嫌う赤(3/6)




「このあとはどうする?」
「あたし四時からあるっていう花合戦が気になるわ」
「卑弥呼は?」
「食材はあらかた買えたし、俺はもういい」
「となると四時まで時間をどう潰すかだな。俺も一通り見て回ったし、特に見たいものはないんだが……」
「じゃああたし、あそこに行きたいな」オズワルドはイヴを見上げる。「お花の雑貨屋さん。さっき通った裏にあった」
 卑弥呼はそれに眉を濁らせた。怒っているというよりは、呆れているらしい。
「それって生花の雑貨だろ? 明日にはもう変色してるぜ?」
「だから?」
「だからってお前なあ」
 オズワルドが言っているのは本物の花を髪飾りや小物にしたお祭り限定品の雑貨屋のことだった。カーニバルの雰囲気を味わうためだけのものだから、今日を限りに二度と使えないものが多い、卑弥呼にとってはコストパフォーマンスの悪い品物だった。それはイヴも同じらしく、困ったふうというよりは不思議そうに、不思議そうというよりは興味深そうに、オズワルドを見つめ返していた。
「お前にもそういう女の子らしいところがあったんだな」
「んま、失礼しちゃうわ。あたしだってもうレディーなのよ?」
「レディーか」
「ええ」
「レディーか」
「ええ」
 無邪気に何度も頷くオズワルドにイヴは笑い返す。薔薇祭りに行きたいと言い出したのも彼女だった。今日くらいはこういう我が儘も大目に見てやることにした。
 タータンチェックのキルトを穿いたバグパイプの演奏隊を通りすぎる。薔薇のレースがあしらわれたカンブリックの垂れ幕を抜け、露店通りへと入っていく。人の気配が少し薄れたところに、その雑貨屋はぽつんと存在した。
 色とりどりの薔薇を用いた小物がずらりと並ぶ。小さい子供たちが被っていたような薔薇の花冠や、白いワンピースを着た乙女に似合いそうな赤薔薇のネックレス。そのほかにも鞄、スプーン、ブレスレットやアンクレットなど、様々なものが綺麗に咲いていた。
「押し花の栞とかもあるよ」
「いま使っている栞で十分だ」
「そっか」
「お前はなにか欲しいものはないのか? 今日くらい買えばいいだろう」
 テーブルにならぶ薔薇の花びらで出来た絵本を見るオズワルドに、イヴは囁くように言った。オズワルドは視線を滑らせて髪飾りのあたりまで行き着く。黄色い薔薇と鈴蘭をあしらったバレッタがイヴの視界に飛びこんだ。
「これなんかお前に似合うんじゃないか?」
「うん?」オズワルドは指されたそれを見て目を瞬かせる。「うんう。だめ」
 口元に手を遣って首を傾げる。オズワルドはどれか迷っているらしい。イヴが黒い目の先を辿ると、そこには赤い薔薇の髪飾りが二つ並んでいた。一つはリボンを幾重にもカールさせたもの、もう一つはカチューシャだった。どちらも石油のように真っ黒いオズワルドの髪に映えることだろう。イヴは顔を濁らせた。
 そう、まただ。また違和感を覚えた。
 オズワルドに対する、ある違和感。それは出会って暫くしてから気づいたもので、けれどそれはたびたび感じられるほどの強いものだった。
「なあ、オズワルド」
「なにかな、イヴ」
「それとそれで悩んでるのか?」
「そうよ」オズワルドは赤い薔薇の髪飾りを二つとも拾いあげる。「それで、なにかな、イヴ」
「お前、赤いのは嫌いじゃなかったのか?」
 それは初対面のとき彼女が匂わせたことであり、彼女が何度も呟いていることだった。だというのに、彼女は日常において、なにかと赤を選ぶことが多かった。何色もある椅子のなかからわざわざ赤い椅子に腰かけ、いくつもある本のなかからわざわざ赤い本で塔を作る。彼女が事あるごとに赤を選ぶシーンを、イヴは何度も何度も見てきた。何度考えたかわからないし何度考えてもわからない。彼女のなかで赤は嫌いな色であるはずなのに、彼女はまるで呪いのように赤を自分に絡めてくる。それはまるで無自覚な依存のようにも感じられた。
「赤は嫌い、うん、そうだよ」
「でもそれは赤い髪飾りだ」
「そうだね」
「それでいいのか?」
「これじゃなきゃだめなのよ」
 イヴはいよいよ眉間に皺を寄せる。途中から耳を傾けていた卑弥呼も訝しそうにオズワルドへと顔を向けた。イヴは伺うように尋ねる。
「だめ、というのは何故だ?」
「だって、赤じゃないとだめなの」
「なにがだめなんだ?」
「なにがって、なにが?」
「どうして赤を選ばなきゃいけないんだ?」
「だって、赤じゃないと叱られるのよ」
「叱られる……?」
「そう」
 嫌な予感がした。言うべきことか、一瞬躊躇った。けれど口のほうは少しの躊躇もなく、思ったまま素直に吐き出す。
「叱られるって、誰に?」
 オズワルドはわけがわからないようなぼんやりとした顔で首を傾げた。イヴは淡泊な表情のまま、言葉を続ける。
「一体誰が、お前を叱るんだ?」
 オズワルドは滲むように目を見開く。真っ黒い双眸が揺れていた。持っていた髪飾りが指の隙間から落ちていく。手は痙攣するように震え、体は徐々に丸まっていった。膝が折り畳まれるように曲がっていく。オズワルドは苦しそうに呻いていた。
「……オズワルド?」
 声は届いていない。オズワルドは力のこもった手で顔を覆う。何度かゆるゆると振って逃げるように後ずさりをした。なにから逃げているのか。悪夢か、現実か。未だ自分が縛られていることからか。まるで怯えた仔鹿のような足取りでふらふらとその場にしゃがみこむ。次の瞬間には彼女の口は食いしばるように開いていた。

