17


「ワオ」
 結川はまるで眠り姫みたいな顔ですやすや寝息を立てていた。寝顔の見れるやつなんて本当にいたのか。あまりの感動に見入っていると、まるで誰かにキスでもされたみたいにその瞼は開かれた。
「……おはよう」
 寝起きでふやけた声が俺へと呟かれる。さっきまで机に腕を組んで突っ伏していた結川に、俺も「おはよう」と返す。結川は何度が目をこすり、軽く伸びをした。しなやかな腕の先にある丸まった手が俺の机を小突く。そんなに固まってたのか。一体どれだけ寝ていたんだろう。
「どうしたんだ。お前が居眠りするなんて」
 俺はカバンを机の横にかけながら聞いた。
「昨日ちょっと夜ふかししちゃっただけ。今日も早朝会議があったから」
 早朝会議ってなんだ。
初めて聞いたぞ。
 俺の顔を見て心情を悟ったのか「学級委員だけだよー」と結川は返した。
「そんなのあったのか。知らなかった」
「一学期の最初のほうに言ってたよ。委員会決めのとき」
「会議ってなにしてたんだ?」
「校外学習の各施設へのお礼状。一度にたくさんの生徒が押し寄せるわけだからね。でもこういうことって生徒会や先生がやるものだと思ってた。まあ、生徒会だけに任せてたら大変そうだったけどさ」
「校外学習前にお礼状? 後日じゃダメなのかよ」
「校外学習前に送って、校外学習後にも送るの」
「うわ、めんどくさい」
 正直な感想を漏らすと結川は苦笑した。
 笑顔の輝きが薄い。いつもの元気がないように見える。
 まだ寝起きだからなのかもしれないけど、朝日に負けない弾けるような勢いが感じられないのは、俺にとっては心地よい大事件だ。目に見えるきらめきが飛び交わない生活はどうにも落ちつかなかった。
 俺はカバンの中で袋を開ける。ごちゃごちゃしたそれらのうち、結川っぽいのを選んだ。ごっそりと掴んで机の上に落とす。結川がいつも撒き散らしてるものよりもジャンプ力の弱い。バウンドもなく、ばらりと散らばっていった。
「お疲れ」
 寝起きが覚めたみたいな丸い目で固まった結川。数秒後、俺が撒いたキャンディーの群れに視線を落とす。淡い色のセロファンが呆然とする目に移りこんだ。
「飴……?」
「たまたま持ってた」
「持ってたって」
 結川はキャンディーを選ぶように手遊んだ。そのなかでピンク色のものを摘みあげる。
「珍しいね。こういうの持ってくるなんて」
「今日は特別」
「特別?」
「うん」俺は目を逸らした。「まあ」
 言おうか言わないか、逡巡、俺は結川に視線を戻せなくなる。
 こんなよくわからない反応をされても結川は困るだけだろうな。もしくは時々見せるじっとりした表情で俺を見ているかもしれない。
 妙な間が長続きしていたとき、視界の端に淡い光が映る。
 見慣れた凹十角形だった。
 次から次へと床へ転がっていくその様はまさしく異様だ。何事だと思って顔を上げる。
 おや。
 思いのほか緩い顔をした結川がいた。
「ありがとう」
 セロファンのひだを摘まんでキャンディーを振る結川。おもむろにそれを開けて口に放りこむ。渡したキャンディーを次々とカーディガンのポケットに詰めていく。ぱんぱんと叩くと甘くはにかんだ。
「こんな歌なかったっけ?」
「は?」
「えっと、ほら、ビスケットを叩くとポケットが二つ」
「そんな歌はない」
 俺がそう言うと結川は「あれー?」ともっと笑った。
 もうすぐ予鈴が鳴ろうかというタイミングで教室に雨利が入ってくる。荒っぽい背負いかたをしたカバンはそれなりに傷んでいた。規則性のないランダムな相手に挨拶をしていって、自分の席にトンと座った。前の席の男子の肩を叩いて振り向かせる。振り向いた男子も嫌な顔はせず普通に話していた。
 気づいたが、雨利は本当にいろんなやつと話をする。その交友関係には隔たりがなく、いい意味で散らかっていた。なのにコミュニケーション能力の高いイメージがないのは自分の持ち場みたいなものがないからかもしれない。雨利が話す相手は見るたびに違っていた。
 雨利は覚えているだろうか。
 俺が今日、願いを叶えに行くことを。
 まだ決定したことじゃないけど、あいつは知っている。あいつの目の前で宣誓をして、そしてあいつはそれを引きとめることはしなかった。どころか、後押しするのをほのめかすような言葉さえ吐いていたのだ。
 だけど、雨利はこっちを見ない。
 まあ、そうか。俺にかまってたのはちょっとした謎解きにハマっていたからだ。その謎は先週解けてしまったのだから、興味を失うのも無理はない。
 そう思うとやっぱり意識は萎んでいく。
 俺なんかが今日動いたところで、一体なにが変わるだろう。
「どうしたの?」
 結川は俺に聞く。俺はなにも言わずに首を振った。
「今日の五時間目って体育だったよな」
「そうだよ。女子はバスケ。男子は?」
「バレー」
「え、踊るの?」
「踊らないほう」
 両腕を高いところに持ってきて美しい楕円を描く結川に、俺は両腕を低いところに揃えて軽く跳ね上げてやった。その動作がツボに入ったのか、結川は唾みたく星を飛ばして軽やかに笑う。
 チクチクとそれを浴びながら、自分の身の振りかたなどについてよく考えてみていた。
 だから考えちゃダメなんだって。
 直感なんだって。




 三時間目になっても、俺の魂がその時を告げることはなかった。
 そんな馬鹿なことを考えられるくらいにはとりあえず平和だ。金曜日の決意が薄れていって、あのときの熱量は幻だったのではないかと錯覚すら起こしそうになる。
 授業が終わって休み時間。ちょうど空腹の影が胃袋に潜み始め、あと一時間我慢すれば昼休みといったころ。俺は机に突っ伏していた。


  


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