ツァドキエルの目覚め(2/6)




「なんだ? 集団脱獄か!?」
「地雷にしては爆破数の衝撃が大きすぎる。おまけに爆音は一回ぽっきりだ。たった一つの爆発で建物が振動するくらいの地雷はうちに埋まってねえですよ」
 ジャックとセベクは更衣室を出る。廊下の先からはざわめきが響いていて、やはり混乱状態だった。ジャックは適当な下っ端を掴まえて事の詳細を聞いたが、誰もこの状況の理由づけをできないらしい。なにが起きたのか理解していなかった。ただ見た限りの違和感はどこにもなかった。少なくとも自分たちのいる箇所は無傷である。あれほど大仰な轟音が鳴り響いたのに平穏そのものである。
 ジャックは怪訝な表情で一歩踏み出す。そこで少しよろめいた。
「……は?」
 ジャックの呟きに、集まっていたアンプロワイエたちの何人かが顔を向ける。セベクも「ジャック?」と呟くように問いかけた。
「……傾いてる」
「なにが」
「わずかだが、建物が傾いてる」
 ジャックは持っていた梨を床に落とす。床に落ちた梨は小さく転げまわり、静止したかと思うとみすぼらしく二度ほど小さく倒れた。自重の安定を勝ち得た梨はその場でぴたりと止まる。ジャックの足元から3メートルほども離れたところだった。
 セベクは口元をひくつかせる。
「さっきは……あれはなんだ」混乱の目で言った。「俺たちになにをしやがった!」
 そこへ廊下の奥から一人のアンプロワイエが現れる。野次馬かと思えばそうではないらしい。ただならぬ様子で「大変だ!」と叫んだ。
「収容所が、攻撃された、建物の一部は大きく損傷して倒壊した箇所もある!」
「相手は?」
「不明!」
 そこでもうひとたび場がざわめいた。
 震動。攻撃された収容所。敵は不明で未知数。ほのかな恐怖が神経を撫でる状況。
 しかしそこで一人だけ、ジャック一人だけは、この状況に目処をつけていた。
 こんなことをしでかしそうなやつは、思い当たるかぎり、あの男しかいない。


“イヴ”


 厚さ50センチの鉄筋コンクリート七枚を重ねた壁面に時速850キロで追突撃した《The Three Muskteers》は、見事に収容所を食い破り、機体の前半分を斜めに減りこませるまでに至った。建物に顔を突っこむのだから出入り口付近を壁で閉じこめられないか心配だったが、幸運にもイヴと卑弥呼が降りたったのは収容所の上階廊下部分だった。衝撃で光学迷彩の解けかけた飛行戦艦から砕片を踏みわけるようにして出る。緊急用のミストスプリンクラーで落ち着いた砂埃を肩で掻き、卑弥呼は呆れたように言う。
「なんだそれ」
 清廉そうに碧い梨を片手に持ったイヴが少しだけ振り向いて返答する。
「オズワルドへの土産だ」
 いかにも落ち着いた顔をしている男から放たれる言葉としては、随分とおまぬけな類のものだった。イヴはあたりを見回しながら梨をポンと真上に上げる。一つ銃声が鳴ったかと思うと、梨はイヴの手に戻ることはなく、その少し斜め後ろの足元に不器用に転がった。三メートルは飛んだだろう。果皮と果肉を劈いたのはピストルの銃弾だった。イヴはそれを蹴って転がす。
「拾わねえのかよ」
「流石のオズワルドも鉛玉は食えないだろうな」
「オレマン!」十数メートル先でピストルを構えたアンプロワイエが叫んだ。「おっ、お前たちは何者だ!? なにが目的だ!?」
 イヴは卑弥呼に預けたダレスバッグの中身を思い出す。催眠ガス、オズワルドのエアライフルと弾。ズボンのポケットにはバタフライナイフがあるものの、今の状況を打開するにはちゃちすぎる。
 イヴは卑弥呼の腕を引いて戦艦内へ戻った。驚きに眼を見開かせる卑弥呼をよそに、イヴは戦艦出入り口付近の壁に身を潜める。イヴの動きを見て「待て!」と駆け寄ってきたアンプロワイエに、イヴは淡白な声で言い放った。
「待たない」
 爆撃――戦艦側面から自動速射砲の弾丸がアンプロワイエ方に飛んでいった。嵐のような音が鳴り響くのを呆然と聞きながら、卑弥呼はイヴの左手に気づく。
 出入り口の真横にある操作用ボタンの一つを押していた。おそらく戦艦のボディーにある速射砲用のコントローラーなのだろう。
 数秒後にやんだ銃撃の後、イヴは猫のようにしなやかな動作で再び廊下に降りた。対面の壁は穴だらけで立ち向かう者は一人もいない。
「行くぞ」
 目配せもすることなくイヴは走り出した。卑弥呼もそのあとをついていく。
「オズワルドを囲ってたとかいう部屋か?」
「まずはな。現在地のおよその目処は立っている。問題は見つからずにどうやって辿りつくかだ」
「一旦トイレにでも逃げこんだらどうだ? しばらくはあのデカいクジラにみんな目が行くだろ」
「お前の発想はオズワルドとよく似ているな」
 イヴは苦笑交じりに言った。卑弥呼は小喧しく反論をした。
 予想通り人の多くなってきたところをトイレに逃げこんで回避する。しかし、いつまでもその場には留まっていられないので、目的地までの道のりは催眠ガスを小出しにすることでなんとか乗り切った。
「このままで凌げるんじゃねえの?」
「それはないな。いまなんとかなっているのは上層……精鋭の人間と出くわさないからだ。お前も見ただろうが、精鋭にはラム・アルムという武器が渡される。あれを乗り切るのは至難の業だぞ」
「もしかしてああいうのか?」
 右の角からゆらりと姿を現した男を卑弥呼は顎で指す。
「あんなのだ」
 頷いたイヴは内心驚いていた。その男には見覚えがあったのだ。たった一瞬見ただけだったが覚えている。間違いない。純銅製のラム・アルムを掲げるやつれた顔の男。かつてセレナータを蝕んだ《ハンバート・ハンバート》そのひとだ。





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