10


 結川は起き上がって「どうしたの?」と言った。俺は首を振ってなんでもないと答える。
 そんなとき、窓の外からピュオオオオオオオオオという音が聞こえてきた。
風のようで、でもそれよりもずっと力強い。遠くから聞こえる音だ。超音波の類だろうか。それにしては音の伸びが執拗だ。まるで聞いたこともないクジラの鳴き声みたいで、 全速力で軽やかに上空へと響いている。
 思わず窓の外を見つめる。遠くの空を、鮮やかな尾を引く花火みたいななにかがものすごい速さで駆け上がっていくのが見えた。
 なんだあれ。
 誰に聞けばいいのかもわからない。正体不明の飛翔物体。談笑している周りは気づかない。運がいいのか悪いのか。見ていたのは俺と、あと窓の外を眺めているようにも見える雨利。結川も気づいた。ぼんやりとした声で「もしかしてロケット?」と呟く。
 ロケット?
 俺は結川の言葉を頭の中で反芻させる。疑問として声にしていないから、もちろん答えは出てこない。結川が知っているくらいだから一般常識なのかもしれない。それ以前に、よくよく考えてみれば、この青咫畝の空を鉄の塊が飛ぶことなんて、ひどく日常茶飯事だ。
 音の魅せ場は来なかった。輝きと煙の尾は途中で消える。彩度の高い火花を散らすこともなく、ただパラパラと剥奪されるように塵みたいななにかが落ちていく。
 つまんないものを見たな。感動もなにもありゃしない。何物なのかはわからず終いだけど、もう今さら。こんなしょうもないものを見たのは初めてだ。
 興味を失くした俺は視線を元に戻す。結川ももう窓の外など見ていなかった。肘をつき両手の平に顎を乗せて、ぽこぽこと星を量産している。
「さっきまでなんの話してたっけ?」
 結川は首を傾げた。その拍子に流れ星が起きて、俺の机にバウンドする。スーパーボールみたいにあっちこっちへと逃げ回って、すぐに足元へと落ちていった。




「亜莉。お風呂あがったから、亜莉も入ってきなよ」
 姉は俺の部屋に入るときノックをしない。勝手に部屋のドアを開けて、用件を俺に投げかけるのだ。
 晩ごはんもデザートの杏仁豆腐も済ませ、部屋でごろりとしていた俺に姉の声が襲いかかった。なにをしていたわけじゃないけど、もう少しこうしてゆっくりしていたかった。顔は不満だらけ。きっとこれは反骨精神なのだろう。反骨精神。あの那贄亜羽に対して使うなんて、思い上がりも甚だしい。今晩の俺は自虐ネタが冴えていた。
「あー、うん」
「早く入って寝ないとまた遅刻するよ」
「わかってる」
「もう、本当にわかってるの?」
 わかってるよ。第一、俺、遅刻したことないんですけど。
「本当。わかってるって」
 俺がベッドからのそりと起き上がると、やっと満足したような表情をする姉。ドアの縁に体を預けて顔を覗きこむような体勢をとる。乾かしていない髪が重たげに肩を落ちた。
「今日学校で亜莉のこと見かけたよ」
「朝一緒に行ってるじゃん」
「そうじゃなくって。移動授業のとき、たまたま教室を通りかかって見かけたの。かわいい女の子と話してたね」
 ちょっとだけにまにま緩んだ頬と意味ありげな声音。
なに探ってんだと思いながら「多分それ結川」と返した。
「結川? ああ、あの子が」
「は? 亜羽ちゃん知ってんの?」
「三年でも有名だよ。結川花ろんちゃんだよね? 亜莉が入学してきた年の四月なんてあの子のことでもちきりだったし」
なんと。天下の結川様ともなれば噂の広まり具合も抜群だった。流石にもちきり≠ヘ言いすぎにしても、多学年の人間にまで名前を知られているくらいなのだから話題性は相当だったに違いない。性格だって難点も特にないのだから、そりゃ時のひとともなるだろう。


  


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -