02


 奴の名前は、口虚絵空。
 変人。
 そして――――自称・《正義の味方》。
「私は今年も《正義の味方》として十分な働きをしてやれなかった。誰を救うことも出来なかった。実に悔しい限りだよ。私としたことが……自分を恥ずかしいとすら思うね。だから。だからこそ。今年の残り数日間、頑張るくらいはしてやりたい。その為に今日、誰よりも先にここへ来ることを心がけたのだよ。時間は有効に使うべきだからね」
「そうかよ」
「安心しろ、正義。君のことだって一肌も人肌も脱いで、この私が救ってみせよう」
 そして。他称――

「君は私にとって、誰よりも何よりも愛しい存在だからね」

 《嘘つき》。





 それは、数年前の、ことだった。
 千切れたような雲がハイスピードで空を漂う、風の強い快晴の真冬。ちょうどクリスマス――聖夜のことだ。毎年の例なら、「メリークリスマス」と笑顔で硝子コップを掲げて、家族団欒をしている筈だった。あるいは貰えたクリスマスプレゼントを見て「えー、こんなの嫌だー」だとか、「今年はなし」「解せぬ」など両親と攻防をしている筈だ。またあるいは友人に送るクリスマスメールをスタンバッていたし、いっそ既に寝ていたのかもしれない。記憶を辿れば、そんな状況があたりを埋め尽くしていたように思う。
 とにかく、ほぼ全世界に平和が行き届き、笑顔が溢れて、温かい空気を抱きながら、ただただ時を噛み締めていた――まさにその夜、俺たちは、未だかつてない震動に、身を強張らせることになる。
 十二月二十五日。

 世界は逆転した。

 全神経が爆発して。
 全細胞が震撼した。
 意識は体感ごと、宇宙に投げ出され。
 砕けた星屑はシャワーみたいに降り注ぐ。
 精神は灼熱の炎により沸騰し。
 ブラックホールに跡形も無く呑まれ。
 意識が地球へ舞い戻った頃には。

 世界は動乱していた。

 まるで何かに叩き付けられたかのように、全人類は地に寝そべっていた。そしてとある一箇所だけ、抉り抜かれた凄惨な跡があり――その真ん中で、口虚絵空は――夢を見ていたかのような表情でつっ立っていた。
 十二月二十五日。地球に――それも俺達の住むこの町に、隕石が落下した事件である。
 被害は一箇所≠除いては皆無そのもので、そしてその一箇所とは、口虚絵空の家だった。完璧な角度とスピードで見事口虚宅に着弾した隕石は、自らその身を滅ぼしながら、その家屋を全て破壊し。
 そして同時に。
 口虚絵空の両親を殺した。
 隕石落下事件は世界的に取り上げられ、世間的に気味悪がられた。それもその筈、口虚本人は奇跡的に生存していて、かすり傷一つ無かったのだ。普通に考えて異様だ。数年たった今でも多くの謎を残したままの、超常現象的事件である。
 あからさまに変だよな。
 不気味だとかでは説明がつかない。
 そもそも、地球という惑星一つ丸まま滅亡してもおかしくないようなことが起きて、甚大な筈の被害が家屋一軒と二人に限られている時点で奇妙の極みだ。近隣にも僅かに被害が出たとはいえ、精々倒れてきた電柱が壁を掠めえぐった程度。死者もいない。数年たった今でも怪奇な謎を残した、超常的な事件なのだ。
 そして今年のクリスマス――聖夜。
 あと四日で。
 その隕石落下事件から、丁度五年を迎える。





「おっはよーう、正義!」
 教室に駆け込んできた友人、海野住人が快活な声音で俺に言った。そこで俺は肩を落とす。握っていたシャーペンも筆箱という名の樹海へと放り出した。
 口虚との会話に一方的な終止符をうち、日誌を綴っていたらこれだ。いつの間にやら賑わう教室。もうクラスメイトのおよそが登校義務を果たし、談笑という小喧しいまでの花を咲かせていた。席に鞄を置いている人間が殆どで、教室は制服の黒で埋め尽くされている。
 うーん。
 なんというか。
 一つの物事に集中してしまうタイプなんだよな。
美術の時間、版画製作に取り掛かっていたときだって、チャイムが鳴ったのに気付かず住人に笑われたものだ。そして奴は、俺が丹精込めて彫った板を見て「出来はイマイチ」と評論家を買って出やがった。俺の努力は実績には反映されない。日誌の埋められた項目の個数にしたって言うまでもない。
 時計を見れば、教室に着いた時刻から、即席ラーメンを五つほどいただきます出来るくらいには経過していた。もっと言うならごちそうさまだって出来る。
 うわ。俺ダサすぎる。
 日誌にどんだけ時間かける気だよ。
 気を取り直して住人に「おはよう」と返した。奴のギョロギョロとした真ん丸な目が細められた。
「英語の語訳の宿題やってきた?」
 住人は期待するような熱っぽい眼差しを向けてくる。
「ああー…………一応」
「ふぅん、そっかそっか。そんなしっかり者のお前には、俺にそれを写させるという大義をくれてやってもいいんだぜ」
「ったく、素直じゃないやつ」
「自尊心に正直なだけだって」
「ならその意思を尊重して自力でやったらどうだ?」
「瀕死の際になってまで貫く自尊はただの傲慢だ!」
「そう言うお前が一番傲慢だ」
 ほらよ、と住人に英語の予習プリントを差し出した。ずらずら並べられた鬱蒼たる英文の下には、俺の逆達筆な文字が犇いている。それを見遣って「これなんて読むの? チカラコブ?」と問いかけてきた奴に、俺は若干の苛立ちを覚えた。カブトムシだばっきゃろう。
 それを受け取り、ひらひらとそのプリントを宙に靡かせて「さんきう」と何とも芸術的なウインクをする住人。俺の席の前の椅子(副委員長である足水日踏という女子生徒の席だ。あの気の強い女のことだ、無断で使われているのに気付いたら拳骨の一つや二つは覚悟しなければならない)に腰掛けた。多分お前、泡吹くハメになるぞかっこわらいかっことじ。
 せっせと写すことに従事している住人の肩越し、その数メートル奥の前の方の席に、十数分前まで話していた口虚絵空の後姿が目に映った。烏の濡れ羽みたいな漆黒の髪が、はらりと肩から垂れた。背筋はまるでマネキンのようにぴんと伸ばされていて、その美しさといったらバレリーナだって裸足で逃げ出すに違いない。それでも視線はうろちょろと、忙しなく教室中を行きかっている。もし奴の眼差しがレーダーみたく軌跡を残すとしたら、クラスメイト全員がバラバラ殺人事件の被害者だ。……自分で例えてぞっとした。奴は所在なさげに頭を振って、そして時々迷ったように口元に手を当ててみせる。後姿でもはっきり分かるくらい、一つ一つの動作が単純で、そして健気に思えた。
「おい、住人」
俺は呟く。
「何だよ。今俺は格闘中だってのに……くっそ、これなんて読むんだよ。自由?」
「重層」
「駄文の極みだな」
「駄文には字が汚い%Iな意味合いはない」
「で、何だよ正義。スルメ泳ぎでも教えてもらいたくなったのか?」
なにそれ。
「違う。俺が日誌と熱々デートしてる間、口虚……なんかしたのか?」
 その言葉に住人は瞬きをする。ぱちぱちと、まるで水でも飛沫そうだった。
「いや、何もしてないぜ。まだな」
 その返答に、俺は深く溜息をついた。



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