号の一件で頭打ったとか?」
「あまりの感動に胸は打たれたかもしれない」
 自分のことさえ面白おかしく茶化す雨利は正常通りだ。
 ミラーハウスを抜けると部屋全体が斜めに傾いた部屋に入る。三半規管が混乱して吐き気がした。立っているのに叩きつけられているみたいだ。俺たちの先を歩くグループのメンバーもあまりの急斜に悲鳴を上げている。
「那贄亜羽は、女王蟻」
 まだ続くのか、と俺は嘆息した。
「結川花ろんや春飼姉多は砂糖なんてどうだ?」
「意味がわからない」
「そうかそうか」雨利は真っ逆さまに笑う。「まあいいや」
 自分から話を振っておいて、相変わらず自由気ままなやつだった。
 さて。雨利の話にも出てきた槇妃深流についてだが、後日俺も再会を果たすこととなった。
 それは普段使わない電車の箱の中でもなんでもなく、ただの放課後の通学路の途中だった。
 不健康すぎてちゃんとこの世に健在しているのが不思議なほどのガリガリ女が目の前に現れたとき、俺はそれなりに驚いた。あくまで勝手なイメージなのだが、こいつが普通に生活しているなんて考えもしなかったのだ。俺は電車に乗ってブルーバード号をせっせとこしらえている彼女しか知らない。町中を普通に歩いていたことに些か戦慄したくらいだ。私服だったあの日とは違う格好、着こなした制服からして、やはり有名な高校に通っているらしい。分厚い眼鏡の奥の目が俺を捉えたとき、彼女も愉快そうに綺麗な唇を吊り上げていた。
 そう、この女だ。今日、俺が、とてつもなく面倒くさいことに巻きこまれているのは、この日この女が原因なのだ。
 なんでよりによって偶然姉と下校しているときに出会ってしまったのだろう。彼女が無邪気に差し出したものに姉が食いついてしまったことから、俺はこの展開を予想していた。

「ねえー! まだー?」

 玄関で靴を履く姉が、未だ部屋で用意をしている俺を呼ぶのが聞こえる。
 そう急ぐなら先に行けばいいのに、今のようにちんたらしている俺を姉はいつも玄関で待っていた。それは一緒に登校するというルーチンワークであったり、休日一緒に出かけるという今日のような日であったりもする。
「遅いってば! あーりー! はーやーくー!」
「わかってるって」
 距離により膨張した姉の声が響く。そのあとに続く俺の声は、とてもじゃないが乗り気に聞こえない。発声の熱量の温度差がすごい。無理矢理連れ出そうとしているのはあっちのはずなのに、そのことがよっぽど正しいみたいに感じられる。俺も途中で折れてしまったのだからそりゃあ正しいわけだが。
 槇と再会したあの日。
 渡されたのは二枚の整理券だった。
 青咫畝を牛耳る宇宙産業MSCは、新たなシャトルの打ち上げを目前に控えていた。年に何発も打ち上げているため失敗することへの恐怖心は企業も市民さえもそれほどになく、何千人何万人もの人がシャトル打ち上げを見学するのが常だった。たくさんの手紙を乗せた今回のシャトル打ち上げは見学人が殺到するであろうことを予想して、一週間前から整理券を配っていたらしい。姉は貰いそびれて見れなくなったと嘆いていたが、そんなことを話していたまさにその瞬間、タイムリーなまでのタイミングで、槇は俺たちの前にそれを持って現れたのだ。
 槇妃深流と言えば槇社長の娘。
 整理券を手に入れることなんて朝飯前だったのだろう。
 どういうつもりか、どういう奇遇か、どういう狂いぶりかはわからないが、再会の印にと差し出してきたその二枚の紙切れに、姉は綻ばせるほど華やいだ。
 さて、そこからは攻防戦。
 打ち上げ日までの数日をかけて俺たちはもめにもめた。
 今回の打ち上げを一緒に見に行くかどうかはけっこう前から話題には上がっていたのだ。
 こんな歳にもなって姉とどこかへ出かけるなんて気恥ずかしい俺と、一緒に行きたいと少しも譲らない姉。口論に口論を重ね、舞い散る花の乱舞。ずっと前から反対していたのだからその意思を曲げるつもりはない。俺は姉にそう伝えた。結果はどうなったでしょうか、なんて言うまでもない。姉はもう俺を許すことはないのだ。だったら、誰が折れるかなんて目に見えている。
「亜莉っ!」
 なんとか支度を終えて玄関に行くと、準備万端の姉がドアに背凭れて俺を待っていた。腰に手を当てた仁王立ち。俺のほうが背は高いとはいえ、それなりに威圧感がある。その胴体の上についた顔は、まるで待ち合わせに遅れた彼氏を責めるような表情だった。
「怒鳴るなよ」
「遅いってば。一体なにしてたの」
「亜羽ちゃんが早すぎるだけだろ」
「そんなことないよー。だってあっちについたら屋台とか見て回るかもしれないじゃん」
「俺は見る気ないんだけど」
「なんで? 当日限定の宇宙リンゴ飴とか、真空万華鏡とか、月面アイスとか、気になんないの?」
「ならない」
「私はなるの!」
 そう言いながら、姉は玄関の鏡を覗きこんで前髪を整えた。アイロンで巻いているのか丸い輪郭を帯びている。
 そっちだって完璧には準備できてないくせに。
 俺は持ってきていた上着を羽織ったあと、靴を履くためにしゃがみこんだ。
「えへへ、これも亜莉のおかげだね、まさかあんな友達がいるなんて」
「友達って槇のこと?」槇は友達のうちに入るのだろうかと考えながら答えた。「言っただろ。たまたま会っただけで……俺だって整理券渡されるなんて思ってなかった」
「しかもね、結構レアなんだよ」
「そうなの?」
「そう。間近で見れる場所。すごいよね」
 そりゃ槇妃深流ですからな。
 靴紐を上手く結べなくて四苦八苦していると、姉の足元が視界に入った。
「亜羽ちゃん、そんな靴履いてくの? しんどくない?」
「平気だよ」
「そんなに踵高くてさ。どうせ人ごみに揉まれるんだろ? 俺の足絶対踏まないでね」
「だから平気だって」
 姉は少しだけ面倒くさそうな顔をした。
 女子的には、お洒落に対してとやかく言われるのはあまり嬉しくないのだろう。
 覚えておこう。


  


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