 泣いている。
 それも、嗚咽やすすり泣きの類ではなく、赤ん坊が泣き喚くようなそれだった。

 イヴも卑弥呼も立ち竦む。店の主もどうしたことだと出てきた。今までに見たことのないような暴れるような泣き声を、信じられないことにオズワルドから聞いている。その事実が思考停止に価するほど驚愕だった。なにが起きたのかわからない。顔を殴るように押さえるオズワルドは泣きやみそうになかった。
 子供みたいに節操のない泣き声は痛々しく響く。ルドヴィコ療法で気違えてしまった男のような狂いかただと思った。落とした赤薔薇がそれを嘲笑っていた。逃げられない迷路のなかで嘆くように、オズワルドはその場で泣き続けていた。





 結局疲れて眠りこむまでオズワルドは泣き続けた。もう薔薇祭りどころではなく、イヴと卑弥呼はオズワルドを抱えてホテルに戻ることにした。ベッドに寝かせたはいいが、暫くすると魘されはじめた。タイミング的にはレム睡眠の状態なので夢をみて魘されているのだろう。オズワルドが魘されるような悪夢の正体をイヴも卑弥呼も知らないが、ただほそぼそと聞こえる寝言には眉を曇らせた。
 ストロベリーは嫌だ。
 死にたくない。
「……そんなに苺が嫌いなのかよ」
「どうだろうな」
 買ってきた苺のジャムを見つめながら卑弥呼が漏らした言葉に、イヴもぽつんと言葉を返した。イヴも卑弥呼もカウチに座りこんでいる。オズワルドのこともあり、二人の空気は神妙だった。
「死にたくない、か」
「寝言か?」
「ああ。寝言を部分部分で区切るんじゃないとすると、ストロベリーが嫌なことと死ぬことは繋がっていることになる。もしかしたらオズワルドは、そのストロベリーとやらをされると死ぬと思ってるんじゃないか?」
「そのストロベリーに心当たりは?」
「これっぽっちもない」イヴは溜息をつく。「だがおそらく、それは“怖くて痛いこと”なんだと思う」





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