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「そんな結川花ろんちゃんと亜莉がねえ。なんだか微笑ましいや」
「……言っとくけど、亜羽ちゃんが考えてるような仲じゃ絶対にないよ」
「あれ? 私まだなにも言ってないんだけど」
「言わなくてもわかる」
 その締まりのない顔でわかる。
 大方相談ならのるよ!≠ネんて言ってお姉ちゃん風を吹かせたかったんだろう。この姉は俺を実年齢よりも幼く見がちだから。しかし生憎と俺には胸をときめかす相手も姉に相談する気もさらさらない。
「えー、でも、本当に? 本当になんでもないの?」
 しつこいな。
 俺は唇をむっと噛みしめた。
 姉がそんな目で疑いをかけるたび、だんだんと結川が汚されるような気になってくる。あの温かな生き物を汚すことはいくらなんでも許さない。目の前でへらへらと笑う姉に、俺の心は脂みたいななにかに塗れていく。重い。急に負荷をかけられて血管は狭まっていく。血の巡りが悪くなったおかげで感情は胸の真ん中に堆積したままだ。
 気持ち悪い。洗い流したい。
「お風呂、入ってくる」
「うーん」
 姉は返事をすると鼻唄を歌いながら自分の部屋へと戻っていく。裸足のおかげでぺたぺたと足音が鳴っていた。まだ髪が濡れていたせいか、廊下には小さな滴が落ちている。乾かしてから来てほしかった。
「あ、そういえばさ」ちょっとだけ振り向いた姉は部屋を出ようとしていた俺に言う。「亜莉も見た? 今日ね、なんか変な音聞こえて空にぶおおってよくわかんないものが上がってったんだ。もしかしてあの都市伝説のロケットかもね」
「知らない」
 二重の意味での言葉だった。
 片方は嘘で、片方は本当だ。
 そういえば結川も都市伝説がなんとかロケットがどうの言っていたような気もする。ていうかまず間違いなく言ってた。なんやかんやでタイミングを逃して詳しい話は聞きそびれたけど。
 そっか、という声も聞こえないうちに、俺は部屋を出て風呂場へと向かった。




 その日、俺と姉は一緒に学校には行かなかった。俺が起きるよりも先に家を出てしまったのだ。なんでもクラスで朝の勉強会をすることになったらしく、推薦もなにもなしに普通に試験を受ける受験生としては、是非とも参加しようと志したようだった。クラスで勉強会なんてどんなナカヨシコヨシだ。大人数で朝早くに集まっても、どうせ駄弁って終わりだろうに。
 久々にお殿様のような時間帯に起床し家を出る権利を得た俺は、親の亜羽がいないからってちゃんとしなさいよ≠ニいう侮辱にひれ伏すことなく時間ギリギリまで家にいてやった。
 いつもなら玄関から聞こえる催促の声が今日は響かない。最高だ。
 しみじみとした思いで靴を履き、俺は家を出る。
 眩しい朝日さえ目に入れても痛くなかった。慣れた通学路だって、隣に姉がいないだけでこんなに新鮮に感じるなんて。よくよく考えれば毎朝一緒に登校するのが日課になっていたのだ。一人でここを歩くのは初めてのことのように思う。体がムズムズしてきた。
 朝から自尊心を傷つけられることも、呪いに苛まれることもない。
 なんてパラダイスだ。
 今日はもしかしたら、なにかいいことがあるかもしれない。
 すっかり浮かれ調子になった俺はそのままの調子で学校まで歩き続けた。遅刻気味の生徒しかいない時間帯。小走りで教室に向かうやつらを尻目に悠々と靴を履き替える。
 気分足取りは軽かった。教室に入ったとき、すでに席に着いていた結川がギョッとしたくらいだ。その顔がおかしくて心中で笑ってしまう。俺はカバンを机の横にかけて、席につく。
「おはよう」
 俺が挨拶をすると結川はさらに顔を面白くさせた。綺麗な顔がびっくりするくらいおかしなことになってる。それと同時に、爆発するみたく噴きだした星が天井にザクザク突き刺さっていった。周りにいた何人かが驚いて顔が鳩になったり雷に撃たれたりした。朝っぱらから暴走する結川に「どうしたんだよ……」と俺は尋ねる。
「今日は雷が落ちるかもしれない」
「さっき落ちてたぞ」
「那贄くんが、機嫌がいい」
「そんなことで?」
「私よりも先におはようって言うくらい機嫌がいい!」
「本当にそんなことで?」
 両手を頬にぺちんと添えて声を上げた結川。
 なにをトンチンカンなことを。
「えっ、大丈夫? むしろなにかあったの?」
「あったといえばあったけど、正確にはなかったんだよ」
「なにが?」
「呪いが」
「呪い?」
「もしかしたら俺は今日一日無敵かもしれない」
 結川は心配そうに俺の額に手を置いた。俺は「熱じゃない」とカーディガン越しの手首を掴む。不信げな表情ですごすごと華奢な手が額から離れていく。せっかく握らせてもらったので、俺は結川の手首を悲鳴が上がるまで強く掴み締めた。その報復と言わんばかりに頭に星がちくりと刺さる。
「……那贄くんのテンションが妙に高いのはわかったよ」
「おう」俺は頭から痛みを払いのける。「そりゃよかった」
「もしかして、お姉さんとなにか関係あったりする?」
 そう言いながら、結川は捕まえられてた手をするすると抜けて、自分の手と重ねる。いや、構える。腕相撲のポージングになった。
「する」
 なんて無謀な、と思いながら、俺はその挑戦を受けた。男女の力の差をわかっていながら挑むその漢気には感服するが筋力が意志に追いついていない。結川の腕は簡単に傾いた。
「ヒントは二つだね。なにかあったといえばあって正確にはない。那贄くんのお姉さんが絡んでる」
「別に問題を出してるつもりはないんだけど」
「まあまあそんなこと言わず、にっ」
 結川の腕が体勢を立て直してきた。なかなかやる。瞬発力はあった。しかし腕相撲は相撲と言うからに力業がメインの競技なのだ。俺はすぐに優勢へと持ちこむ。
「答えわかっても拍子抜けする程度のことだと思うぞ。やめない?」
「それはそれでちょっと悔しい」
 もっと悔しいことしてやろうか。
 俺はグンッと引っ張りこむように結川の腕を押し倒した。途中で力を緩めたけど、流石に無に還すことはできないようで、それなりの勢いで結川の手の甲は机へと叩きつけられる。俺の勝利だった。
「結川、お前って全然力ないよね」
「ある理由で封印されてるんですー」
 柔らかい手を軽くにぎにぎと揉んで言うと、結川は拗ねたように唇を尖らせた。
「で、答えはわかった?」
「わかんないや」
 お互いにするりと手を離す。結川は机の下に手を引っこめて俺に見えないようにしていたけど、多分手の甲を摩っているんだと思う。ちょっと申し訳なかった。


  


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