27


「那贄亜羽とさえ目を合わせない。目が合うのはただ一人、結川花ろんだけ。あんたは夢中なんだ。自分にとって優しい角砂糖にしか目がない」
 繰り出される言葉の数々が胸を疼かせた。傷つけられていると思えないのは、おそらく俺も理解しているからだ。
「あんた姉ちゃんに呪われたなんて言ってるけど、それっておかしいよな。那贄亜羽は馬鹿じゃない。俺が聞いたときのイメージとは違ってた。わかっていてもおかしくないんだ。ただ、あんたがなにも言わないやつだっただけ。卑怯で卑屈なことにな」
「……なにが言いたい」
「あんたを見てると自分もまだマシなんて思えるよ。もしもあんたがいなかったらクラスの腫れ物は間違いなく俺だった。感謝しきれない。あんたは俺の恩人だ」
「未だかつてないほどの厭味だな」
「本心だって。お前だってここしばらくで俺のことわかったんじゃないのか?」
 雨利は首を傾げて笑った。
 この目の前にいる雨利鏡麻はあっちこっちウロチョロする困ったくん≠セった。結川も言っていたように、ドライなのだ。こいつの中心は常に自分で、誰かにブレるということを知らない。非常にマイペースな人間。特別誰と仲がいいとかはなく、一人でいるところは想像できないが、ずっと誰かと一緒にいるところはもっと想像できない。雨利自身も気にされるのは嫌いなようで、そして気にされないことが当たり前だと、マナーのようなものだと思っている。
 しかし、現実はそうはいかない。
 コミュニティーは大事だ。共同作業は大切だ。足並みを揃えない不真面目なやつは忌避されてしかるべきだ。
 結川が言い淀んでいた理由だってそこにある。
 気ままに気まぐれすぎる、ぶれないこいつは、普通に考えてみれば異様なのだ。
 一歩間違えれば、雨利鏡麻は那贄亜莉だった。
「こいつの言葉を借りるなら、」雨利は寝ついた様子の隣の彼女を顎で指した。「お前はとんだナルシストだよ」
 今さらになってだ。今さらになって彼女の言葉が耳を刺した。
「俺のほうがよっぽどしょうがない≠竄ツのはずなのに、お前がここまでしなくちゃいけない原因はなんだ。このシスコン野郎」
 俺のことをなにも知らないくせに、事実知ってるみたいに語る男が、とんでもなく腹立たしかった。認めることを拒む。だって、姉のせいだ。そう呟く俺に「素直になればいいのに」と肩を竦めて見せた。
「ちゃんと向き合えばいいのに。なにを怖がってるんだか」
「怖がってない」
「いいや、怖がってるね。合わせて、話すのが、そんなに嫌なの」
 さっきからずっと疑問符がない。きっと答え合わせの大半はもう勝手に済ませてしまわれている。前とは違い納得がいっているようで、表情もどことなく明るい。明るすぎて耐えられない。俺がずっと触れずにいたものは、そんな明るいところなんかじゃなく、暗くて狭いところに押しこめてきたのだから。
「俺と目を合わせてみろ」雨利はまっすぐ俺を見ていた。「あんた、俺のことどう思う?」
 ふてぶてしいくらいの態度でそんなことを尋ねる雨利。
 俺は拳をぎゅっと握りしめた。
「苦手だ」
「へえ?」余裕の表情で続ける。「苦手か」
 目を逸らすことのほうが怖かった。俺は雨利を驚くほど従順に凝視している。
「ああ、苦手だ。もっと言うと、嫌いだ」
「本当に?」
 本当だ、と目を見て答えようとしたら、自滅した。
 雨利の眼窩から俺の眼窩へ、太いワイヤーみたいなものが伸びてきて、ネックレスのビーズのように繋ぎとめられる。避けてきた穴に無理矢理糸を通された。ステージをどんどん引き上げられるような感覚。目を見ている以上の圧迫が圧しかかってきた。こんなこと、そうそうしたことがない。目が、じゃない。もっと他の、大事な部分を向きあわせてしまった。
 俺が雨利をどう思っているかだって。そんなの、初めて話したときからほとんど変わりはない。いけしゃあしゃあと物事を口にできる横暴さ、神経の図太さ、しがらみなんてないに等しく年柄年中歌って踊っているような困った奔放さ。気づいたときにはそれが自由からくるものなのだと確信した。
 結川は言った。俺と雨利は似ていると。そんなことはない。たとえ似たような性質を持ち合わせていても、俺とこいつとじゃ全然違う。
 変なやつだって薄い膜を被せて見ないふりをしていた。目は見ても、合わせることなどしなかった。雨利が指摘したように、実の姉とも。本当はずっとそうだったのに。
「お前に、憧れてる」
 自分の口から漏れた呟きに、カッと顔が赤くなる。
 合わせてしまった目を逸らすことは不可能で、俺は半分呆然としていた。
 雨利はなんでもないことのように「だろうとも」と返す。
 とてつもない負荷が心臓にかかっているのがわかった。これは苦しい。こんなことを、こいつらは毎日当たり前のようにやっていたのか。俺には到底できっこない。
 そんな弱音を制するように雨利は俺に言う。
「あんたはいい加減、甘えるのをやめるべきだよ。呪われたって悲劇に酔っぱらうな。都合のいいように見るのはもうやめろ。ちゃんと向き合え。あんたの元凶は、あんたが思ってるほど都合のいいものじゃない」
 その言葉を正しく飲みこむには隠していたものを曝けすぎた。
 妙な脱力感に追われて肩を落とす。
 しょうがないなあ、亜莉は。そう言われるたびに心の中で唱えていた。俺がしょうがないやつなのは姉のせい≠ネんだと。そのたびに憎しみばかりが表に出て、塗り潰されて見えなくなっていた。
 それを見事に暴かれた。目の前のこいつは俺を姉から引き剥がしておきながら、結局はとんでもないことを自覚させる。
 黒髪の奥にある虹色の瞳が恨めしい。こんなものに情けをかけるように魅せられるなんてとんだ失態だった。だけどそんな文句を言う精神も残っていない。自己暗示の残りカスは打ち震えて今にも爆発しそうだった。
「落ちこんでる?」
 首を傾げて言った。ぶっきらぼうに「別に」と返す。
「罪悪感?」
「しつこいぞ……」
「いっそう自分がどうしようもなく思えて、嫌になってるんだ」
 からかうふうに肩を竦める雨利。
 もう何駅すぎたかもわからないが、相当な時間が経っていた。その分の疲労もあるのかもしれない。反応するのは疲れるだけだった。
 一拍だけ間を置いて、どこか慰めるみたいに言う。


  


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