15


「悪い魔女がお姫様にかけるアレか?」
 雨利は楽しむように呟いた。その言葉に、俺もちょっとだけ表情を軽くする。
「命令に近いかもしれない。別にそうしろとかそうなれとか言われたわけじゃないけど、いつまでもこの枠の中におさまってなさいね、って可愛がられてるみたいで。俺も本能で従ったふしはある、気づいたら」
「で。その呪いっていうのは?」
「しょうがないなあ、亜莉は=v
 そう言うときの姉の顔はいつも優しげに綻んでいた。
 悪意も悪気もなにもない。純製の愛情と姉の使命がそこにはあった。
 ただしそれはあまりにも無邪気な暴虐で、屈辱や怒りを容易く生む。
「名前をからかわれて泣かされたとき。ちょっと転んで怪我をしたとき。勉強をサボったとき。教えてもらうとき。忘れ物をしたとき。苦手な食べ物がテーブルに並んだとき。ちょっと弱音を吐いたとき。自分の意見を言ったとき。何度も何度も言われた。しょうがないなって。優しかったけど、ダメだって否定されてるみたいで嫌だった。周りの反応も許せなかった。押しつけられたんだ。しょうがない役みたいなのを。気づいたら、呪いは完全に仕上がっていた。俺はしょうがないやつなんだって」
 ちょっとだけ、沈黙が続いた。俺は更なる言葉はないかと考えていたし、雨利も俺の言葉が続くのかどうか考えていたのかもしれない。
 その沈黙のあいだに授業開始のチャイムが鳴った。強く響いてはいたけど、俺たちに焦燥感はない。立ちあがりもしなかった。ただ長いチャイムが終わるのをお行儀よく待っている。
「春飼は、俺を軽蔑したと思う?」
 音の響きがやみ、静かになったあと、俺は現実的なことに目を向けた。
「しょうがないやつだなって?」
「それよりもっと悲惨かもしれない」
「知るかよ。本人に聞けば?」
「無茶言うな」
「ついさっき自分から爆弾発言したくせに」雨利は膝に肩肘をつき、顎を乗せる。「あのとき春飼姉多に言ったやつよりはまだ可愛げあると思うけど。あいつだってタップダンスで歓喜の歌弾いてくれるだろ」
「お前の言ってることのわけがわからなくなるときがある」
「ベートーベンだよ。あ、タップダンスじゃテンポ的におかしいか」
 いや、お前の頭がおかしいと思う。
 俺はのそりと立ちあがった。体が少し固まっていたから伸びをする。今の時刻はわからないけど授業に遅刻しているのはチャイムが鳴ったことから明らかだった。
「そろそろ帰ろう。結川が心配する」
 あんな恥を掻いた手前、教室に戻るのは億劫だった。どうせならこのまま休みたいくらいで、けれどそうも言ってられない。
「そこは春飼姉多じゃないのかよ」
「結川以上に俺を心配するやつがあの教室にいると思えない」
「知ってるか。あの結川花ろんがお前と友達やってるのがこの学校の七不思議の一つとして認定されたらしいぞ」
「知るか」
 俺たちは徒歩のスピードで教室のある校舎へと帰っていた。歩調は内心に忠実だ。雨利の歩くスピードまで緩いのは、もう今さら焦ってもどうにもならないのだからサボれるだけサボってしまおうと、ものぐさ心が働いたせいだろう。
 お互いを見ずに会話が生まれる。
 話の焦点は他愛もないものだった。
「みんな好きだよな。七不思議とか」
「最近じゃあ変な都市伝説まで流行ってるしな」
「都市伝説?」
 他愛もない。けれど、そのときはやっときたのだ。
「知らない? MSCの」
「ああ……なんか最近よく耳にする。詳しくは知らないけど」
「その都市伝説、はじめて聞いたときはそりゃもういかにも眉唾物ってかんじだったんだが、内容はけっこう面白い」
 そんなに熱の入った声音ではなかったが、雨利が本心からそう言っていることはわかる。誰もが口に出すほどだし、それほど心をくすぐられる内容なのかもしれない。
「へえ、どんな?」
「聞いて驚け」雨利はクツクツと笑った。「その名もロケット・ブルーバード号=v
 いろんな意味で驚いたが、雨利は演説みたいな特徴的な口調で続ける。
「MSCってさ、よく打ち上げやってるだろ? また新しいの打ち上げるみたいだし。で、ブルーバード号っていうのはロケットの名前なんだけど、詳しくは知らない。一般人でも飛びたてる市民ロケットをMSCが作ったんだとか」
「市民ロケット……」
 そこで俺は数日前に見た空を駆ける輝きの尾を思い出した。
 飛び散るような音。
 謎の飛翔物体。
 記憶の中にあるその光景は眩しかった。
 ほとんどの人間が見ていなかったけど、俺は知っている。そしてそれこそが都市伝説のロケット≠ナあるような気がした。
「おっ。興味湧いてきたか? それが青咫畝にあるんだと。なんでも、一週間に一本しか出ないとかいう急行列車に乗って終点まで行くんだ。その駅は普通に存在してるんだけど、普段動いてる電車じゃどうやってもそこに止まらないようになってるらしい。その駅に着いてすぐ、ブルーバード号はあるって話だ」
 その駅はなんとなく心当たりがある。路線図にはあるのにそこに向かう電車がないとか、電車通勤している父親がかなり前に漏らしていた。
「んで、ここからがロマンチックアドベンチャー」雨利はひっそりと笑んで俺の顔を覗きこむ。「ただMSCがロケット作ってるって話だけで、いまをときめく都市伝説になんかなったりはしないだろう?」
 年がら年中スペースシャトル飛ばしたりしている会社なのだ。雨利の言う市民ロケットの話だけでは噂になるにはファンタジーが足りない。焦らす雨利を見るかぎり、旨味はもっと別にある。
 雨利は廊下の真ん中で立ち止まった。溜めるように数拍置く。なんだか演技くさく感じてきたところで、狙っていたように口を開いた。
「そのロケットに乗ると――願いが叶うらしい」
 六十点かな。
 俺は都市伝説にそんな評価を下した。
 確かに興味深かったし、手を伸ばせる摩訶不思議としては上出来だった。なんてったって題材は青咫畝に馴染み深い宇宙産業MSC――身近にある現実にスパイスを落としこんだようなものなのだ。信憑性どうの以前に好奇心をくすぐられる。矮小な噂話がまことしやかに囁かれているのもそういう要因があってこそだろう。
 しかし都市伝説として人気を博すには願いが叶う≠ニいうオチはありきたりだった。せっかくロケットに乗るところまではユーモラスだったのだから、最後までそのまま突っ走ってほしかった。


  


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