23


「どれくらいでつくんだ?」
「まだまだ先」
「そんなに? 夜になるんじゃないのか?」
「まさか。青咫畝からは出ないんだ。じきにつくさ」
 暢気そうな雨利の声が違和感なく脳に響く。思ったよりも自分が興奮していないことに少し驚いた。
 やっと離れられた。言いたかったことも言えた。清々しくて、時化たことなんてなにもないはずだ。なのに何故。自分自身に追求しようとして、踏みとどまる。これ以上は嫌だな。思い出すことさえ気が引けてしまった。
「そういやあ……腹減ったな」雨利が肩を落として言う。「なんか食べたくない?」
「は? さっき昼食だっただろ」
「ちょっとしか食ってないんだよ」
「なら続きをどうぞ。俺は弁当の匂いなんか気にしないし、他に乗ってるひともいないからいいだろ」
「ばぁか、ここまで走ってきたんだぞ、シャッフルされた弁当なんて食べる気なくすって」
 ものすごいわがままなやつだな。
 昼休みに見てたけど、昼食を摂りそこねたのも遊んでたからだ。
 同情の余地もない。なんでこいつこんなにフリーダムなんだって、逆に呆れてくる。でもこのまま騒がれても面倒なだけだ。俺は「しょうがないな」と、自分のカバンの中身を雨利に押しつけた。
「スナック菓子とキャンディー。好きなの取れよ」
 ポップでキャッチ―な外装をした菓子袋。色とりどりのセロファンに包まれたキャンディーの袋はとうに開いている。いくつか結川に献上したおかげで数も少なくなっていた。まだ少しだって手のつけていないスナック菓子は味が書かれていなかった。そこが面白くて、だからこそこれを選んだわけだけど、いざ食べるとなると勇気がいる。こいつが開けてくれるなら万々歳だ。
 受け取ったそいつらを眺める雨利はなんとも奥深い顔をした。
 両手で袋を掴みパリリリとスナック菓子を開封する雨利は「遠足かよ」とこぼしていた。
「おやつは三百円までってか。もっと腹の膨れそうなやつないの?」
「クレームつけるくらいなら返せよ」
「こんな準備までしてきやがって。実は楽しみにしてたな」
 めんどうくさいやつだな、と俺は顔色を渋らせた。
 雨利は袋に手を突っこんでスナックを取り出す。何味かもわからないのに躊躇いなく口に放りこんだ。咀嚼しながら考えこんで、おもむろに口を開く。ひらめきに近い声で「オニオンオイスター」と呟いた。すっかり安堵した俺も袋に手を突っこんだ。
「わかった」
「なにが?」
「実は校外学習行きたかったんだ」
「だから別に楽しみになんかしてないから」
 すっかり俺をおちょくる方向に持っていった雨利。小憎らしい見定め顔はいつもの数倍は腹が立った。話を変えるような意味もあって、俺は思い出したことを口にする。
「そういえばお前も青い花公園行きたがってたよな。ちょっと意外だよ」
「だよな。そんな乙女チックなところ選ぶ男子とかなかなかいないし」
「グループで決めたのか?」
「いや」雨利は首を振った。「あんたが選んでたから」
 なんだその理由。
 あからさまに顔を顰める俺を雨利は笑った。
 徐々にスピードの落ちていった電車は卯月(うづき)駅で止まった。窓や開いたドアから覗く卯月駅の気色はうっとりするほどのどかだ。林檎の花の模様をあしらったタイル壁に、名も知らぬ鳥の囀り。石英色の時刻表はぽつぽつとしか数字が刻まれておらず、発車するのは数分ほど先だった。
 対岸のホームの真下にあった雉の巣の卵の数を勘定していたときだ。
 俺たちの乗る車両に、一人の少女が踏み入れた。
硬そうな髪を短い三つ編みにしている。まるで骨と皮しかないみたいな痩せぎすの体型で、とてつもない猫背だ。おそらく同年代であるのに背は驚くほど低い。大きな手荷物を引きずるように持っていて、通路を挟んで俺たちの隣――二人掛け席にそれを置き、並ぶように自分も座った。
 じっと見つめるのも失礼だと目を逸らす。赤の他人だし興味の対象でもないけれど、随分珍奇ななりをしているなと思った。ぼんやりとしか見ていなかったが気の抜けたような格好だったことだけはわかる。きっと歳もそう変わらない。同じ学生だろうに、彼女もサボりだろうか。俺や雨利とは違い、彼女が着ているのはどう見ても私服だった。
 電車発車の合図が鳴る。数秒笛の音が響いたあと、無人の駅を遮るようにスライドでドアが閉じていく。電車に乗るのは三人だけ。実に質素な道のりだった。
「静かだな」
 改めてしみじみと感じたのか、雨利はそうぼやいた。
 乗りこんできた少女は手荷物から水色の色画用紙と鋏を取りだす。色画用紙に鋏を入れ、なにやらちょきちょきと切っていった。




 雨利のスナックを貪る音と、少女の鋏を入れる音だけが、人気のなさすぎる車内に静謐と響く。俺はぼんやりと窓の外の景色を眺める。否が応でも二つの音は耳に入ってしまうので、まるで小さな森の音楽のように感じられた。
 少女は、電車に乗りあわせてからずっと、工作のような手遊みをしていた。鋏で紙を切る音や段ボールを丸める音が鳴りやまない。足元はすっかりアトリエのように散らかっている。クラフトショップで売っていそうな大きな糊のボトル、無色のプラ板、ぶっといワイヤーに専属のニッパ、果てははんだ付けセットなど。こんなところでなにをしているんだと思ったが、偶然乗りあわせただけの相手にそんなことを言う度胸はない。タイルシールをプラスチックからぺりぺり剥がしていく姿はその心境を察しているかのように堂々としていた。まるで俺たちなんて見えてないみたいだった。
「……次、どこだっけ?」
 時刻を確認すると、電車に乗ってから三十分ほどが経過していた。
「さっき水無月(みなづき)駅だったから、次は文月(ふみづき)だな」
 ちょうど次、文月。次、文月≠ニアナウンスが入った。
 目的地までまだ何駅もある。急行電車とはいえ道のりは遠い。
「スナック菓子のせいで口の中パサパサ」
 俺、全然食べてないんだけど。
 雨利は空になったスナック菓子の袋を乱雑に丸める。無彩の肌に合わず案外赤い舌で指についた粉を舐めとった。
 カクン、と体が傾く。視界に普段見ない自分の髪が映りこんだ。停車するためにブレーキをかけた車両は俺たちの慣性を奪っていく。
 糊のボトルがころころと転がっていくのが見えた。きっとあの少女の物だ。
 電車が止まると同時にそのボトルの勢いも壁に堰き止められる。バウンドするように反対方向へと転がっていった。
 そのボトルが、開いたドアから入ってきた人間の足により倒れこむ。
「…………それ」
 一瞬誰がしゃべったのかわからなかった。俺と雨利は声のあったほうへ顔を向ける。


  


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -