13


「で、那贄」話が流れそうになったことから春飼は催促するように言った。「あれで本当によかったの?」
「……俺は別にいいけど」
「でも那贄の行きたいところとか全然聞いてないし」
「いいんだよ俺は。どこでもいいから」
 だからどこへなりとて連れてってください。
 俺は本心からだった。校外学習なんて、高校三年間において小さな一日でしかない学校行事、ちょっと居心地の悪さに耐えればあっという間に終わる。無理にメンバー同士意見を尊重しあって、変に気遣ったり気遣われたり、空気を読んだり嗜んだり、そんなギクシャクしたままごとみたいなことしなくてもいいのだ。
 そりゃあ学級委員でもあり俺をグループに誘った張本人でもある春飼はそんな気楽にはいられないかもしれないけど、俺みたいなやつを抱えこむ苦労を細々した仕事で増やさなくてもいいだろうに。周りから信頼されてるとこういうことまで任されるのか。本当に大変なやつだ。
「じゃあせめて、チェックポイントに着いてからのプランニングは那贄の意向を尊重させてほしい。遠慮ばかりされてると僕らとしても悪いよ」
「遠慮なんてしてない」
「してる」
 表情は無に近いけどその眼差しは雄弁だ。はっきりとした言いかたも、俺を追いつめるみたいだった。
「…………いや、だって、悪いし」
「なにが?」
 本当にわかってないのか、春飼の問いかけは軽快だった。迷いとか躊躇いの重みが一切ない。俺だって、普段ならこんなこと言わなかったかもしれない。それだけの自制心やマナーはちゃんと持ち合わせているつもりだ、けど、今日にかぎって饒舌だった俺は、まるで唆すみたいにぺろりと、その言葉を吐く。
「俺と校外学習でおんなじグループとか嫌だなって、お前も思っただろ?」
 口に出せば、思ったよりも不謹慎な姿をしていた。冗談めかすみたいに言ったつもりだったのに笑いの声はちょっとも入らない。笑いどころか返事さえもだ。表情からじゃ心境は読めない。春飼はただ俺を見ていた。
 ちょっと考えこむみたいな数秒間。春飼はぼんやりと目を細めて口を開く。
「うん、たった今、思った」
 ひっかかれてもないのに、ひっかかれたような感覚がした。
 まずい。
 これは、まずい。
「この、いまのクラスになって半年以上経ってる。だいぶ慣れてきた。もうクラスメイトの顔と名前はわかるようになったし、話したことないやつなんて一人もいない。那贄とも話したことある。授業中のグループディスカッションとか、班掃除のときに何度か。あんまり親しくないけど別に嫌いなわけじゃない。でも――そういうこと聞いてくるやつは、嫌だと思った」
 事故。
 爆発しそうなほど紅潮する。首から上が何時間も灯していた電球みたいになった気分。真っ白だ。感じているのになにもわからない。廊下に浸透していた雑踏が遠のいていく。一瞬で体中を這った熱だけがやたらと煩い。多分、遠のいたのは音だけじゃない。お情けみたいな距離もだ。視界を独占してる相手の顔を見れない。だけどどこを見ればいいかもわからない。いつもどこを見てたんだっけ。さっき誰かが教えてくれてただろ。
 熱湯を浴びせられた。さむいからって。自業自得の味がする。
 俺はどんな顔をしてるんだろう。このあとをどうやって取り繕おう。ていうかどんな話をしてたんだよ。なんでこんなことになったんだよ。
 一瞬がうんざりするほど濃密だ。でもそう感じているのはきっと俺だけで。他にもきっと、この胸でどんどん膨れていくどす黒いやつも、俺だけのもの。こんなのいらないって。持ちたくないんだよって。ずっとそう思ってたのに。結局ずっと持たされたまま、鎖で縛りつけられている。あんまりだよ。今日は呪われてなかったのに。いいことどころか、とんでもない。

 俺、いま、どんな恥ずかしいこと言ったんだ?

「那贄……?」
 春飼の声から逃げるように俺はその場を去った。顔を上げられなくて前を向いていなかったから途中で何人もの人間とぶつかった。走っていたから謝れなかった。ごりって削られていく。心みたいなもの。案外繊細だ。大切に扱わなきゃいけないんだ。じゃないと今にも死んでしまう。泥だらけのまま。
 とにかく、とにかく、今は誰にも会いたくない。
 こんな自分、誰にも見られたくない。
 走りながら全身全霊で屈辱する。吐く息ごと千切れてしまいそうだ。最低最悪の気分だった。なんでこんな思いをしなきゃいけないんだ。思い出すのも恥ずかしい。身悶えに襲われて思わず喘いでしまう。
 絶対、卑屈なやつだって思われた。そして実際卑屈で、勘違いで、呪いだ。
 那贄亜莉、お前は本当にしょうがないやつだ。しょうがない、しょうがない――本当にしょうがない――しょうがないしょうがないしょうがないしょうがない、しょうがない!
 気づいたら俺は人気のない校舎の裏にいた。
 薄い色の壁面に銀灰色の影が落ちて、地面の色も濃さを増している。
 呼吸と同じ速さで木々が揺れるのはどちらの刻みが速いのか。
 もうなにも知らない。
 俺は壁に凭れて膝を抱えていた。
 ここは、休み時間のくせに驚くほど静かだった。心が穏やかなときにはのどかだと思えるような空間。ちょうど図書館の影になっているから滅多なことがないと人なんて通らない。だからどこかで聞こえた足音も、すぐに別の場所へと逸れるものだと思っていた。
「おい」
 近づいてきた足音が誰かの声に変わる。不躾なタイミングだった。
「おいって」
 その声に対する返事はどこからも上がらない。うずくまる前に見た感触でも、この付近に俺以外の人間がいるとは思えなかった。となるとこの声は俺に向けられているということになる。
 ちょっと荒っぽい「おいってば」の声で、俺は顔を上げた。
「あ、泣いてない」
「……泣くかよ、ばあか」
「泣きそうな顔してんぞ、ばあか」
 同じ目線になるまでしゃがんで顔を覗きこんでいたのは雨利だった。
 どうやら春飼を置いて俺を追いかけてきたらしい。その虹彩は気がかりげなブルー。ちらりちらりと、光の具合で色を変えてもその気色に戻ってくる。瞳以外には優しさは見受けられない。少なくとも、今の俺を放っておくという気遣いをするつもりは毛頭ないようだった。
「もうすぐ授業始まるぞ」
 一番最初にいきなり話しかけてきたときみたいな臆面もない態度だった。追いかけてきた理由だって、きっと大したことない。


  


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