28


「あんたが結川花ろんや春飼姉多みたいな人気者になれる方法を教えてやろうか?」
 問いかけにも関わらず、揚々、どこか上から目線で雨利は続ける。
「さっき言ったことをそのまんましろ」
「……目を合わせるってこと?」
「目を合わせて、軽く笑って、口を開けばいい。お前ならそれだけで事足りる」
 馬鹿じゃないのかと思った。
 そんなことで変われるなら苦労はしない。
 俺が長年姉に抱き続けた感情だって、どうこうなることはなかった。
 そう言えば雨利は「試してもないのにどうしてそんなことが言える?」と返してきた。
「試してみたさ。電車に乗る前に、俺は亜羽ちゃんに向き合った」
「俺から言わせればありゃ向き合ってなんかない。一方的な暴力だよ。あんたが長年、あんたの姉ちゃんにされてきたと思ってることと、なんら変わりはないぜ」
「…………」
「あんたが本当にしたいことってそんなことなの?」
 嘲笑うような雨利に俺は押し黙った。
 そんなとき、もぞりと布の塊が動く音がした。
「……ねえ」
 それは通路を挟んで隣。さっきまで死んだように眠っていた彼女の声だった。
寝起きの声は最早声なんて呼べないほどに小さい。慎ましい空気の振動に、俺も雨利もそちらへと視線を向ける。
「君たちは少ししゃべりすぎたようだね」
「なんでちょっと不穏なんだよ」
「全然眠れなかった。どうしてくれるんだい?」
 位置のずれた眼鏡を両手で持ち上げなおして俺たちを睥睨する。前髪は寝癖みたいに少しはねていてみっともなかった。
「ああ……もうすぐついてしまうね。最後の作業に取りかかろう」
 彼女は作りかけのロケットを掬いあげて、膝の上に乗せる。とうに綺麗終えていた小さな羽をつけて完成らしい。まるでミサイルのような羽は薄っぺらくてあってもなくても同じなのではと思わせた。
 どこからかガムを取りだして口に放りこむ。遠くからでも匂いでわかる。ミント味のガムだった。何回かくちゃくちゃと噛むと、大きな風船が口元から生えてきた。薄いグリーンの風船はしゃぼん玉のように弾け飛んで彼女の顔に貼りついた。慌てたみたいに両手でそれを引っぺがしにかかる。でも風船ガムは彼女の顔を食べてるみたいに剥がれてくれなかった。
 やばい。ものすごくダサい。
「おい、息してるか」
「してなかったら今ごろ私は死んでる」
「早く取ってくれないとこっちまで笑いそうなんだよ」
「なるほど。人の不幸は蜜の味というわけか」
 そこまで言ってない。
 数秒後、なんとかそれを舌で剥がすことに成功した彼女はまた口の中で噛みはじめた。あんまり行儀がいいとは言えなかった。異性が相手だと特に。
「俺たちもそろそろ降りる準備しようぜ」
「あ、うん」
 俺は開いていたカバンのファスナーを閉める。
 窓の外を見た。
 落ちてきそうなほどの快晴だ。
 煙が飛沫みたいに上がっていったあの日。
 あの日もちょうどこんな空だったような気がする。
「できた」
 そうこうしているうちに彼女はロケットを完成させた。何故だろう。翼があるだけで、さっきの何倍もかっこよく見える。たとえ人間が乗ったとしてもぺしゃんこに潰れることはないように思えた。
「かっこいいな」
 俺は素直にそう言った。
「そうかい?」
「そうだよ。こんなの誰にでも作れるようなものじゃない」
「なら私を覚えていて」道具を片づけ終えた彼女は立ち上がる。「きっとだよ。私は将来、ビッグになるんだ。ちっぽけな枠におさまったりしない。この青咫畝を担う人間になってみせる」
 電車がスピードを落としていく。座席に凭れることでバランスが崩れるのを防いだ。
 気持ちよく流れていた景色がだんだんとスローになる。
 駅のホームはやはり無人だった。とにかく閑静で、まるで俺たちのためだけにあるような場所。薄氷の呼吸、焼野の匂い、猫の恋が静かにあたりを彩る。
「俺たちお前の名前知らないんだけど」
 電車が停止する間際に雨利が言った。
 スチームパンクな音と共にドアが開く。ドアの目の前まで来ていた彼女はすぐにホームに足を降ろした。俺たちも降りようとしたとき、体ごと振り返る。
 抱えられたロケットの先端がきらりと光った。
「槇妃深流(まきひみる)。大船に乗ったつもりで、その運命を託してくれ」




 終点の如月(きさらぎ)駅を出てみれば、ここは現実に存在する場所なのかと不安になるような光景が広がっていた。いくら不安に駆られようにも俺はこの場で直立しているし、ここは間違いなく目的地だ。
「すごいな」
 感嘆を雑えた声で雨利は呟いた。
 駅を出てすぐはアンツーカー。数歩越えれば幻想的な野原が水彩画のように広大に滲んでいる。彩る花弁の色は青紫、季節外れに咲くカキツバタだ。光と影は淡くも克明で、草の葉一本一本がありありと浮かびあがる。思わず魅入るほどの美しさだった。
 俺たちは原っぱを踏みしめながらあたりを鑑賞する。そのあいだ、槇はロケットを簡易なランチャーの上にセットしていた。
 その姿に、ざわざわした。
「準備よし」
 設置を完了したらしい槇が立ちあがる。手についた土を打ち鳴らすように払って何歩分か後ろに下がった。
 ブルーバード号は、飛びたつのを待ちわびるかのように空を向いていた。


  


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