20


「……もしかして、お前も、叶えたい願いごとがあるってことか?」
「いーや、特にないね」
「だったら」
「強いて言うなら、」にっこりと、似つかわしくない笑顔を見せる。「答えあわせに不満が出てきたから、確かめたいってところかな」
 なんだよそれ。
 俺は呆れて声も出なかった。だらしなく肩の力が抜ける。呆然としている間にやつは自分の席に戻り、代わりに結川が目の前に座った。その目は雨利を追っている。意味深な文句が腑に落ちないのだろう。何度も瞬かせて首を傾げた。
「小テストの丸つけ、先生間違っちゃったのかな?」
 的外れなことを言う結川。俺はわけがわからなくて、ずるずると腰を浅く沈めていく。
「知らない」
 なにはともあれ。俺の計画は、めでたく決行となった。




 トイレで食べる弁当はすっぱい。だから俺は絶対にあんなところで食べない。
 一人でもくもくと弁当をかっ食らう俺は、教室の賑わいからは妙に浮いていた。みんなそれぞれ団子のように固まりグループを作るのに、俺だけは自分の席から動かずに昼をたいらげるのだ。もう慣れたことだった。
 腹が減っては戦はできぬ。昼食を食べてから事を行おうとしていた俺は、なるべく早く食べ終えようといつも以上の咀嚼速度を記録していた。雨利の不可解さの憂さ晴らしをしていたと言ってもいい。物見遊山か野次馬か。雨利が俺のなにに引っかかっているかは知らないが、一度惹かれた興味はなかなか薄れないようで、優柔に見えて頑なだった。わけがわからん。おかげで箸が進む。最後の一口を食べ終えた。
 ごちそうさまと弁当箱の蓋を閉じた。
 空になった弁当箱をカバンにしまいながら教室に視線を這わす。
 雨利はある男女のグループでババ抜きをしていた。しかもご飯はそっちのけ。
 本当にやる気あるのかと思った。
 一人で行ってしまいたいのは山々だけど、生憎俺は何時の電車に乗ればいいのかわからない。ついていくと宣言した雨利が暢気にしているのだからまだ余裕はあるのだろうが、いつ出るともわからない状況でただ待つだけというのは苦々しかった。
 悶々としていると教室のドアががらりと開かれる。顔を出したのは体育の先生だった。
「次の時間、男子も女子も第一体育館集合。女子の先生が出張で休んでるから」
「えー、じゃあコート反面ですか?」
「そうなるな」
「先生! だったらドッジボールしたいです!」
「はい却下」
 どうやら授業場所変更の知らせに来たらしい。
 先生の言葉が浸透した教室は、数秒後には元通りに戻っていった。
 結川のグループがドッジじゃなくてバドミントンしたいねと話しているのが聞こえる。楽しげにする結川と目が合って、俺は小さく頷いた。すると結川もこくんと頷く。口パクで体育楽しみだね≠ニ言ってきた。そうだな、とは返せなかった。
 ずるずると時間が過ぎていく。先に更衣室に行こうとする生徒が多くなり、教室の中身が減っていった。窓から射しこむ光と風にカーテンがひらめく。その波から逃げるように雨利が席を立った。
「更衣室に行くやつらに紛れて出るぞ」
 俺に近づき、口元に手を寄せて雨利は言った。その手には通学用カバンが下げられている。カバンの底のほうには、思いのほか魁偉な字で名前が書かれていた。そのあたりをじっと見つめる俺の目の前を雨利の手がぶんぶんと行き交う。
「聞いてんのか?」
 訝しげに顔を覗きこむ雨利。
 俺は視線を上げて、雨利の肩の奥にいる存在を見つめた。
 彼女は――結川は弁当箱を片づけていた。結川らしい水色のランチ袋に入れて、マジックテープで閉じている。それをカバンにしまったあとは着替えを持って更衣室に向かうはずだ。その前に、どうしても言っておきたい。
 結川が席に戻ってきたときに手招きをする。そんな呼び出すような距離でもなかったが、開けっ広げにしたいものでもなかった。首を傾げる結川は、俺と雨利を交互に見ていた。状況が掴めてないのだろう。俺は躊躇いがちに口を開いて、やっとのことで「あのさ」と告げる。
「ちょっと、言っておかなきゃいけないことがあるんだ」
「急用?」
「急用」
「内密?」
「内密」
 俺の様子からなにかを察したらしい結川は、律儀にもそんなことを尋ねてきた。それから友達何人かに振り向いて、先に更衣室に向かうよう声をかける。いつの間にか雨利も廊下に出ていた。教室は一気に静かになった。結川は俺の両手を握って勢いよくしゃがみこむ。それにつられた俺もきれいにしゃがみこんだ。机の群れの間に身を潜める俺たちは自分で言うのもなんだけどおかしかった。
「それで那贄くん。どうしたの?」
 手際よくお膳立てしてくれた結川はいつも挨拶をするときみたいな顔で言った。
 俺はなるべく簡潔に、言いたいことを伝える。
「ごめん。俺、お前と体育できない」
「えっ?」
 結川は素っ頓狂な声を上げた。俺はかまわずに続ける。
「それどころか、俺は今からすごく遠くへ行く。そこがどこなのかもわかんないくらい。どこかなのかはわかるけど、俺にはまだわからないところ」
「……えっと、今から?」
「そうだ」
「突然だね」
「そうでもない。実は、前から考えてた」
「どうしても行かなきゃいけないの?」
 返事はしなかったけど、きっと伝わったんだと思う。
 結川は開きっぱなしだった口をゆっくりと閉じていった。いろんな感情が混ざった目で俺を見ている。そこに、俺に対するマイナスの感情がありませんようにとひたすら願った。
「そっかあ……」結川はぼんやりと呟く。「寂しくなる」
「寂しい?」
「そりゃそうだよ」
 ちょっとむっとした声で言った。すぐに表情を変えて、覗きこむように俺を見る。
「遠くに行っても、お星さまになっても、私と友達でいてくれる?」
 そう言って両手をぎゅっと握る結川に、心が揺らいだ。


  


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