嫌う赤(2/6)




 卑弥呼が仲間になってから数日が経つ。コンドミニアムをそのままホテルにした宿泊施設を、三人は居住のベースにしていた。レットマンチェスを縦断する国道付近にあるこのホテルは、フロントが無人であり、機械式の精算機に支払いをするだけでよかったので、指名手配書が出回っているいまでも簡単に泊まることができた。
 思っていた以上に卑弥呼には人間的な生活能力が備わっていて、掃除、洗濯、炊事は基本的に彼が主導していた。オズワルドが洋服洗剤を如雨露で水やりするように投入していたとき烈火のごとく怒っていたのはまだ記憶に新しい。食材さえ揃えればある程度の食事を作ってくれるし、卑弥呼がふるまった料理のなかでオズワルドの舌が拒絶を覚えたのは、一番最初に食べさせられたオートミールとウナギのゼリー寄せくらいのものだ。今日の昼食はハギスという羊の内臓料理。黒茶けた塊を口に入れた途端、オズワルドは「オウムの餌!」と絶叫して水を飲み干した。どうやら嫌いなメニューが増えたらしい。イヴは淡々とした顔でハギスを口に入れた。
「……あいつ、またパジャマを脱ぎっ放しにしてやがる」
 皿洗いの終えた卑弥呼がソファーの上で脱ぎ散らかされているペパーミントのパジャマを見て顔を顰めた。パジャマの主であるオズワルドは洗面台で髪を整えているころだろう。いつもなら本人に片づけさせるが午後からは予定もあることだし、しなければいけないことは早急に済ませてしまいたかったのだろう。卑弥呼は「しょうがねえな」と言いながらそのパジャマを拾いあげた。ぞろりと落とした。
「どうした? 卑弥呼」
 イヴは卑弥呼に尋ねる。卑弥呼は固まっていた。それから数秒後、そのソファーから離れて「悪い、これ頼む」と言ってキッチンに戻っていった。どうしたことかとイヴはソファーに近づきパジャマを拾いあげる。まだほのかに温かかった。イヴは黙ったまま卑弥呼を見つめる。あの男の純情は激しすぎると思った。
「ねえねえ、早く行こうよ」
 洗面台から戻ってきたオズワルドがそう告げる。イヴは賑わいを見せはじめた鮮やかな景色を窓から見下ろした。
 初夏の爽やかな昼下がり、今日はオズワルドの要望で午後からは薔薇祭りに行く予定だった。国花である薔薇が開花するこの時期に行われる祭りで、街中が薔薇で溢れかえるカーニバルだ。輝く赤、柔らかいオレンジ、温かなピンクに透ける白、彩り豊かな薔薇たちがあちらこちらで咲き誇っていて、その日一日は花の香りが絶えることがない。薔薇以外の花々も花売り用の大バケツに飾られ地べたや窓で犇めいている。蒼薔薇、ヒマワリ、アネモネの花盛り。軒下やビルを巡るように旗や蔓が伸び、ローズオイル用の薔薇が吹雪のように舞い散っている。日の入りが七時または八時を過ぎるため、その時間までは人と花で賑わい、通りはグレート・ハイランド・バグパイプの長列で特徴的な陽音階が奏でる音色が四六時中耳に入ってくる。
 指名手配書が出回っているこんなときに薔薇祭りなんぞに参加できるか、というのが卑弥呼の反論だったが、人の溢れる薔薇祭りなら誰が誰かわからないのでむしろ上手く隠れられるというのがオズワルドの弁論だった。確かに盛大なカーニバルのため警備は強化しているだろうが、オズワルドの言う通り人が多すぎるため上手くさばききれていないのが毎年の現状だ。それどころか、警備のオールドビルまで花冠を被りながらエールを飲む始末だし、羽目を外す絶好の機会を逃さない者も多い。結果、卑弥呼は折れ、薔薇祭りを楽しむべく三人も部屋から出ることとなった。
「わあ、綺麗だね」
「俺も薔薇祭りは久しぶりに来たな」
 擽るような甘い香りが漂う華やかな街に、感嘆の溜息を漏らした。オズワルドを先頭にするように三人は通りを巡る。吹雪く薔薇の花びらを踏みしめながら、メインストリートを歩いていた。
 空の透き通った青い影を浴びて街頭や塀の外へと枝垂れるウィステリア、石壁に溶けあうハンギングやエルダーフラワー。どれも声にならないほど美しい。花々と同じ割合で露店や人が賑わっていた。バグパイプと規律のある行進音が囀るように突き抜ける。シロップをソーダで割ったものに薔薇の花びらを浮かべた飲み物を、オズワルドは興奮気味に味わった。散々渋っていた卑弥呼にしてもショウガを砂糖で煮詰めたディップや薔薇と苺のジャムを「高い!」と言って値切りながら購入している。満更でもなさそうだ。おかげで薔薇のペイントをされた紙袋いっぱいに食材や調味料が犇めいていた。それを抱える卑弥呼もバグパイプに合わせて鼻唄を歌っている。
「かなり仕入れたな」
「今夜は林檎の粥とニシンのパイのローズ風味だ」
「金は大丈夫か?」
「イヴが組み立てた食費の枠を出てねえよ。安心しろ」
 それを聞いてイヴは苦笑しながら頷いた。
 卑弥呼が仲間になってからというもの、金欠だったイヴとオズワルドに特別な収入が入るようになった。それは卑弥呼の占いだ。路端に占い屋を構えれば食事代を稼ぎ、ひとたび呟けば落し物の財布を広い、ドッグレースでは見事一等を引き当てる。これ以上ない稼ぎ頭だった。おかげでホテルに部屋を借りることも出来たし食事にも余裕を持てた。ほぼ毎日梨を食べれるようになったことに、オズワルドは終始にこにこしていたものだ。
「あっちにペア・ピールの薔薇酒漬けがあるわ」
「そうか」
「あるわ」
「そうか」
「あるのよ」
「そうか」
「食べたいな」
「さっさと買ってこいよバーカ」
 卑弥呼は持っていた財布をオズワルドにパスする。イヴが最初危惧したよりは二人とも仲良くやっているようだった。卑弥呼も妙なところでオズワルドと同じくらい子供だし、そして年相応に他人と自分を合わせるすべを知っている。頑固で偏屈なところもあるがわかりやすい性格をしているから付き合いもしやすい部類に入る。イヴとしては新たな仲間が相応しく動いてくれているようで気が楽だった。
 他に、卑弥呼が来て変わったことといえば、合言葉制が導入されたことだろうか。アンプロワイエやオールドビルの取り締まりが厳しくなったことを考慮し、ホテルの部屋に戻るときや人口密度の高い場所にいるタイミング――今日のような参加者や観光客の多い祭りなど――ではぐれたときは、合言葉を用いて互いを確認するようにしている。
「Is it nowhere?(どこにもいない?)」
「I'm now here!(私はここだよ)」
 文法がおかしい、という指摘は存在しないどこかへ飲みこんだ。イヴと自分の分のローズヒップ・パンを買った卑弥呼と、ペア・ピールを啄んで戻ってきたオズワルドが、淡々と言葉を交わすのを、イヴは微妙そうな顔で眺めていた。





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