白いテディベア(1/4)




「なにしてるんだ」
「なにかしてるように見えるの?」
「そういう意味じゃない」
「だったらどういう意味?」
「お前はなにがしたいんだと聞いてる」
「あたしの願いごと聞いてくれるの?」
 イヴは困ったように笑いながら、自分の足元で座りこむオズワルドを見つめていた。
 昨日、セレナータを助けるためにレットマンチェスを離れたが、もうそれなりに離れた今となっては、今日の予定はないに等しい。悠々と読書にでも勤しんでいようかと、カウチで本を開いたとき、そのイヴの足元に、オズワルドは座りこんだのだ。おねだりでもするみたいに。
 もしやと思い、イヴはセレナータへと視線を遣る。セレナータは、ベッドに腰かけてテディベアを抱きながら、有線ラジオから流れるノイズ混じりの声に、その小さな耳を傾けているところだった。
 イヴは本をパタンと閉じた。足を組み、膝に頬杖をつき、自分を見上げてやまないオズワルドをじっと見つめ返す。
「お願いって?」
「聞きたい?」
「気にはなるかな」
「聞いたら絶対に叶えなきゃだめよ」
「なら聞きたくない」
「んま、それでも知りたがりのイヴなの?」
「お前はそういう話しかたしかできないのか?」
 苦笑の含んだ表情をするイヴに「ひどいわ。横暴よ」とオズワルドは返す。それに対してイヴは「一応聞くけど、横暴の意味、ちゃんとわかってるんだろうな」と首を傾げた。
「わかってるわ」オズワルドは歌うように即答した。「イヴにとってのあたしで、あたしにとってのイヴってことでしょう?」
 なかなか面白い答えを寄越すと思った。オズワルドのその切り返しに免じて、イヴは折れたように「お願いって?」と尋ねる。
「セレナータをお家に帰してあげたいの」
 その言葉にびっくりしたのは、事もあろうに、イヴではなくセレナータだった。イヴは、オズワルドの言葉から、セレナータがオズワルドにお願いしたのかとも勘繰っていたのだが、どうやらそうではないらしい。よくよく考えてみると、セレナータの性格上、こんなまわりくどいことや甘えたようなことをするはずがなかったと、イヴは思い出す。だとしたら、オズワルドの独断だ。イヴは数回、静かに目を瞬かせた。
「ちなみに、家って?」
「ルーシャ?」
「無茶を言うな」
「無理を言えばいいの?」
「そうじゃない」いまはオズワルドの言葉遊びに付き合ってはいられなかった。「ルーシャは海を越えるんだぞ。鎖国したこのエグラドから、どうやって帰すんだ」
 オズワルドは顎に手を当てた。ぼんやりとした顔をしているがなにか考えこんでいるらしい。数秒後、その顎から手を離して、イヴの目をまっすぐに見つめながら口を開く。
「わからないわ」
 イヴは溜息をついた。
 セレナータも呆れたような落ちこんだような、よくわからない吐息をした。
 イヴはセレナータに目を遣った。
 ラジオを聞いていたのだと思っていたが、どうやらそれだけではなかったらしい。モーテルの簡易地図を裏紙に、備えつけのペンで絵を描いていた。オズワルドもそれに気づく。猫のような静かな歩きかたでセレナータの背後に回る。その絵を覗きこんだ。イヴも立ち上がってその後ろについた。足音に気づいたのかセレナータは顔を上げる。二人の気配に気づいたセレナータは肩を揺らしてびっくりしたような声を上げた。
「上手いな」
 賛美の声だった。それもお世辞の類ではない。感動や憧れもしないが偽物や大袈裟なものでもない。
 イヴの素直な感想が、セレナータの口角をやんわりと上げさせた。
「上手いの?」
 オズワルドは首を傾げる。イヴは「上手いだろ」と返した。オズワルドはセレナータの絵をじっと見つめて「上手いのかしら」とまた呟いていた。
「というより、よく見て、わかっている、と言ったほうが正しい」
「どういうこと?」
「絵画にも成長過程というものがある。まず絵画は立体のものを平面に描きおこすのというのが一般的な作業なわけだが、年齢や経験によってその完成度やリアリティも変わってくる。たとえば穴の中にいる人間を描くとしよう。初歩、児童の第一段階では、真っ黒な丸のなかに人間が入れられているような、そんな絵を描く。あくまで平面的な絵だ。第二段階では構造を理解し、横から見た図面になる。地面に凹みを描いてその凹みに人間を落としたような絵だ。第三段階ではやっと空間を意識した立体的なものになる。斜めから見た絵だ。暗いホールに人が浮かんでいて、落ちたところだけホールの縁に隠され見えなくなる、と言った具合だ。成長してイラストレーターの類になるとむしろ穴の中から人間が落ちてくるような煽りのある絵が生み出される。こんなふうに絵画は年齢や経験と共に成長していくんだ。セレナータの場合は、その年齢から比較したときの成長段階が早い。きっと将来は画家になれるぞ」
 セレナータはよくわからないような表情をしていた。それはオズワルドも同様だ。オズワルドは「ふうん」とまた一つ零した。
「あたしはよくわからないけど、この絵、好きよ」
 イヴのように褒めたわけではないのに、セレナータは殊更嬉しそうな顔をした。それから自分の絵を見つめて、愛おしそうに口を開く。
「これは、私の家の絵なんです」
「セレナータの家?」
 紙面に目を戻す。それは民族的な、独特の雰囲気のある、けれど、描いた人間の懐かしさが伝わってくる、そんな素朴な家の絵だった。幼いながらに上手く引かれた線の群れはどれもこれも健気だ。美しさはないが人の心を和ませる魅力があった。
「はい。リャプロニュという閉鎖都市だったんですが、海が近くて……ここと比べれば寒いところで、でも、私は好きでした」
「リャプロニュ……元アレクサンドロフスクか」
「よくご存じですね」
「まあな。屋根が独特の形をしているのは防寒のためなのか?」
「はい。落ち着いた暖色をしていて、煙突も同じ色なんです」
「壁の色は?」
「ここが白で、でもここだけ青色でした」
「可愛いね」
 オズワルドは次々と質問していった。ここの窓は誰の部屋なのか、この木はなんの木なのか、春になるとどんな花が咲くのか、そんな他愛もない質問を。けれどそのたびにセレナータの表情が活き活きとしていくのがわかる。雪国育ちの色白な頬が温かいピンクに染まっていく。絵の具が欲しいなと呟くオズワルドに「紙がしわくちゃになっちゃいますよ」とセレナータは笑いながら答えた。




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