白いテディベア(2/4)




 無理矢理異国に連れ去られて、母国に思いを馳せる少女は、きっとオズワルドが提案したように帰りたがっているはずだ。イヴはセレナータの絵をぼんやりと見た。エグラドにはない建築様式。風土、気候も、言語も、エグラドとは違う。知識としては知っていても、イヴは知らない。
 イヴはその絵を手に取った。
「……イヴさん?」
 セレナータはイヴを見上げて声をかける。イヴは片手で絵を翳して舐めるように見つめた。光で裏の文字や図面が透ける。その妙な色づけが、セレナータの絵を引き立てた。
「上手いな」一言呟く。「実物を、お前の家をこの目で見てみたい」
 オズワルドはにやりと笑った。
 はにかむようなその楽しげな表情にセレナータは気づかない。ただ、まだぼんやりと、聡い彼女にしては暢気な思考で、今の状況を足踏みする。
 イヴはセレナータを見下ろした。その柔らかい頭をぽんぽんと撫でてから、オズワルドに目を移す。オズワルドもイヴを見ていた。青い瞳と黒い瞳が実にご都合よく繋がった。
「言っておくが、上手くいく確率は低いぞ」
「カクリツってなに? カタツムリに似てるわね」
「似てないと思います」
 セレナータは口から突いて出た言葉を両手で塞いだ。しかと部屋に響いたそれにイヴは笑う。口を挟まれたオズワルドは気を悪くした風でもなく「そうかもね」と言って白い歯を見せた。





 国外へ出るとなれば海上船も飛行船も、回線や信号、最悪の場合はシステムごと政府関係者にハックされかねない。
 運よく掻い潜れたとしても《The Three Muskteers》に攻撃されて大破するという悲惨な末路が待ち受けている。今その《The Three Muskteers》の統帥権をイヴが握っているとはいえ、乱用したりプログラミングと違う動きをすればその事実がバレてしまう。それはイヴにとってはあまりよろしくないことだった。
 その暴露で混乱に混乱して国がいい方向に傾けばそれもいいが、もし最悪な方向へと傾くと、取り返しのつかないことになる。飛行戦艦が“誤作動”を起こしていることが他国に知れれば一斉攻撃をされかねないし、エグラド王家もシフトを変えて新たな飛行戦艦の製作に税金を注ぎこむかもしれない。不景気の風潮が囁かれ始めたこのタイミングでそんなことが起これば、激しい内乱になることだってありえるのだ。
 だから、イヴはランダム運動に則ったまま、《The Three Muskteers》を本当の意味で支配したがらなかった。それはこれからも同じであり、セレナータのために《The Three Muskteers》でルーシャまで送り届けてあげようなどとは思わない。もしあの装甲飛行船で他国へ侵入などすれば、それだけで戦争が起こりそうだ。これは間違いなく妥当な判断だった。
「じゃあ、一体どうするのよ?」
「ヒント。《The Three Muskteers》の攻撃対象にならない飛行手段」
「なぞなぞは得意じゃないの」
「知ってる」
 意地悪をするイヴにオズワルドは少しだけ唇を尖らせた。二人の掛け合いを聞いていたセレナータが横から口を出す。
「パラグライダーですか?」
「それで国を渡ると凍え死ぬだろうな」
「飛行艇?」
「レシプロの熱エネルギーを感知されて一瞬で海の藻屑になるぞ」
「……わかりません」
 弱々しくセレナータが返すのを、イヴはルームミラー越しに見つめる。
 三人はモーテルを出て、また車でハイウェイを走っていた。昨日吹いた風が雨雲を呼んだのか、空はビスマス色をしていて、車の窓にはちくちくと刺す針の穴のような小粒の雨が音もなく穿ってきていた。
 後部座席に座るオズワルドとセレナータに見えるように窓を少しだけ開けてやる。イヴは窓の外の空に浮かぶ物体を視線で示した。
「あれだ」
 遠くの空を悠々と浮かぶバルーン。一般デパートの広告用気球だった。可愛らしい色合いの球皮の下には簡易のコンドラがくっついていた。そしてそのゴンドラの下には宣伝文句の垂れ幕が吊るされてある。たったそれだけで、ゴンドラの中は無人だった。
「気球?」
「ただの気球じゃだめだ、ああいった広告用気球。空に浮かばせて放置することを前提で作られたものじゃないといけない」
「あれって、線で繋がっているわけですし、回収してるんじゃないんですか?」
「切ってしまえばいい。これまでだって、回収の取りこぼしはあるだろうし、一機失った程度なら、そう力を入れて探すこともあるまい」
「にしたって、無謀ですよ。気球でエグラドからルーシャまでなんて……」
「だから言っただろ。確率は低いって」
 イヴの作戦にセレナータは戸惑った顔色を浮かべる。なにか言ってやってくださいよという期待をこめてオズワルドに視線を移すが、オズワルドの「あたし気球に乗るのってはじめてよ」という言葉にそれは打ち砕かれる。
 オズワルドにそういった期待を抱くとはセレナータもまだまだだな、とイヴは思った。オズワルドは最悪泳いで海を渡ればいいと言いかねないような人間だ。そんな発想の持ち主に同調を望むなど、土台無理な話である。オズワルドはぼんやりとした表情で未だ窓の外のバルーンを眺めている。セレナータは呆然としたままだった。
「風向きや方角を考えて細かな操作を懸命に重ねれば、数週間でルーシャに辿り着けるだろう」
「……現実的じゃない」
「おや、知らなかったか? ここは現実だ。いま生きている世界が現実であるかぎり、どんな事象だってそれはなによりも現実的さ」
「屁理屈ですね」
「せめて前向きだって言ってくれよ」イヴは苦笑した。「今はこれしかないんだから」
 本当はあと二通りほどイヴには考えがあったがそれを口にするのはやめておいた。それはどちらも国の法律を百は破るようなことだったしおまけに危険極まりない方法なのだ。下手をすれば一発でアンプロワイエに捕まるような危険な橋を、たった一人の少女のために渡るわけにはいかなかった。





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -